遂にマグロを釣り上げました! 14,09,06 

   毎年夏になると相模湾には黒潮に乗ってマグロとカツオがやってくる。それを
  狙って相模湾の釣り船はマグロのポイントに雲霞のように集まってくる。最近で
  は東京湾からもはるばる相模湾にまで釣り船がやってくる。

   運が良ければ最近希少価値になった黒マグロとその幼魚のメジマグロ、それ
  に成魚になると100キロに達するキハダマグロ、その若魚のキメジマグロが釣
  れる。相模湾で比較的多く釣れるのが7〜8`のキメジで、まれに40`もある
  大きなキハダが釣れ、めったに釣れない貴重な黒マグロ(本マグロ)やメジが
  釣れると船内は歓声に包まれる。

   9月6日、会社の釣りクラブの例会で仕立て船でマグロに挑戦した。マグロは
  無理だがカツオぐらいは誰かに釣れるだろうと皆で笑いに興じながらの出船と
  なった。横須賀の佐島港を6時に出船し、ナブラを探しながら、江の島〜城ケ
  島、さらに城ケ島の先、ほぼ伊豆の真鶴との中間地点にある釣り場のメッカ
  の「沖の瀬」まで40分ほど走ってようやくナブラに出会い竿をおろした。

   マグロとカツオ釣りは何せ忙しい釣りで、小魚を追ってあっという間に視界か
  ら消えてしまうので、船長は、「ハイ40m!下して!」 「ハイ上げて!」とマイ
  クで立て続けに指示し、釣り人は竿の上げ下げに大忙しになる。スピードの差
  が釣果に直結するので、年寄りにはついていくのが大変な釣りだ。

   釣り始めてものの10分も経たない6時40分ごろ、突然私のリールが唸りを生
  じて糸が海中に強烈に引き込まれた。100m位引き込まれただろうか。よう
  やく止まったので、それから電動リールを巻き始めたが、あまりの重さにリー
  ルが悲鳴を上げて糸巻きのスピードが落ち、今にもモーターが焼き切れんば
  かりになった。幸い20号のハリスが切れもせずがっちりと魚を捉えて離さない。
  やむを得ず手巻きに変えてみたが老人の腕力ではとても巻ききれるものでは
  ない。

   すかさず船長が手伝ってくれてその後は殆ど船長の一人舞台。私は船長の
  後ろでただおろおろするばかり。20分ほどのやり取りの末遂に海面に黒々と
  したマグロの巨体が姿を見せた。タモで掬い上げ足元にバタバタと暴れるマグ
  ロは紛れもないキハダマグロ。背鰭と尻鰭が黄色で、鎌状に鋭い突起がある。

   興奮と虚脱感でしばらく放心状態だったが、船長や仲間から拍手と祝福の
  握手を貰ってようやく我に返った。船長が船宿のホームページに載せるため
  の記念写真を撮り、勿論持参したクーラーにも友人の大きなクーラーにも入ら
  ないので、尻尾の数十センチを切り取ってようやく収納した。船長からは氷と
  水をたっぷり入れる様にと指示がありようやく一段落した。


   

   まだ8時前なのにもう心身ともに疲れ果て満足感もあって再び釣り始める
  気力がない。早く帰宅してどう魚をさばくかで頭が一杯、納竿・帰港の14時ま
  であとは気が抜けたようにのんびりと夏の海に肌を焼きながら時間を過ごした。

   船宿に戻り計量したら14,5キロもあった。釣り客は18人だったがマグロを
  ゲットできたのは私一人。マグロを釣るのは宝くじに当たるようなものだから、
  私一人が幸運に恵まれたという事になる。

   仲間の一人が調理のプロ級なので、彼が船宿の調理場でマグロを解体し、
  世話になった仲間と船宿にマグロの半身とカブト(頭)、中骨、カマ、切り落と
  した尻尾を進呈し、私は半身と中骨の半分だけを持ち帰った。

   帰宅して柵に切り揃えてみたら何十人分の刺身になるのか見当もつかない
  大きさだった。早速娘家族4人が駆け付けブロックを持ち帰り、逗子の親戚
  にも届け、家内の友人に土産にさし上げ、それでも我が家は数日はマグロ三
  昧の毎日になる予感がする。

   夕食にはマグロの山かけを造り、翌朝はヅケ丼、刺身とネギトロとマグロ
  納豆は次の夕食になる。後はどうなるのか、まだまだブロックが冷蔵庫に残
  っている。

   幹事や仲間達には、歳も歳だからマグロ釣りは体に応えるので、今年で
  終わりにし来年からは参加を辞退すると申し出ているが、幹事からはこんな
  大物を一人だけが釣って、歳だから来年は止めたはないでしょうと引き続い
  ての参加を求められた。これでは参加せざるを得なかろうと内心思っている。

   77歳にもなって15`ものマグロを釣り上げる人はそう滅多にいるものでは
  ない。私にとっては9年前のゴルフのホールインワンに次ぐ生涯2度目の快挙
  となった。