新春雑感。 ![]() 元旦から痛ましい事故のニュースが2つも飛び込んできた。能登の地震と大津波、 JAL機と海保機の衝突炎上である。私の弟夫婦は能登の志賀町に住んでいるの で心配したが、幸い正月は子供家族のいる姫路に滞在していたので無事だった。 連日紙上を賑わせているのが、政局では自民党安倍派の裏金疑惑の露呈。自 民政権の土台骨が揺らいでいる。 海外ではウクライナ紛争やパレスチナ紛争、中国や北朝鮮の不気味な動向、さら には11月の米国大統領選、ロシア大統領選など、大荒れの1年になる予感がある。 辰年は異変が多いと聞くが、私が元気で生きていればこれら生臭い歴史の傍観者 になれるだろう。 新春雑感を3つ程。 1,寒ブリ 氷見の寒ブリは有名なブランドだが、能登に住む弟が年末にお頭付きの大きな 寒ブリを送ってきた。10キロ前後と思われるブリの半身だが、手持ちの出刃でさ ばくのに大変苦労した。 何とか頭とカマと身に解体し、頭は兜割りにし、身は赤身、中トロ、大トロに 柵切りにした。かなり体力を要して腰の痛みがひどくなった。 ブリ大根、刺身、しゃぶしゃぶ、照り焼き、カマは塩焼きにしたが、正月に来宅し た息子達9人には大好評だった。 2,家訓 親父が残した遺品に、家訓として残した短冊が見つかったが、「不自由を常と 思えば不足なし」 と毛筆で書かれていた。 しかしこの一文は、徳川家康の、かの有名な遺訓、「人の一生は重き荷を背負 いて遠き道を行くがごとし」の後段の言葉だから、家訓にしたのは親父がよほど 家康にほれ込んでいたか、または盗作か引用かのいずれかである。 まさか親父が自分で考えた家訓で、たまたま家康の遺訓と偶然一言一句一致 していたとは考えられない。 その後に生まれた長男(私)の名前に「康」の漢字を使っていることを考える と、おそらく親父は家康びいきだったのではなかろうか。 しかし、私はあまり家康に好感を持ってはいない。関が原はじめ幾多の戦いで 並みいる敵を打ち破り、天下統一の偉業を成し遂げた家康だが、池波正太郎の 長編小説「真田太平記」の影響を強く受けている私にとっては、家康は真田昌幸 ・幸村親子の不倶戴天の敵だったからである。 しかし、たとえ親父の残した家訓が家康の遺訓の盗作又は引用だったとしても、 我々子供にとっては大切な家訓であることに変わりはない。 3,死生観 最近しきりに「死」のことが頭に浮かぶ。やはり86歳という年齢のせいだろう。 足腰の痛みや持病の心臓に危険を感じ、気力の衰えもとみに感じる昨今である。 新聞記事の訃報欄を見ると、私と同年配以下の人の訃報が増えていてひしひ しとその時が近づいているのが感じられる。従容として死を受け入れる覚悟は あるが、命の残り火を大切にしたい気持もかなりある。 私と同い年86歳の養老孟司の最近の言葉 「死を思え、今を生きよ」という 言葉に出会った。言い方は違うが私の死生観と同じ意味だろう。 私は健康という概念を体の健康と心の健康に分け、肉体的な衰えは天命だが、 精神的な衰えを防ぐ心の健康を保つキーワードは「好奇心」と考えている。 好奇心が旺盛ならばまだまだ心の健康は衰えない。好奇心が衰えたときに確 実に死に近づいている、と考えてきた。 多くの人の死生観を見たり聞いたりしたが、所詮は人生の終わりが近い人は 誰でも行きつく心境は同じで、大同小異、陳腐と言えば陳腐だ。 皆さんは如何考えているのだろう。 正月早々あまりいい話題ではなかったが・・・・。 |