終の棲家                                              06,06,16

夫婦が終の棲家を決めた時には赤飯を炊いて記念のお祝いをするものといわれます。ようやく我が家にも赤飯を頂く機会が
訪れました。永年の懸案だった菩提寺の移転先を名勝の地北鎌倉の時宗「光照寺」に決め、ここを終の棲家とすることにしま
した。亡父母が眠る宮城県栗原市若柳の甘露寺には昭和21年から60年間お世話になりましたが、去る5月23日抜魂法要を
済ませ墓地を整地して同寺を引き払い、遺骨を持ち帰って6月4日に光照寺で開眼・納骨法要を執り行う事ができました。亡父
が旅立ってからちょうど60年、亡母10年の節目となる今年の一大イベントでした。時宗(じしゅう)は禅宗の多い鎌倉には珍し
い浄土宗の流れを汲む宗派で一遍上人が開祖といわれます。我が家の菩提寺は浄土真宗ですが父方の先祖の菩提寺は
浄土宗なので特に違和感は無い選択でした。光照寺は北鎌倉の駅近くにあって、こじんまりとした閑静なたたずまいのお寺
で、住職さんも気さくで洒脱なお人柄、終の棲家にするにはもってこいのお寺です。昨年年末から各所のお寺や霊園を見て
廻りましたがようやく気に入ったお寺にめぐり合うことが出来ました。納骨法要の時には私の兄弟4人とその子供・孫達総勢
18名が能登、古川、姫路、東京から我が家に駆けつけ賑やかに父母の菩提を弔ってくれました。我が家の親子5人が揃うだ
けでもめったに無いことなのに係累がこんなに18人も集合したのは初めてのことでこれも亡父母の導きかと感無量の思いで
した。


  古い人間の常識では、お墓は2〜3m四方の地面の周りに
  縁石と玉砂利が敷かれ伝統的な縦長の墓石が何段かあり、
  「○○家の墓」と記されているものです。しかし最近の主流は
  狭い墓地に写真のようなコンパクトなお墓になってきました。
  1,1uの狭い墓地ですが角地なのでご覧のように右と後ろに
  共有地の樹木が植えられていて、一見わが家の墓地の敷地
 かと思えるところがミソです。
    全員の記念写真です。
    亡父母から見るとひ孫が4人も来てくれました。


    懸案だった墓地の移転が無事に済み、これを
    きっかけに親族の交流が少しでも深まれば私と
    しては言うことは無い。

  なにせこの写真の一番年上と一番年下では67
  歳の年の差があるんだから・・・・。

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