伊藤博文と鰻。 24,06,19 今日は伊藤博文と鰻の話。 神奈川県の金沢八景は昔から景勝の地として有名で、政財界人や文人たちの別荘が 多く建てられ、今でもその名残が残されている。代表例として湾に面した夏島にある 伊藤博文の別荘は、現在もその茅葺き屋根の家屋は保存されていて観光客が見物に 訪れる。 この別荘は伊藤博文、金子堅太郎、井上毅、伊東巳代治らが明治憲法の草案を練り 上げたという歴史的な家屋で、近くには記念碑が建っている。 この憲法草案は別荘の地名を取って「夏島草案」とも呼ばれ、その後修正が加えら れて1889年(明治22年)2月11日に明治天皇から「大日本憲法」として発布の詔勅が 出された。 いうまでもなく伊藤博文はその後韓国併合に伴い韓国統監になり、1909年に中国 ハルピン駅で韓国人安重根に射殺されることになる。 安重根が銃殺される直前まで収監されていた監獄の看守は、私の生まれ故郷の宮城 県栗原郡の出身で、食事や身の回りの世話など安重根を親切に処遇したので、随分感 謝されたという逸話が残っている。 因みに憲法発布の2月11日は昔は紀元節といい初代天皇の神武天皇の即位日だった。 戦後神話が否定され紀元節は祭日ではなくなったが、その後建国記念日となって復活 した。 私などは子供のころ意味も分からず紀元節の歌をそらんじて歌ったものである。 ♪ 雲にそびゆる高千穂の、高根おろしに草も木も、 なびきふしけん大御代を、仰ぐ今日こそ楽しけれ。 伊藤博文の別荘から野島橋を渡って20分ほど歩くと記念碑があり、その近くに老舗 の鰻屋がある。店の名前を「鰻松」(うなまつ)という..。 伊藤公はこの鰻屋の鰻が殊の外気に入って、草案作りの合間を縫って鰻を食べに足げ く通ったらしい。 私が現役の会社員時代、この店をよく使っていて、女将がよく伊藤公の逸話を飽きも せずに話してくれたが、余りにも自慢話が多いので少々鼻持ちならない店だった。 女将の話は少しオーバーなので、伊藤公お気に入りかどうか真偽のほどはよく判らない。 鰻のたれは明治時代からの製法を受け継いでいるとのことで、甘みを抑えた玄人好み の味になっている。勿論関東だから背開きにして蒸して焼く、いわゆる関東風の蒲焼き だが、当地には珍しくヒツマブシもメニューに載っている。 この店には地元横浜ベイスターズの選手たちも訪れるらしい。店構えは明治創業の面 影を残す日本家屋である。 何故か金沢八景にはうなぎ屋が多く、我々夫婦はこの近くの「隅田川」という鰻屋に よく行くが、「隅田川」のタレはやや甘めで鰻の身は柔らかい。 家内の伯父・叔母をこの店に連れて行ったら柔らかさと甘さがお口に合うらしく大変 喜こばれて、以来夫婦2人でよく逗子からtaxiで「隅田川」に通ったそうだ。隅田川のう な重が大好物だった老夫婦お二人とも90歳を過ぎて他界されて今はいない。 先日家内が鰻を食べたいというので「鰻松」に連れて行った。私はかれこれ20年ぶり の訪問だが、かの名物女将はとうになくなって今は4代目だそうだ。女将が亡くなってよ うやく普通の鰻屋になった感がある。 店構えやテーブル,こあがりも昔のままで懐かしかった。勿論タレも重箱も昔のまま だった。家内は初めて食べたヒツマブシが気に入って、「隅田川」よりも「鰻松」の鰻 の方が好きだと喜んでいた。 もうすぐお盆。子供たちが久し振りで我が家に勢揃いするようだ。墓参りと私の87歳 の誕生祝いと米寿祝いを口実に、旨い飯でも親にたかろうとの魂胆なのは見え見えで ある。 息子も娘も鎌倉の二の鳥居のそばの「茅木屋」で、うな重と肝和え、ビールに熱燗を 嗜むのがお気に入りなので、おそらく例年通り墓参りの後このパターンになるのだろう。 子供たちにご馳走するのもそう永くは続かない。元気なうちに子供たちの成長を見て 今を楽しむ。余生はこれが一番だ。 |