我が家の正月団欒の風景。  15,01,04


   明けましておめでとうございます。本年も拙いHPをご笑覧いただき忌憚のない厳しい
  叱正をお寄せください。

   今年は未(ひつじ)年。より正確にいうと、十干では「乙(きのと)」で、十二支では「未
  (ひつじ)」だから、2015年は干支(えと)でいうと「乙未(きのとひつじ)」ということになる。

   十干は10年、十二支は12年にひと回りするので十干と十二支が組み合わされて同じ
  干支に(えと)になるには、10と12の最小公倍数である60年に一度になる。つまり人は
  生まれた年の干支に巡り合えるのは60歳の時の1回だけであとは2度と巡り合うことが
  ない。
   因みに1937年(昭和12年)生まれの私は、十干では丁(ひのと)で十二支では丑だか
  ら、干支(えと)は丁丑(ひのとうし)になる。この干支は60年後の1997年(平成9年)、
  次は2057年だから生きていれば120歳が丁丑(ひのとうし)の年男。つまり2度と巡り合
  うことは出来ない勘定になる。

   ところで、羊は中国の吉祥動物の一つで群れをなすところから「家族の安泰」を表す
  とされ、いつまでも「平和」に暮らすことを意味しているらしい。また「未」の干支の特徴
  としては「穏やかで人情に厚い」とされているようなので、文字通り今年は平和で穏や
  かな年であってほしいが、世界や日本の情勢はそれを許さない緊迫感が漂っていて
  願いが易々と叶いそうにない。せめて我が家の身内だけでも家族が安泰で平和であ
  ってほしいと願う。

   さて大晦日、長男が年越しと束の間の安息を求めて数か月ぶりに帰宅した。
  元旦には長女家族4人と入籍ほやほやの次女夫婦が来宅し、合計9人の大家族が2日
  間存分に食べて遊んで初詣をして、3日には三々五々それぞれのマイホームに帰って
  行った。喧騒の後には少しけだるいいつもの老夫婦の静寂だけが残った。

   元旦の夜、末娘の新しいパートナーを迎えて9人で初の百人一首遊びをした。
  百人一首は平安・鎌倉期の歌人藤原定家が選んだ小倉百人一首が有名で、雅びな
  和歌とカードゲームを組み合わせたカルタ取りは、江戸時代に至って高貴な女性の
  嫁入り道具として必需の知識だったようだ。遊び方は2人で争う競技かるたや、ふた
  組に分かれて争う源平かるたなどがあるが、最も初心者向きなゲームは読み手が
  上の句を読み上げ始めると、全員で下の句を取り合う「散らし取り」がポピュラーであ
  る。我が家はこの「散らし取り」で遊ぶのが通例で、私も少々の腕は持っているが、い
  つも「読み手」を受け持つことになっている。

   新入りの彼は謙遜していたがなかなかどうしてよく歌を覚えていて、長女に次いで
  2位の成績だった。長女は相変わらず自分の得意札は逃さず取り込んでトップ。3位
  はなんといつものババを抜いて5歳の孫のすずが大健闘で入った。聞けば家で退屈
  なときに百人一首の歌をじっと眺めて覚えるのが好きらしい。末恐ろしいし頼もしい。
  因みにすずの得意札は決まり札の「寂しさに・・・」で、「さ」と読んだだけで電光石火の
  様に「いずこもおなじ・・・」の下の句の札に手が伸びる。
  4位がババで5位が孫のはる。はるは次女のすずに負けたのが悔しいらしく少々ショ
  ックだったらしいが、頭のいい子だからきっと発奮して妹を負かす特訓をすることだろ
  う。はるの得意札は「村雨の・・」でやはり「む」と読んだだけですかさず「霧立ちのぼ
  る・・・」の札を取ってしまう。

   孫2人とも百首ある和歌の8割がた覚えているが急速に得意札が増えていて大人
  顔負けになっている。はるは和歌の詠み人の天智天皇とか紫式部とか蝉丸とかに興
  味があるらしく、時々舌を巻くようなことを事もなげに言うから油断がならない。

   はるは今年小学3年生、次女は今年がピカピカの1年生である。夜寝る時にはジジ
  とババの間で寝るが、寝相の悪い長女は何度もふとんを蹴飛ばし足を私の顔に乗せ
  てくる。その都度布団をかけ直してやるが本人はまるで気が付かない。こんな可愛い
  孫と添え寝できるのもジジババの特権である。


   翌2日の朝、老夫婦は早朝から餅料理の準備で大童だった。餅つき機を初めて使っ
  たがなかなか調子がいい。作った餅の種類は、あんこ、きなこ、ごま、くるみ、辛み、
  ズンダ、しょうが、納豆、雑煮、の9種類。

  暮れに「いわて銀河プラザ」で買った具材が大活躍した。食べ易いように皆で搗きた
  ての餅を小さく丸め、それぞれの具材と絡めて食べたが、なにせ食い盛りの面々だ
  から、あっというまに7合搗いた餅を食べ尽くし、買い置きしておいた切り餅を追加す
  る有様だった。

   新入りの彼は具だくさんの東北の雑煮を気に入ってくれたし、孫のはるの好物は
  ”あんこ”、すずの好物は”きなこ”なので2人とも腹一杯に大好物を食べて大満足の
  様子だった。ジジババはじめ伯父さん叔母さん達からお年玉をもらって、ご機嫌で意
  気揚々と帰って行った。

   
   翌3日、葉山の森戸神社に初詣。森戸神社は源頼朝が治承4年(1180年)源家
  ゆかりの家臣を引き連れて安房で旗揚げに成功した時、伊豆の三島神社から勧請
  した三浦半島きっての由緒ある神社である。神奈川名勝100選に選ばれているこの
  景勝地から相模湾を眺めると、富士山には少し雲がかかっていて威容は見えなかっ
  たが、丹沢、箱根、天城連山から伊豆までよく見渡せる久し振りの快晴で、湾内には
  ヨットと釣り船があちこちに浮かんでいた。

  息子と娘たちは参拝の後でお祓いをしてもらうとの事なので我々夫婦は一足先に帰
  宅してゆっくりとテレビで箱根駅伝を観戦した。夜に布団に入りしばしの読書を楽しむ
  のもいつもの通りで、今読んでいるのは孫崎亨の「小説・外務省」。尖閣問題につい
  て元外務官僚が論じている視点が興味深い。

   かくして2015年の正月もあっという間に過ぎていつもの平穏な日々が戻ってきた。
  明日と明後日は友人との約束で囲碁を打ちに友人宅を訪問し、翌日はメバル釣りの
  予定である。

   ここ数年若干マンネリなのが気がかりだが、引き続きHPのご愛顧を希う次第。