入院見舞いのお礼。   20,06,15

   先月末、急性胆嚢炎というハプニング病で9日間も入院したとHPにアップしたところ、
  あちこちから見舞いのTELやメールを頂いた。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

   我が家から離れて暮らす子供たちや、弟妹や親戚、釣りやゴルフ仲間は勿論だが、
  特にうれしかったのは高校時代の同級生、T・C君からの暖かい激励のブログだった。

   彼はさいたま市の白鍬に住んでいるので彼のブログ名は「しらくわ人物語」という。
  ほぼ月に一度UPされていて、ご近所の散歩道に咲く季節の花の紹介など、彼独特
  のほのぼのとした文調で書かれた近況を読むのをいつも楽しみにしている。

   同じ高校時代の同級生で今は亡き作家の内海隆一郎君に似た平易でアットホーム
  な文章は、少々硬すぎる私の文章の及ぶところではないといつも感心している。もう
  数十年も会っていないが、彼の近況を記したブログに魅了されて、まだまだ競うよう
  にHPを続けたいと思っている。

   T・C君。

   どうやら我々老体はまだまだこの世に未練があるらしく、しぶとく病気の都度、娑婆
  に復帰していますね。先日医者との面談で私は8月中旬に胆嚢の摘出手術をするこ
  とになりました。なに、君の大病に比べれば屁の河童の手術です。

   馬齢を重ねて私も来月7月10日で満83歳になります。君の3か月遅れです。昔には
  考えられない高齢者になってしまったが、まだまだこの世に未練たっぷりのこの頃で
  す。

   私の病気の事よりも、君こそ昨年のご舎弟さんのご不幸や最近の健康不安など、
  重なる心痛な出来事に心から同情しています。

   ほぼ67年前、東磐井郡の大原町から山汽車(大船渡線)に乗って一関一高に通っ
  てくる秀才の誉れ高い君が、伝統の応援団で、弊衣破帽、腰に手ぬぐい、高下駄を
  履いたバンカラ姿で応援歌を歌って、団員を鼓舞していた姿を今でも微笑ましく思い
  出します。

   卒業後いち早く小樽で学ぶ君が羨ましかった。その後しばらく交流が途絶えたが、
  お互いに現役のサラリーマン時代、弊社が一関に近い金が崎町に工場を建設する
  ことに決め、岩手県土地開発公社と工業団地の敷地96万㎡を購入する契約を交わ
  したとき、まだ新聞にも地元テレビにも公にしていないその情報をどこから得たのか、
  いの一番に祝福の電話をくれたのが、当時H開発公庫の要職にいた君だった。

   さすが天下のH開発公庫、並みいる他の銀行に先駆けて情報入手するその速さに
  舌を巻いたものだった。

   やがてマスコミに報道されるや、自動車産業初の東北進出というニュースに岩手県
  の政財界は慌ただしくなり、君の次に電話が来たのが地元のK銀行、次が同じ同級
  生のS・K君の勤務するT銀行、次が県の主力銀行のI銀行だった。ツテを求めて来社
  する大小ゼネコンや怪しげな政治団体、生保や証券会社も後を絶たなかった。

   勿論、貴公庫やメーンバンクのM銀行はじめ地元の各銀行には、その後融資やら
  進出の便宜など一方ならぬお世話になったものです。私も、第2の故郷一関の近くに
  工場を建設するので、諸準備のため頻繁に帰郷したものです。

   厳美渓の渓泉閣だっただろうか、同級会の朝の解散のロビーで、君のブログを知
  り、以来ずっとブログを見るのを楽しみにしています。洒脱な君のブログはいつも私
  の鏡です。

   それに私のHPの駄文をいつも読んでくれて有難う。それを励みにできるだけ駄文
  掲載に努めるつもりですが、なにせ出歩くことが少なくなって、いわゆる情報不足、
  書くことがなくていつもマンネリで、これではいかんとネタ探しに苦労しています。ネタ
  作りのために生きているような生活です。

   この度の入院騒ぎでも口の悪い釣り友達は、「柄にもなく身分不相応な大鯛を釣っ
  たから、海の神様の逆鱗に触れて罰があったのだ。」と私をからかって見舞ってくれ
  たが、大鯛の釣果は私にとっては近来にない格好のHPのネタになったと喜んだもの
  です。

   心臓病、糖尿病、今回の胆嚢炎、加えて足腰と視力の衰えと、満身創痍になっても、
  なんとかHPを続けているのは、ひとえに貴方のブログに刺激されているからでしょう。

   君のブログがUPされるたびに、よぼよぼになってもまだ元気なのだなと喜び、私も
  残された時間が許す限り、「晴耕雨読」ならぬ 「晴釣雨碁」に親しみ、時々の散歩や
  読書、たまの旅を楽しみたいと思っています。

   いつまで続くか時間の問題ですが、天の許す限り、それまでお互い刺激しあって
  元気な記事をUPしましょう。

   「 馬上少年過ぐ、世平らかにして白髪多し、
、   残躯天の赦すところ、楽しまずして是を如何にせん。  」             
                    伊達 政宗