満84歳の誕生日。 21,07,15 なんだかんだ言いながらとうとう満84歳の誕生日を迎えた。我が家の父母の家系は比較 的短命な先祖が多く80歳を超えた人は数少ない。満84歳など昔を思うと、考えられない長 寿である。 時節柄、コロナ禍で派手な誕生祝の会食は敬遠して、家内と近くの寿司屋で形ばかりの 静かなお祝いをした。今更誕生祝でもないことだが、気持の問題である。 思えば満80歳を過ぎたころから体力・気力の衰えはもちろんだが、万病に取りつかれた ように体のあちこちに異常をきたしてきた。車に例えれば、重要な部品が金属疲労を起こ してあちこち故障し、あたかも各部品の寿命が尽きたかのようである。 故障した個所の修理や部品交換ではもはや追いつかず、全部品の取り換えは無理だから、 つまりは廃車が近いということになる。 「老・病・死」は誰にでも必ず訪れる。早いか遅いかの違いだけである。それに対して の覚悟ができているか、備えができているか、いつ何が来ても動揺しない心構えができ ているかどうか、がその人の人生最後の真骨頂なのだろう。 秦の始皇帝は不老不死の薬を夢見て水銀入りの薬を常用し、かえって死期を早めた。 悪あがきする人間の弱さとみじめさを見せつけた。見っともない最後だがそれも人間ら しいと云えば人間らしい。 振り返ってみれば、「老」に対する備え、「病」に対する備え、「死」に対する備え、 それぞれの物心両面の備えが万全かと問われれば、心もとない。心の備えだけは出来 ているつもりだが、それもいざとなった時に、泰然として受け入れられるかどうかは 怪しいものだ。 ただ惨めな悪あがきだけはするまいと思う。ここは場数を踏んで鍛えた胆力。自分の 真骨頂をかっこよく見せて終わりたいものだ。見栄ともいえるが本音でもある。 誕生日の2日後の12日、コロナの第2回目のワクチン接種を受けてきた。我が家から 徒歩3分の葉山福祉会館が会場なので、骨折して杖をついている身にとってはありがた いことである。 お隣の鎌倉市では接種会場までのタクシー券を4枚(2往復分)を無料配布するらしい が、葉山は町内を無料巡回バスが運行している。1回目と同様に整然とした流れで遅滞 なく接種が進められ無事に終了した。 1回目の接種ではほとんど副反応はなかったが、2回目は噂のとおり2日間だるさがあ ったがすぐに恢復した。2回目を終えたからと言って手放しで楽観視は禁物だという。 翌13日、骨折治療中のU整形外科で、先日採血した血液検査の結果の説明があり、 腰椎と大腿部付近の骨密度が低くて危険ゾーンにあり、いわゆる骨粗しょう症で、こ のままでは骨折を再発する危険度が高まるのだそうだ。骨密度を高める「テリボン」と いう注射を2年間毎週1回、合計104週、通院注射し続けることになった。、 骨粗しょう症は、骨を削る「破骨細胞」の働きが、新しい骨を作る「骨芽細胞」の働 きよりも活発になり、相対的に骨量が減少して骨がスカスカに空洞化する症状である。 これを治療するには、骨を作る骨芽細胞の働きをさらに高めるか、破骨細胞の働きを 抑えるかして、この両方が水道の蛇口のように入口と出口のバランスをとって、骨量を 一定に保つ必要があり、「テリボン」は骨芽細胞の働きをよくする薬、つまり蛇口の 入口の量を増やして骨量のバランスを一定に保つ働きをするらしい。これを2年間打ち 続けるのだからかなりに辛抱がいる。寿命との競争だから無駄といえば無駄といえる。 話変わって、すったもんだの末、IOCやJOCや,政府が強引に開催準備を進めた結果、 五輪開催まであと1週間になった。思えば長い論争があった準備期間だった。 何とも不思議な話である。世論は圧倒的に開催中止を求め、医療専門家もマスコミも コロナの蔓延を危惧して五輪開催中止を主張していたが、時がたって開催時期が迫って くると、開催の是非論は影を潜め、有観客か無観客かに焦点がすり替わり、次には有観 客の人数をどうするかに焦点がすり替わった。体のいい条件闘争である。 権力者のごり押し「無理が通れば道理が引っ込む」格好の事例で、大衆は意のままに 唯々諾々として、与えられた五輪という世界最大のスポーツイベントを楽しむことになる。 条件闘争にすり替わるのは世の中にはよくあることだが、「復興五輪」とか「コロナ の克服五輪」とかのキャッチフレーズも、「おもてなし五輪」もすっかり聞かれなくな ってしまった。何のための開催か、大義名分の判らない五輪になった。 さだめし、「やけくそ五輪」とか「コロナ五輪」とでも命名しようか。 仙台市に近い利府町で予定されているサッカーが、有観客か、無観客かで宮城県知事 と仙台市長の意見が対立している。 私のおひざ元の県の話題なので気になる。多くの観客が仙台で飲み食いすることが予 想されるので、感染拡大を恐れ無観客を望む仙台市長の言い分はよくわかる。 経済効果に期待する県知事の言い分もわかるが、ここは「美味しい毒まんじゅう」に は手を出さないのが行政の長の見識と思われるがいかがなものだろうか。 そうは言っても、理性と感情の同一性のない我々一般庶民は、いざ鎌倉となれば、熱狂 してサッカー選手の一挙手一投足に歓声を挙げ、夜の盛り場の国分町は熱狂した酔客で あふれることだろう・・・。 もう年寄りが心配する事が杞憂であることを願うしかない。あとは感染拡大しようが 医者やベッドが不足しようが、なるようにしかならない。寅さん流に言えば、やけのやん パち、日焼けのなすびである。 |