アジ釣りと孫誕生。 ![]() 10月29日午後5時過ぎに娘に2番目の孫が誕生した。たまたま東京湾でアジ釣りをしていて、大きな魚信 があり、慎重にリールを巻き上げている最中に携帯が呼び出し音を奏で、糸を巻上げアジを取り込む慌し さの中で携帯をとると、「生まれそうだ!」という一報が届いた。 秋の日はつるべ落としというが、夕方の5時ともなると、東京湾の夕日はいつの間にか西に沈み、薄墨を 流したような水面に数条の残光が走っている。フト何かを思い出し、記憶を辿っていたら同じような光景の 一文があった事に気が付いた。私には夕日の沈む東京湾でアジ釣りの最中に朗報が入ったが、徳富蘆花 は夕日の落ちる逗子湾でアジ釣りの最中に、葉山のお寺の鐘の音を聞いていたはずだ。早速調べてみた らやはり徳富蘆花全集に「鰺釣り」という一文が載っていた。本題から外れるが、夕日の沈む相模湾の見 事な描写のくだりを少々。 「釣瓶落としという秋の日は、箱根の駒が岳の上に落ちかかって、富士の頭は早や紫に染まってきた。 風はすっかり凪いで、落日の影ゆらゆらと水の上に金を流している。百舌も鳴きやんで陸の方に唖々と 烏の声が聞こえ始めた。実に静かな秋の夕べだ。空高く、海渺々として風なく波なく、夕日の光獨り此間 に満ち満ちている。・・・中略・・・。富士、江ノ島、足柄、箱根、真鶴が岬から伊豆の天城山は、西日の光 にはっきりと際立ち、右手のほうを見ると近くて葉山、遠くて三崎、三浦半島は縦に短く走って、天城と三 崎の中程には伊豆の大島がほのかに見える。・・・後略。」 作家とはかくあるものか、実に見事な描写である。そして本命の鰺釣りのくだり、「来たな!繰り上げる 糸の末を見ると、果然鶯茶の背に、銀色の腹をした、眼の大きな、口の透き通った5寸位のやつが、溌剌 と上がってきた。しばらくして自分の指先にかけた糸がピクリ。しめた。糸を手繰ると、重い。大きいぞ。そ れ上がった。また鰺だ。1尺はたっぷりあろう。・・・後略。」 そしていよいよ、「また暫く釣っていると、大方 葉山の寺で撞きだしたのであろう。鐘の音が一つぽーんと海面に響いてきた。・・・後略・・」と続く。 先日葉山の古老に聞くと、葉山のこの寺の鐘は拙宅から徒歩10分ほどの「光徳寺」の鐘で、この寺では 今も、朝、昼、夕方の1日3回、時を告げる鐘が鳴らされていて、蘆花の時代にも鳴らされていたらしい。 ともあれ、蘆花は夕方の鰺釣りの最中にお寺の鐘の音、小生は夕方の鰺釣りの最中に孫誕生の携帯の 呼び出し音と、鐘の音と携帯音では大いに趣がちがうけれども、夕方の鰺釣りの最中に耳にした出来事 としては共通点があるのでふと頭を掠めたのだろうか。人間の潜在記憶力の不思議というべきか。 孫は予定日より10日ほど遅れて誕生したが、3012グラムの色白の女の子。母子ともに健康だったのが うれしい。先日の小鯛はとうに食べてしまったので、これでは近く、大鯛でも釣りに行かなきゃなるまい。 |