我が家のお盆行事。 ![]() 今年は異常気象の連続である。冬には各地が豪雪に見舞われ、交通機関はマヒし、 がけ崩れが多発して道路が寸断され、積雪で家屋は倒壊し孤立した多数の住民が圧 死するという被害が続出した。この異常気象は地球温暖化の影響かと騒がれたのが つい昨日のことのようである。 喉元過ぎれば熱さを忘れる、というが、そんな豪雪の被害があったことなどとうの昔 話のように、今度はこの記録的な猛暑の到来である。各地で40度を超す熱暑に見舞 われ、熱中症で倒れる老人が続出し、救急車で病院に運ばれた。 まるで熱帯地方のような連日の真夏日である。仙台では8月初めに37度を超す猛暑 を記録したと伝えられたが、私が子供のころには30度を超す暑さにはめったにお目に かかったことはなかったと記憶している。 クーラー病などとは言っておられない。エアコンは昼も夜もつけっぱなしが続いた。 加えて変則的な台風が日本を襲った。太平洋高気圧とシベリア高気圧の狭間で、北 上した台風が本州南で逆戻りして四国・九州を直撃するという、かって聞いたことのな い異常台風が列島に被害を及ぼした。 こんな異常気象の中でも日本中がしたたかにお盆行事を楽しんだ。開催が危ぶまれ た隅田川や秋田の大曲、新潟の長岡などの花火も例年通り打ち上がったし、我が葉 山、逗子、鎌倉でも花火が打ち上がった。先日の東京湾の夜メバル釣りでは、横須賀 の花火が派手に打ち上げられたのを海上から堪能した。 全国各地で恒例の盆踊りもにぎやかに行われた。トラブルはあったが四国の阿波踊 りも何とか実施された。東北のねぶた、竿灯、花笠、七夕、さんさ踊り、野馬追いの6大 夏祭りも例年通り行われた。日本人はなんともお祭りが大好きな民族である。 我が葉山のお祭りでも神輿を担ぐ若者衆は威勢よく声を発し、逞しく頼もしい。 我が家のお盆は浄土真宗の習わしで、迎え火や送り火の風習はない。慎ましく仏前 に花や果物を備え、ささやかにお盆を迎える。今年は何となく思いたって、もち米を炊 き、アンコ、ゴマ、きな粉をまぶした「おはぎ」を作って墓前に供えた。 孫達が夏休みの最中なので、例年のように観音崎ホテルの昼食バイキングに出か けた。今月はカレーオンパレードのバイキングで世界各地の珍しいカレーが並んだ。 が、私はスタンダードなカレーが好みで、例えばスープカレーなどは好みではない。家 内も娘親子もあれこれ好みのカレーやラザニアなどを選んでいた。もちろん孫たちの お目当ては食後のデザートで、何度もお代わりをしていた。 ”里帰り 孫が来るたび 諭吉去り。” 週末の土曜日夜、長男が正月以来2度目の帰郷。多忙で盆と正月の年に2度しか帰 宅できない息子に、家内は何か美味しいものを食べさせたいと数日前からそわそわし て準備をしていた。 翌日北鎌倉の光照寺と建長寺に墓参りをし、昼食は例年通り鎌倉の鰻屋”茅木屋” でうな重を注文した。ウナギの品不足で値段高騰と世間で騒がれているが、この老舗 うなぎ屋はまだ我慢して値段を据え置きしているとのこと。いつまで続けられるか?と 店では不安視していた。 親子連れで墓参~鰻の昼食のパターンはもう10年以上続いている。息子は色々な うなぎ屋の中でここ”茅木屋”のうな重は、甘すぎず、柔らかすぎず、一番自分の好み に合っていると、目を細めて喜んでいた。 飯の前にいつもの通り、ウナギの肝和えと板わさ、日本酒の冷やを飲み、うな重を 食べながらビールを飲んで満足げだった。例年ならば息子の席の隣に末娘が座って、 息子と杯を傾けるところだが、今年は若夫婦で北海道旅行中ということもあって欠席。 息子は息の合う話相手がいなくて少々寂しげだった。 結局、今年の我が家のお盆行事は、長女家族とは観音崎ホテルバイキング、長男 とは墓参と定番のうな重昼食になった。一足遅い我が家の”土用の丑の日”である。 何と言っても親は子供の喜ぶ顔を見るのが一番の幸せというもの。かくして今年も我 が家のお盆は終わった。 これが”茅木屋”伝統のうな重”上”です。 |