葉山サロン 2015。 15,04,17 桜が散ったかと思えば雪が降るという、気まぐれな前線に悩まされる気候が続いている。 初夏の様なポカポカ陽気だと思えば一転して風の強い肌寒い日が訪れる。釣り好きにと っては予定が立たない厄介な春がしばらく続く。 このところ毎年続けている「葉山サロン」を今年も開いた。竹馬の友Mちゃんが命名した 葉山サロンの常連は、Mちゃん、弟夫婦、妹と我々夫婦の6人で、遠く姫路、能登、古川、 東京から来宅し、我が家で2泊3日の旧交を温める集まりである。今年は亡父の70回忌 に当たるので、ささやかな法要の墓参りを兼ねている。また大病をしたMちゃんの快気祝 いも兼ねている。 今年は趣向を凝らして田舎料理の「餅ご膳」に挑戦することにした。餅に目のないMちゃ んとの昨年からの約束事である。餅米は弟の友人が能登から送ってくれたし、搗きたての 餅を食べたいので餅つき機を電気屋で買い求め、具材は田舎(宮城)の妹が幼馴染の米 屋からアンコ、ゴマ、クルミ、ズンダ、エビを調達してくれた。納豆、ショウガ、大根おろし、 田舎風の具沢山の雑煮の具は当方で調達して、何と9種類の餅料理を作ってテーブルを 飾った。 幼いころ食べたエビ餅は伊豆沼の沼エビを炒って醤油味にして餅をくるんで食べたもの だが、その沼エビはもう獲れないというので今では霞ヶ浦のエビになっている。田舎特有 の餅料理で、関東では決してお目にかかれない郷愁を誘うエビ餅である。 母親の郷里であり私が高校生活を送った岩手県の一関は、豊富な「餅料理」があること で知られている。何せ慶弔はもとより客をもてなすときには餅料理を振る舞う風習が定着 していて、何十種類もの餅料理がある。その懐かしい田舎風の「餅ご膳」の再現だから田 舎育ちの我々にはもってこいの葉山サロンのご馳走となった。9種類もの餅だから、団子 程度に小さくしてほぼ7合の餅をほとんど食べ尽くした。 Mちゃんは病み上がり、私と弟は持病持ちだから無理は出来ない。アルコールも控えめ で、もっぱら幼少時代の思い出話に終始した。初めて聞く昔話や、懐かしい思い出話に花 が咲いた。笑いの絶えない団欒だった。 翌日は釣り。遠来の男衆がもっぱら期待したのが「メバル釣り」だったが、折からの悪天 候で相模湾の釣り船は出船できず、やむを得ず東京湾の常連船宿から「イシモチ」を釣り に変更した。強風のため3時間で早上がりしたが、3人で50匹ほど釣って帰宅した。 夕食は昨夜の餅料理から一転して「イシモチ料理」のオンパレード。塩焼き、唐揚げの 甘酢餡かけ、味噌漬けが食卓を飾った。イシモチは淡白な白身魚で中国では高級魚とし て珍重されるそうだし、少々水っぽいのを始末すれば調理次第で大変おいしくなる。船宿 にイシモチの干物が干してあったので船長におねだりして翌日の朝食用に6枚貰ってきた。 翌日食べたらアジの干物に勝るとも劣らぬ美味だった。 来年また元気で葉山サロンが開けるだろうか。このサロンは、幼少に戻った気分で懐か しい友と談笑できるまたとない良い集まりだ。世界中を飛び回った国際通のMちゃんは 旧約聖書解読の大家だから、世界の民族史や宗教史や政治の歴史などに精通している。 博識だから参考になる話を沢山聞ける。最近では珍しく日清戦争に興味があるとの事で、 これは私の得手の分野だから少々の薀蓄を披露した。お互いに同感することが多い。 天命には逆らえないが80歳まであと3年は元気でいたいと思っていたら、5年後の東京 オリンピックという目標が生まれ、その翌年の金婚式という目標まで生まれた。まごまご するとその次には、今3年生と1年生の孫が高校生になってしまう。これではいつまでたっ ても安寧の地に旅立つことが出来ない。 逗子の囲碁の師匠は今月とうとう93歳の誕生日を迎えた。ますます意気軒昂だが、そ こまでの長寿は望まないとしても、天寿を全うしたと思える日まで健康に留意して、得難い 幼友達との屈託のない談笑を暫らくは続けたいものだ。 |