我が家の正月風景。 ![]() 平成31年、平成最後の我が家の正月は、例年通り家族9人の団らんで幕を開けた。 子供たちは大みそかをそれぞれの家庭で過ごし、元日の昼過ぎに続々と来宅した。 暮れから我々老夫婦は正月用の食材の調達と仕込みに大わらわだった。 三崎の馴染みの魚市場でマグロ、カニ、有頭エビ、タコ、などの魚介類を大量に買 い込み、セリ、ミツバ、きんとん、黒豆その他の正月用の食材を地元のスーパーと 馴染みの商店から取り寄せた。蒲鉾や伊達巻などの練り物は、私が懇意にしてい る小田原の老舗かまぼこ店「丸う」から暮れのうちに取り寄せておいた。 今年初めて私が煮しめに挑戦し、30日の夜から作り始めた。家内が参考にと渡し てくれたレシピ本通りに材料を調達し、忠実に下拵えと味付けをし、重箱に詰めるの も工夫を凝らしバランスを考えて彩りよく詰め込んだ。味もまずまずの出来で美観は 相当なものと自画自賛できる出来映えだった。(写真を撮り損ねてしまった。) どこの家庭でもそうだろうが、煮しめ作りにかける女性陣の時間と細かい工夫には 今更ながら敬服する。自分でやってみて初めて納得できる。良い経験をした。 海軍軍人の山本五十六の有名な言葉に、「やってみせ、言って聞かせて、させて みせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というのがあるが、我が愚妻は私を実験台に してそれを実践したようである。 元日の夕食は、和と中華の2本立て。特大の有頭エビの塩焼き、マグロとタコの刺 身、茶碗蒸し、煮しめ、お節の重箱、春巻き、エビチリ、カニ爪のスープ、孫にはさら にとろろ(山かけ用)、末娘の好物のスジコとイクラも用意した。何せ9人前を作るの だから、皿をテーブルに並べるだけで一苦労する。 相当余るほど食卓に並べたが、あらかた売れたのでホストとしては一安心した。 気がかりだった煮しめも好評だったが、エビの塩焼きが最も好評だった。 ビールと焼酎もよく売れたが、禁酒中の私は付き合いの為ほんの一口だけ焼酎 の水割りを飲んだ。久しぶりのアルコールだったがそれだけで我慢をした。 翌2日の早朝から家内と一緒に餅料理の支度をした。例年どおりの献立で、アン コ、キナコ、ゴマ、納豆、ナマス、ショウガ、雑煮といったラインアップである。 子供たちの好みは別れていて、上の孫の好みはアンコ、下の孫はキナコ、息子は オールマイティー、上の娘はゴマ、下の娘は納豆、娘の連れ合い二人は雑煮が好 物である。 我が家の雑煮は東北の田舎風で、お椀にはひき菜(大根、にんじん、ごぼう、凍 み豆腐を細くせん切りにしたもの)が椀一杯に盛られ、ズイキ、しらたき、セリ、カマ ボコも入る具沢山の雑煮である。 雑煮は故郷の宮城県でも家庭ごとに盛り付けも味も違うから、一口に東北流とは 言い切れない。我が家のは亡母流の具沢山の雑煮で、これを食べて私は子供時分 から正月を過ごしたので懐かしい。 婿さんたちはこれがお気に入りでいつもお代わりをしてくれる。孫達も餅を腹一杯 食べていた。やはり上の孫はこしあん、下の孫はキナコが好物でお代わりをしてい た。 箱根大学駅伝を見ながらの食後、しばらくしていつものように9人でトランプに興じ、 記念写真を撮って解散した。子供たちは天気が良いので森戸神社に初詣をして帰 って行った。 我々夫婦は明日浅草の浅草寺に初詣に行く予定なので地元の森戸 神社は遠慮した。 我々夫婦の健康も然りだが、子供たちの健やかな幸せを祈らずにいられない。 最近、特に私の亡きあとに残される妻や子供・孫たちの将来を祈らずにいられない。 年を取ると誰でも皆こうなるのが常のようだ。 遠い昔、関白秀吉も病床で我が子秀頼の将来をかくも心配したのであろう。いつ までたっても親が子を思う気持ちに変わりはないのが不変の真理である。 <その2> 1月3日、浅草浅草寺に初詣。 この日も暖かな風のない天候で絶好の正月日和だった。去年の暮はまさに厳冬で、 家から一歩も外に出られない寒さだったが一転しての陽気である。 今年は少し遠出をして初詣をしようと思い浅草寺に出かけた。明治神宮や鎌倉八幡 宮ほどではないが、浅草寺も結構参拝客でにぎわっていた。 先日テレビで、どこかの神社の宮司がお賽銭の縁起の良し悪しを放映していたが、 5円は縁起良し、10円や100円は悪いと宮司が説明していた。485円は四方八方と縁が あるとの語呂合わせで縁起が良いのだそうだ。これを聞いた家内は親戚全員の幸せ を祈念して485円をお賽銭にするというが、私はいつも10円たまに100円なので、今年 から堂々と5円で統一することにした。宮司お墨付きのお賽銭の金額である。 家内と違って根がケチな私はもったいなくて家内のようにはお賽銭は弾めない。 ![]() 仲見世通りは相変わらずの混雑ぶりだった。参拝を済ませ、雷おこしを土産に買っ た。寺の裏手の言問通りを横切った一角に、今日のお目当ての洋食屋「グリル・グラン ド」があるが、満員で入れず、店を変えて昔からの行きつけの「神谷バー」で昼食を食 べた。家内は初めてだったが、店内のレトロな雰囲気が気に入ったらしく大機嫌だった。 まだ飲んだことがないというので、電気ブランを注文した。電気ブランは懐かしい飲み 物で、貧乏学生のころ浅草に行ってはここ神谷バーでよく飲んだものだ。100年以上も 前からある伝統的なカクテルで、ブランデーとジンやワイン、キュラソーなどがブレンド された琥珀色のグラスが何とも懐かしかった。アルコール度数が40度もあるのでちびり ちびりと2杯も飲んでしまった。 店内は混雑していてひっきりなしに客が入れ替わりするいわゆる大衆酒場の類なの で家内が珍しがって気に入るのも当然だ。おなかが空いていたので、カキフライ、コロ ッケ、ポテサラ、あんかけ豆腐、などを注文し小分けして食べ堪能した。 かくして今年の正月の3日間はあっという間に過ぎてしまい、いつもの物憂げで平凡な 老夫婦の日常生活に戻った。 冷蔵庫には正月の残り物の食べ物や食材がまだたくさん残っている。明日から少し ずつそれを食べつくしていかねばならない。 到着した年賀状は最盛期の半分以下になっているが、やはり年齢相応の体の不調 を嘆く一言が添えられている賀状が多い。88歳になる高校の恩師からは、高齢のため 来年からは年賀を欠礼するとの添え書きがあった。お互いに寄る年波である。 ともあれ読者の皆さん、今年も拙いHPをよろしくご愛読ください。 |