胆嚢全摘手術が終了。 20,11,16 昨年来胆嚢内にできた胆石症に悩まされて病院通いと入院を繰り返していたが、 11月10日にようやく胆嚢全摘の手術を終え、全快の爽快さを取り戻した。 胆石症発症の経過、手術を中断してしまった不名誉な失敗の経過はすでに記録 した通りだが、今度の胆嚢手術では、2度目の手術台になるので、背中に注射され る痛みがあっても、痛みに我慢のできない臆病者、と笑われないように絶対に我慢 をしてギブアップしない事、と密かに覚悟を決めていた。 今度は心臓の心配はなく、医者から太鼓判を押されているのだから、手術中に 突然心筋梗塞を発症するなどの恐怖心は起きない筈だし・・・。 外科医からはあらかじめ胆嚢の状態が硬直して縮んでいるので腹腔鏡手術は 難しく、開腹手術になるだろうと言われていたので覚悟をして手術台に上がった。 手術室入室の心境は、「遂に来るべき時がきた。まな板の鯉でじたばたしても 仕方がない。医者に任せるしかない、なるようにしかならない、やけのやんぱち、 日焼けのなすび、等の文字が交じりあった心境」 とでもいおうか。 手術前から心配したことは、高齢での開腹手術なので手術の危険と後遺症、 それに背中への麻酔注射の激痛に耐えうるか、の2点だったが、結局は医者の 好判断で2つとも回避できた。 先ずは開腹手術を避けた腹腔鏡手術の選択。 手術を担当した若いO外科医が腹腔鏡手術が得意なので、立ち会った他の外科 医の了解を得て腹腔鏡に切り替えたと手術後に自慢話を聞かされた。何故でき たのかを聞いたら「私の腕です」とさらりと言ってのけたのに驚かされた。 腹腔鏡手術はメスで直接患部を切る開腹術と異なり、モニターに映った患部を 見ながら両手で鉗子を使い腹腔鏡を駆使するため、開腹術とは異なる技術が必 要となる。医者の腕の上手、下手が顕著な手術で腕の見せ所といわれるらしい が、幸いにも腕のいい医者に恵まれたという事になる。 2つ目の恐怖は背中への麻酔注射の激痛だが、これも回避できた。 麻酔は、腕の点滴の中に静脈麻酔薬を入れて意識を消滅させる全身麻酔と、 背中に打つ硬膜外麻酔の両方を行うが、問題はこの「硬膜外麻酔」だった。 「硬膜外麻酔」は手術台で横になって背中を折り曲げ、背骨と背骨の間に細い 注射針を刺し、脊髄のまわりに局所麻酔薬を入れて,手術部位の痛みをとる方 法だが、これが耐えられない激痛をもたらす。激痛でまれに神経障害が起きる 人もいるらしい。 前回の手術中断は、この注射の痛みなのか心臓の痛みなのか判然としない 激痛が走ったので医者が手術を中断したのだが、この山を越えるには相当の 覚悟がいる。 ところが老練の麻酔医が、背中への硬膜外麻酔では私のような老人の負担 が大きいと判断して、例外的に腕の点滴の針穴から全身麻酔薬と同時に局部 麻酔薬も注入する方式を取ってくれたので、痛みは全く発生せず、あっという間 に麻酔が効いて意識がなくなった。 あの激痛から救ってくれた老練な麻酔医には敬服と感謝するほかない。 かくして2つの大きな懸念は解消され、通常は2時間で済む手術を、4時間半 かけて体の負担も最小限にとどまる完璧な方法で終了した。 手術直後ようやく麻酔から覚めてHCUで一晩過ごし、あとは5日間病室で不味い 病院食を食べて回復を待ったが、術後の痛みも少なく傷跡の回復も順調で、入 院7日間で無事に退院できた。開腹手術なら2週間はかかる所だった。 家内が手術後に見せられた胆嚢は、ちょうど生ガキのようなぶよぶよした臓器 だったらしい。また持ち帰った「胆石」の実物を後日見たが、白く透き通った水晶 の原石のような小豆大の石だった。成分はコレステロールの塊らしい。この石に 1年半苦しめられたのかと思うと感慨深いものがある。奇麗だからいっそのこと 指輪かネックレスにして形見にしたらと言ったら家内に笑われた。 手術後に思いめぐらしたのが腹腔鏡手術の事。そもそも私の胆嚢はどんな症 状だったのか、どうして開腹手術に決めたのか、それがなぜ直前に腹腔鏡手術 に戻ったのか、医者の得意・不得意で簡単に手術方法を変更できるものなのか、 などの疑問だった。しかし素人の理解できる答えは得られなかった。 腹腔鏡手術に絶対の自信のあったO医師ですら、私の手術は今までで最も難 しい手術だったと話していたが、今回は成功したからいいものの、医者の得意・ 不得意で手術方法を簡単に選択されては患者はたまったものではない。 しかしいずれにせよ腹部に小さな穴を4つ開けてその穴から鉗子を入れてモニ ターを見ながら内臓の一部を切除し、ツボ抜きのように胆嚢を穴から抜き取るの だから、患部を直視してメスを操る開腹技術とは異なるレベルの腕がいる。 神の手を持つ名医に頼る時代から、患部の症状をAIが瞬時に画像判断して 手術はロボットがAIの指示に従って操作をするそんな時代が来て、「工学」に秀 でた操作技師が幅を利かせる時代が来るのではないか、つまり「医学」と「工学」 の領域がコラボする時代が始まっているのではないかと想像したものである。 ともかく、無事に退院できた日の朝は雲一つない秋晴れ。私の気持ちを代弁 するかのような一点の曇りもない青空だった。 幼友達からの見舞いのメールは、「胆嚢を「治す」のではなく、特に必須機能で はない部分臓器を「除去する」手術だから、車で言えば「泥除けを外す」ようなも のと考える。深刻に考えるな。」という内容の妙な慰め方をされた。 帰宅して1週間ぶりに風呂に入り傷跡を眺めたが思った以上に傷跡は小さく、 痛みも日に日に薄らいで回復は早そうだと実感した。 体重は手術の影響と不味い病院食を毎食半分も食べなかった影響で2,5㌔も 減量していた。戊辰戦争関係の本1冊と囲碁の教本1冊を読み切った。 医者は、今後の食生活は脂ものを少し控えれば何を食べてもよし、運動はゴ ルフでも釣りでもどんどんやること、と言われ心強かった。ただ意識的にアルコ ールのことは聞かなかった。もしも今後はアルコール厳禁などと言われたら生き ることが絶望的になる(笑い)からである。 気がかりなのは極端な足腰の衰え。帰宅した夜、トイレに行こうと起き上がっ たらふらついて布団の角につまずき、遂に転倒して障子の桟を大きく破ってしま った。肘と脛あたりに傷がついて血が噴き出したので手当てをした。 この急速な足腰の衰えを何とか回復させねばならないと痛感した次第である。 |