築地〜両国探訪。  17,03,29

  娘と孫が築地で海鮮丼を食べたいと言い出してから1年もたつ。しかし孫の
 都合もあってなかなか実現できなくて延び延びになっていた。時々思い出され
 ては話題にされるので少々負い目になっていたが、孫が春休みになったので
 ようやく築地行きが実現した。

  このところ暖かい日と寒い日が繰り返す花冷えが続いているが、この日は
 運よくポカポカ陽気で絶好の行楽日和だった。

  東銀座の歌舞伎座前の交差点で、女優で歌舞伎役者夫人の藤原紀香さん
 に出会い、娘と孫ははしゃいで暫らく立ち止まって、艶やかな着物姿に見惚れ
 ていた。

  場外市場をうろついて歩き、評判のテリー伊藤さんの実家の丸武で100円の
 卵焼きを5人で立ち食いした。周囲には何語だか判らない大きな声でしゃべり
 ながら卵焼きを食べている外人が沢山いた。築地は相変わらずにぎやかだ。

  特にお目当ての店もないので適当な店に入り、それぞれ好きなものを注文
 した。海鮮丼、お任せ丼、かにイクラ丼、どれも美味しくて皆満足した。

    

  豊洲移転がいま都政の焦点だが、場外市場はこのまま存続の見通しらしい。
 独特のこの雰囲気はなかなか捨てがたい。義母がすぐ目の前の築地がんセン
 ターで亡くなって早くも15年もたつ。見舞いの度に連日この場外市場で朝食を
 食べたのがつい昨日のように思い出された。

  次の目的地は両国の「江戸東京博物館」の見物。2008年にT社グループの
 生産管理幹部OB会13名で、江戸探訪の旅を企画し、その時に見物して以来
 だから9年振りの訪問である。孫2人の社会勉強になるだろうと思い立ったの
 だが、予想通り、孫2人ともパンフレットと鉛筆を持ってあちこち興味深げに走
 り回ってメモを取っていた。きっと良い経験になったはずだ。

  ボランティアガイドさんが丁寧に説明してくれて助かった。外人もたくさん来る
 のでボランティアさんも大変だ。英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語、勿論
 中国・韓国語も必要だ。多分得意分野で手分けして説明するのだろう。葉山
 のボランティアガイドとは段違いの教養の差だ。

  ガイドさんの説明で気になったのが1657年(明暦3年)の明暦の大火の話。
 「振袖大火」とも言われたこの火事で、江戸市街の6割を焼失し10万人もの
 死者を出した大火事だが、パネルにも出ていたが火事の火元は本郷丸山
 本妙寺(異説もあり)とあった。

  たしか私の記憶では火元は巣鴨の本妙寺の筈。一昨年に巣鴨本妙寺を
 訪れ、囲碁の本因坊秀哉の墓を詣でた時、寺の一角に明暦の大火の火元
 として、犠牲者を弔う供養塔があったのを記憶していたからである。

  不審に思って聞いたら、ガイドさんも良く判らないとの事だった。気になって
 帰宅後ネットで調べてみたら、本郷丸山本妙寺は焼失〜再建後、しばらくし
 て1910年(明治43年)に巣鴨に移されて巣鴨本妙寺になり、供養塔も同時に
 移設されたとのことだった。だからやはり火元は本郷丸山本妙寺が正しいと
 分かり、ようやく納得した。

  「江戸東京博物館」を見終わったらもう4時近くになったので、次の予定地の
 浅草散策とちゃんこ鍋は止めにして帰宅した。孫の長女は「東京は人ごみが
 多くて好きになれない。のんびりした田舎がいい。」と感想を言った。さもあり
 なん。葉山の田舎が一番だ、と私も思わず相槌をうったものであった。