帰省、秘湯、家訓、餅御膳。   21,11,28

  福島と宮城の秘湯の温泉に浸かり、数年ぶりに故郷の宮城県を訪ねる旅をしてきた。
 とは言っても幼少期から青春期を過ごした土地家屋は既になく、今は血縁者は住んで
 いないので、生まれ育った故郷との行き来は今はない。

  仲の良かった幼友達との接触もないので、帰郷しても立ち寄る場所も友もない。
 妹が古川に住んでいるので、帰郷の際には宿泊しているが、私の生まれ故郷ではない
 から思い出に残る風景は何ひとつなく、私には帰るべきふるさとはないに等しい。

  子供の時から口ずさんだ童謡「故郷」の一節、「ウサギ追いしかの山~」も「志を
 果たして、いつの日にか帰らん、山は青きふるさと、水は清きふるさと。」 も私に
 は遠い幻でしかなくなった。

  しかし高校時代を過ごした岩手県の一関市には従兄弟たちがたくさんいて私の帰郷
 を喜んで迎えてくれ、従兄弟会を開いてくれるのが唯一故郷に帰ったと実感できる瞬
 間である。

  加齢、腰痛、心臓などの内臓疾患があるので今年は遠出は控えているが、結婚50周
 年の記念でもあり、懐かしい従兄弟会開催、祖父母や叔父叔母達の仏壇での焼香、
 秘湯温泉巡りと腰痛の治療を目的に、11月16日から3泊4日のふるさと探訪の旅に出
 かけた。去年の7月に信州旅行をして以来1年半ぶりの長旅である。腰痛を抱えている
 ので杖をつきながら用心を重ねて旅を続けた。

  
1,従兄弟会

  従兄弟たち12人が駅前の食事処に集まって一関名物の「もち御膳」を食しながら歓談
 した。80歳に届きそうな人が最年少だから、参加者の平均年齢は推して知るべしである。

  一関は昔からもち料理を作って提供するのが盛んな土地で、正月はもちろん、冠婚葬
 祭、季節の行事や人生の節目には必ず餅を作って食べる習慣がある。一説ではもちの
 種類は100種に及ぶそうだが普段は10種類ぐらいしか作らない。

  我が家の正月では毎年8種類ぐらいのもちが食卓に供される。この日のお膳には写真
 のように9種類の餅が小皿に盛り付けてあった。


  

  左上から右に向かってショウガ餅、アンコ餅、納豆餅。
  中段は左から右に向かってゴマ餅、大根おろし、クルミ餅。
  左下から右に向かってエビ餅、ズンダ餅、ジュウネ餅。それにお雑煮の9種類である。

  解説;
  ①ショウガ餅;椎茸に、根ショウガのおろし汁を加えてとろみをつけてある。
  ②アンコ餅;冠婚葬祭には欠かせない餅で、当地では最初に振る舞われる。
  ③大根おろし;口直しに大根おろしをつまみながらいろいろなもちを賞味する。
  ④クルミ餅;鬼ぐるみをすり、砂糖と塩で調理、すればするほど粘りが出る。
  ➄ジュウネ餅;エゴマの実をよくすり砂糖と塩を加える。めったに出ない珍品。
  ⑥エビ餅;小さな沼エビを丸ごと焙って出汁醤油で。最近では沼エビは珍品。

   当地ではアンコ餅から供され、締めくくりがお雑煮椀となる。雑煮の椀は写真割愛。
  最長老で私より100日年上の従兄弟が病気欠席だったのが寂しかった。

  
2,我が家の家訓。

   珍しい父親直筆の家訓の掛け軸を妹が保管していて見せてくれた。
  母親が大切に保管していてどこかにしまっていて忘れ去られていたのだろう。
  私も弟も初めて見る遺品だった。

   私の両親は昭和11年2月26日、つまり2,26事件当日に結婚したと母親から聞かさ
  れていたが、それを証明する確かな証拠はなく、伝聞を信用するほかなかったが、
  父親の直筆の掛け軸には確かに2,26と書かれていて、これは間違いなく事件当日
  の結婚を証明する証拠になると確信した。

   家訓は「不自由を 常と思えば不足なし」昭和11年2月26日 訓家 佐々木貞吉 
   と書かれている。

   日中戦争勃発の前年なので国内は緊迫した情勢だから、時節柄どこの家も不自
  由な生活を強いられてきたのだろう。不自由を耐え忍ぶ家訓はそのような時代背景
  も感じられて興味深い。

   勿論、親父は家庭内での無駄やぜいたくを排除して、切り詰めた新婚生活と酒屋
  開業を両立させる覚悟をして家訓を定めたのだろう。

   両親はこの日に華燭の典を上げ、同じ日に長兄が営む造り酒屋から必要な開業
  資金や物品の供与を受け、新たな地(私の出生地)で分店として酒屋を開業した。
  まさに「結婚」と「開業」のダブル記念日が2月26日だった。

   忙しい最中の当日、寸暇を惜しんで書いたせいか、掛け軸に「訓家」とあるのは
  「家訓」の過ちかもしれない。それとも「訓家」は存在する単語ならば親父は私よ
  りも一歩先に行く博学という事になる。どちらなのかは知りたくない。

   何十年ぶりに見る親父直筆の書は懐かしい筆跡だった。遅まきながら、親父の
  定めた家訓を子孫代々に伝えていく責任を感じた有意義な帰郷だった。

  

       


   3,秘湯巡り。

  ①福島県、高湯温泉 安達屋
  6年前に訪れて以来の訪問である。秘湯と呼ぶにふさわしく私のお気に入りの温泉で、
  露天風呂は相変わらず素晴らしく、心ゆくまで白濁した硫黄のにおいを堪能した。

  ②宮城県 青根温泉 不忘閣
   白石蔵王駅からバスで50分、遠刈田温泉で下車し、そこから旅館の車でさらに
  40分も坂を上ると標高800mの秘湯の湯 青根温泉 不忘閣に着く。
  その昔、仙台藩主伊達政宗公や、正宗公の腹心の白石城主片倉小十郎がよく訪れた
  という名湯で、5つの独立した石風呂や岩風呂が疲れを癒してくれる。
  食事は朝夕とも炉端焼きで、料理は素朴で何とも心温まるまさに秘湯の宿というに
  ふさわしい温泉だった。

   今回の旅は、従兄弟会といい、秘湯の湯といい、家訓の発見といい、思い出に残る
  良い旅だった。先祖の仏壇に線香をあげることができてもう思い残すこともなくなった。