愛蔵品の万年筆。       22,03,23

   我が家の梅の花が散り、木蓮やあんずの花が満開になった。鶯の初鳴きも耳にした。
  間もなく桜が咲く。桜が咲き始めると孫達の学校も新学期を迎える。

  上の孫娘は高校入学、次女は中学2年生となる。早いもので、ついこの間までアンパン
  マンに夢中になっていたのが昨日のように思い出される。我々夫婦も歳をとったものだ。

   孫娘の高校入学祝に何をプレゼントするか考えていたが、読書や作文が好きな孫なの
  で記念に万年筆を贈ることに決めた。

  現代の世の中はパソコンかスマホがもっぱら連絡手段になっていて、万年筆を使う機会
  が少なくなり、何かを書く時には使い捨ての格安のボールペンか鉛筆で事足りるように
  なって万年筆の出番はなくなっている。しかし万年筆は永く愛用すると手放せなくなる
  愛蔵品なので、前途ある学生には記念品として適当だろうと思いついた。

   横浜の「有隣堂」は昔から書籍の他に文房具も扱っているので、名前入りの万年筆の
  注文について問い合わせたところ、高島屋の5階にある「伊東屋」という専門店の方が
  品ぞろえが豊富だと紹介されたので、天気の良い日を選んで久し振りに電車に乗って
  横浜まで出かけた。

   親切な店員とあれこれ物色して検討し、孫の好みそうな渋いブルー一色のパーカーの
  一品を選んだ。いつまでも大事にしてくれるように少々値が張るが高級感のある万年筆
  が選べた。オプションとして孫の名前を横文字で入れた。家内も気に入ってくれた。

   来週孫の卒業式らしいので、その時娘たち家族とどこかで会食してその時にお祝いと
  して渡すつもりである。孫が気に入って永く愛用してくれるだろうか。喜ぶ顔が目に浮
  かぶ。

   私は最近は手紙や書類を書く習慣がほとんどなくなったが、プラチナ、パーカー、モ
  ンブラン、シェーファー、パイロット、セーラー、ウオーターマンなどの万年筆を10本
  ほど持っていて愛用している。いつでも使えるように丹念に手入れだけはしている。

   その時の興に任せて万年筆を選び、太字・中字・細字を使い分けているが、最近では
  ペンを持つ機会がめったになくなったので、ペンだこも無くなったし、書いた文字の美
  醜にも無頓着になってしまった。それでも正月に届く年賀状に書かれた見事な筆跡を眺
  めると、その相手を偲び、書かれた文字に見とれるのも正月の楽しみである。

   私の知人で中央公論社の編集部次長だったS氏はオーディオ評論家、ワイン研究家、
  料理研究家の肩書を持つ多彩な趣味人だが、世界の名品といわれる希少価値のある
  万年筆のコレクターとしても有名である。

   S氏は「華麗なる万年筆物語」というおそらく世界でも類を見ない大変ユニークな画
  集を出版している。オマスの「ボローニャ」アウロラの「ユビレウム」モンブランの
  「セミラミス」など幻の万年筆50数本を美しい写真入りで解説し、さらに古今東西の
  世界の著名人の直筆の手紙を載せて直筆の素晴らしさを紹介しているのが秀逸で
  見飽きない。
  
   20年ほど前に、彼がパソコンの普及で人間は「書く」という作業を手放してしまった。
  と嘆いていたことを思い出す。

   彼によれば「機械からパターン化されて印刷された文字には人それぞれの個性や味な
  どひとかけらも残していない。じかに紙面に文字となって現れる手書き文字には、個性
  と生命を宿している。他の誰のものでもないあなたの想いが、あなたの手の働きによっ
  てあなたの字になり、読む人の心に届く。手は文字通り、頭脳の使者である。」
  そして「愛着のある使い慣れた万年筆を持つと、自然にすらすらと勝手にペンが動いて
  くれて個性あふれる文章が現れてくる。」と述懐していた。

   個性ある良い文章を作るために、面倒くさがらずに愛用の万年筆で文章を書く習慣
  を復活させるのも悪くはない。

   万年筆が親子の話題になった途端、家内と娘が私の愛蔵している万年筆を譲って
  欲しいと言い出したので、気に入ったものを形見として選ばせた。家内はシェーファー
  を、娘はバーバリーを選んで早速愛用し始めたようである。

   中国には「三上(さんじょう)」という言葉がある。文を練るのにいい場所として、
  馬上、枕上(ちんじょう)、それに厠上(しじょう)の3つの場所が適当だという。

   馬上は今で言えばさだめし電車の中、枕上は寝床の中、厠上はトイレの中。私は寝
  床の中がお気に入りだが、人それぞれ得手の場所で好きな本を読んだり手紙の文章
  の推敲をするのがよさそうだ。そして時にはお気に入りの万年筆の出番を用意したい。

   孫娘もブルーのパーカーを愛用して、一生の宝物・愛蔵品にして欲しいものである。