金澤翔子書品展。     18,05,04

   建長寺で金澤翔子の書展が開かれているので、墓参りを兼ねて5月3日の憲法記念日
  に出かけてきた。鎌倉駅から八幡宮~建長寺~北鎌倉駅とつながる県道21号線は行楽
  シーズンとあって人・人・人で途切れることがない。車道も混雑していてわずか3キロの道
  が30分以上もかかる。これから6月のアジサイの季節までお寺巡りなどの行楽客で益々
  にぎわうことになる。

   毎年この時期に金澤翔子書品展が開かれていて、今年が10回目になるそうだが、4年
  前に一度見に来たことがあり、今年で2度目になる。若い若いと思っていたが金澤翔子
  さんはもう32歳になるそうだ。お母様の金澤泰子さんも書道家だが、会場で皆さんと一緒
  に歓談されていた。
書展の会場は今年も建長寺の奥の方丈(竜王殿)だった。

    


   この竜王殿には懐かしい思い出がある。

   心字池に面した竜王殿の一室で1939年に呉清源と木谷実が鎌倉10番碁を打っている。
  その時の碁盤が見たくて、20数年前に建長寺を訪れ、特別に当時と同じ一室に碁盤を運
  んでもらい、実際に石を並べて碁盤と碁石の感触を味わっている。導師の原さんと一緒に
  碁盤に向かい合って記念写真を撮っている。私もあの頃は好奇心旺盛だった。

   ダウン症の天才書家金澤翔子さんの書は、構図の大胆さ、字体の迫力、とにかく並では
  ない。大胆奔放だけではなく「般若心経」の写経などは升目一杯に几帳面で力強い楷書で
  書き上げている。東日本大震災を悼んで書いた「共に生きる」という書は感情が胸に迫る
  力作だった。


   今回の展示は10年間の中で本人が最も気に入っている書を選んで展示しているので、
  どれも素晴らしい力作揃いで見ごたえがあった。

   母親の泰子さんは家内の知人の娘さんなので家庭環境を少しは知っていたが、たまた
  ま本人が来ていたので少ししゃべる事ができた。翔子さんは書体の奔放さとは無縁の無
  邪気な女性だった。

   母親であり書家でもある金澤泰子さんは 「娘は染色体が普通の人より1本多いダウン
  症だが、その1本は、私には神が授けてくれた「愛」という染色体に思える。娘の書には私
  が長年どうしても表現できない「愛」が事もなげに表現されている。」と語っていた。
  身内の母親でなければ言えない言葉だと思った。

   ダウン症の娘の先々を考えて、昨年からマンションの一室を借りて一人住まいをさせて
  いるそうだ。火の始末や食事作り、買い物から身支度まで、大変危険で大胆な決断だが、
  母親の勇気と本人の努力で今では常人と変わらぬ生活をしているとのことだった。
  献立を考え、スーパーで買い物をし、料理を作り、きちんと後片付けまでできるそうだ。

   下の写真は「六龍」 (易経)
  人が一生のうち何度も繰り返す成功と失敗、栄枯盛衰を龍の成長になぞらえた言葉で、
  平成30年度の最高傑作といわれる。
  「龍」の六文字がすべて形が違うことに注目。翔子さんはいとも簡単に、自由奔放に書き
  上げている。


      

    下は翔子さん、泰子さん親子が会場でサインをしてくれている風景。
    翔子さんの今年の目標はダイエットだそうです。

      

   私も昔は書体の美しさや楷書・草書など習字にこだわった時期があったが、いつの
  日か「美しい字を書く」などはどうでもいい些細なことだと気が付いてもう数十年になる。
  以来まったく字をきれいに書くことに興味がなくなって久しい。

   しかし中国の書をはじめ優れた「書」を鑑賞するのは相変わらず興味がある。

   書品展を鑑賞し、家内の両親の墓参りをして、市内の目抜き通りで昼食を食べる
  つもりだったが、駐車場がどこもかしこも満車で駐車できず、やむを得ずスーパーで
  買い物をして帰宅した。ゴールデンウィークには狭い鎌倉の中心地には車で来るも
  のではないと改めて感じた。