梅が満開です。   17,02,15

  葉山のこの地に居を定めて43年も経つと、庭に植えた樹木や草花はいつの
 間にか相当に年季が入っている。つい仕事にかこつけて庭仕事には関心が薄
 く、面倒見の悪かった私に比べ、家内は小まめに庭の維持管理に努めている。

  四季それぞれの花が咲いては家内は喜んでいるが、私は一向に花の名前も
 覚えようとしない無頓着ぶりである。せいぜい6月になると、咲き終わったつつじ
 の木の枝と花芽を切りそろえて、来年に備えるぐらいが私の唯一の庭仕事にな
 っている。

  葉山の街並みには沢山のきれいな花が咲いていて毎日の散歩道が楽しい。
 家内に道々の花の名前をテストされては落第して嘆かれている。

  我が家の庭にも春の訪れを告げる花々が咲き始めた。椿やボケは盛りを過
 ぎたが、つい先ごろまで一輪だった梅はいつの間にかもう満開になった。我が
 家の梅は紅梅は植樹して13年、白梅は新築以来なので40年にもなる。接ぎ木
 した紅梅が白梅の間から所々に可憐な顔を出している。

  沈丁花もいい匂いを発散しているし、白と紫色の2本の木蓮も辛夷も、蕾が
 大きくなってもうすぐ咲き出す。朝晩はまだ冷えるが、葉山はもうすぐ春といっ
 ていい。三浦海岸の河津桜が見頃を迎え、土曜日から桜まつりが始まった。


   

  気温も15度を超えてポカポカ陽気なので、久し振りに海岸沿いのいつもの散歩
 コースをゆっくりと歩いてみた。以前よりも疲れが早く出て、腰痛がおきて休み休
 みだったが、なんとか2時間のコースを歩くことが出来た。道すがら、富士山こそ
 雲に隠れてその端麗な姿を見ることが出来なかったが、相模湾は波もなく、釣り
 船とヨットがのんびりと浮かんでいた。

  この海岸沿いの散歩道の高台に、かって明治天皇と昭憲皇太后の歌道師範
 を務めた枢密顧問官の高崎正風の別荘があった。「恩波閣」と名付けられたこ
 の別荘は、後に小松輝久侯爵の別荘となるのだが、高崎正風はこの家から見
 える相模湾をいたく気に入っていて、気宇壮大な一句を詠んでいる。

  「わがやどは、相模の海を池として 富士大島は庭の築山」 

  如何にも明治人らしい歌だが、その雄大な景色は130年経った今でも少しも変
 わらない。その海岸道をのんびりと歩くと、葉山に住んで良かったとつくづく思う。

  風光明媚な景色を愛で、釣りにいそしみ、時には畑を耕し、歴史と文化の香り
 に触れ、土地の漁師さんや農家の人達とのんびりと雑談をする。もっとも、人見
 知りの激しい私は、自分から積極的に声をかけることはめったにないのだが・・。

  横浜までは電車で30分、東京までは1時間だから都会の空気を吸いたくなった
 らちょっと足を延ばせば行ける。だが、田舎暮らしが身に染みているので、田舎
 者には都会の喧騒は肌に合わないからめったに出掛けることはない。すっかり
 葉山人になり切っている。

  たまに横浜で昔の学友たちと会うと、都会は日々変貌していて、目印の建物
 がいつの間にかなくなっていることがままあり面食らってしまう。友人達は事も
 なげに勝手知ったる街並みだとばかりにすたすた歩くが、私は後ろからついて
 いくだけである。飲み屋の場所だけは間違いなく行けるのが唯一の自慢である。