お盆と鰻(うなぎ)。                      12,08,15

   甲子園が高校野球で湧き、さしもの夏も峠を越して秋の気配が忍び寄ってくると旧盆がやってくる。
  我が家の宗派は浄土真宗だが、宗派の教えとして、故人はすべて極楽浄土に往生していると考える
  ため迎え火・送り火は行わない。お盆の間は盆提灯を飾って、仏さまと先祖に報恩感謝をささげるの
  が真宗の風習となっている。

   何時のころからか我が家では、息子がお盆に帰郷すると、家族みんなで墓参りをして鎌倉の某老
  舗うなぎ屋でうな重を食べ、そのあと息子が帰京するのが習わしになっている。うな重は息子の大好
  物なので、年に2度しか葉山に帰れない息子の喜ぶ顔を見たい親のささやかなもてなしなのである。

   今年の土用の丑の日は7月27日だったが、我が家の丑の日はひと月遅れの8月15日ということに
  なる。そもそも今のように土用にうなぎを食べる習慣が一般化したきっかけは、幕末の万能学者とし
  て有名な平賀源内が、夏場にうなぎが売れないので何とかしたいと近所のうなぎ屋に相談され、「本
  日、土用丑の日」と書いた張り紙を張り出したところ、大繁盛したことがきっかけだといわれている。
  真偽の程は知らないが、お盆の中日が我が家の「うなぎの日」であっても少しもおかしくない。

   それはさておき、数年前から懸念されていたが、養殖用の稚魚のシラスウナギが捕れていない。
  不漁続きの近年でも今年は際だっている。価格は高騰を超えて暴騰の域といい、蒲焼き店の廃業
  も出る深刻さという。うなぎは昔日の「特別なごちそう」に戻ったような印象だ。

   先月の土用の丑の日、朝日新聞天声人語の話題はうなぎだった。〈素通りはさせぬと鰻(うな
  ぎ)屋のにおい〉
 うちわでパタパタとあおいで、炎暑の街に香ばしいにおいを流してよこす風景
  は誰でも経験があるはず。この句との掛け合いでもあるまいが〈うなぎ屋の前でともかく深呼吸〉
  
が笑わせる。においをしっかり鼻で味わい、さて、暖簾(のれん)をくぐるか立ち去るか。思案のし
  どころ。と締めくくっていた。

   数年前、食通の池波正太郎の通った店を探訪して立ち寄った鰻屋に、浅草の「前川」や銀座の
  「竹葉亭」がある。あの店の淡白なうな重はまだやっているのだろうか。うなぎを手軽に食べた昔
  が懐かしい。若いころ愛知県に出張した時、行きつけの名物うなぎ屋があって、よく二重になった
  うな重を食べたものだ。関西特有の腹開きで、関東のように蒸さないので歯ごたえがあって味は
  濃厚だった。慣れない関東の人はガムを噛んでいるようだというが慣れれば結構いける。

   先日、うなぎの完全養殖に成功!との記事があった。朗報だが1匹育てるのに10万円の費用が
  掛かるそうで、まだまだ実用化には程遠い。平賀源内ならこの高値のうなぎをどのようにして庶民
  の手の届くようにするのだろう。今はやりの「代用品」サンマやアナゴ、豚バラのかば焼きで我慢せ
  よということか。鰻が高嶺(高値)の花になったのが恨めしい。


   とまれ今年も財布のひもを緩めて、やせ我慢の笑顔で家族にうな重をふるまった。値段の程は
  はしたないから触れないことにする。なお今朝、先日釣りたてのメバルの煮付けとアジの塩焼きを
  遠来の息子にふるまったのは言うまでもない。