鎌倉散策。 ![]() 春の日差し一杯の今日は憲法記念日。今日帰宅する予定だった東京に住む末娘が 風邪をこじらせて寝込んで帰れないというので、家内と二人で北鎌倉の寺に墓参りに 出掛けた。いい天気なので北鎌倉から鎌倉までは歩くことにした。ゴールデンウィーク だし人気の散歩コースなので多くの人出で賑わい、古い鎌倉を知る私などは面くらって しまう。 菩提寺の光照寺は行楽地の喧騒から隔絶したように静かな雰囲気を醸し出し、季節 の花がひっそりと咲いていた。シャクナゲが特に見頃だった。図鑑で品種を調べてみた が、「アズマシャクナゲ」、あるいは「タイヨウ」のどちらかのようだ。 建長寺では三門の下で住職が参拝者に法話を話していた。法は法でも憲法の法では なく法話のほうである。(ダジャレ?) 鶯とホトトギスの鳴き声、夏目漱石と芥川龍之介 の出会い、東日本大震災の話から禅の話まで、判り易く説得力のある法話だった。 訊けば住職は仙台出身だそうだから震災について特に熱心だったのも頷ける。 奥の方丈(竜王殿)で書家の金澤翔子の書展が開かれていたので立ち寄り鑑賞した。 毎年5月3日には、ここ建長寺で金澤翔子書展の開催が恒例になっているとの事だった。 ダウン症の天才書家金澤翔子の書は、構図の大胆さ、字体の迫力、とにかく並では ない。大胆奔放だけではなく「般若心経」の写経などは升目一杯に力強い楷書で書き上 げていた。彼女の書はNHKの大河ドラマ「平清盛」の雄大な題字を書いたことで知る人 も多かろう。 家内の知人の娘さんなので家庭環境を少しは知っていたが、たまたま本人が来て いたので少ししゃべる事ができた。書体の奔放さとは無縁の無邪気な女性だった。 般若心経を書くときには居眠りを何度もしながら書き上げたと笑いながらたどたどし く裏話を打ち明けてくれた。 母親であり書家でもある金澤泰子さんは 「娘は染色体が普通の人より1本多い ダウン症だが、その1本は私には神が授けてくれた「愛」という染色体に思える。 娘の書には私が長年どうしても表現できない「愛」が事もなげに表現されている。」 と語っている。 総門から仏殿にかけての参道を、真紅や紫、薄桃色のボタンが彩どり、参拝客 が大勢写真を撮っている。鎌倉五山第一位の奥行きのある寺だけあって、いつ 行っても何かしら発見できる見ごたえのある寺である。 建長寺から坂を下り、八幡宮を経て小町通りで昼食を食べた。小町通りは次々 に店が新しくなり昔の面影のある店は数えるほどしかない。我々が入った店はトン カツが名物の「こまち」。60数年前から開業している老舗で、ほぼ40年振りに名物 のトンカツを食べた。少しも味は変わらなかった。50数年前の学生時代、バイトの 金が入った時、清水の舞台から飛び降りる気持ちでこの店のトンカツを食べたも のだが、今の主人は3代目だそうで当時の事をうろ覚えに覚えていると懐かしげに 語ってくれた。 「こまち」のトンカツ、「ひろみ」の天ぷらは小町通りにある手の届かない垂涎の 食べ物だった。永井荷風や五味康祐や大佛次郎なども着流し姿でよく見かけた 記憶があるが確かではない。さだめし池波正太郎が食したら絶賛したであろう食 通が好む店だったのは間違いない。 あんまり天気がいいので歩いた歩数は1万歩以上になった。白内障の手術をし て間もないので終日サングラスを着用しての憲法記念日だった。 |