春到来。       21,03,03

   3月1日、我が家の庭で今年初めて鶯が鳴いたと家内が弾んだ声で知らせてくれた。
  そういえばまだまだ寒いので、庭の草花をじっくりと眺めることを怠っていたが、
  改めて庭をぐるりと一回りして草花の様子を調べてみた。

   草花たちは春の到来を確実に感じているらしく、例年通り可憐な花を咲かせ始めて
  いた。人間は年々衰えていくが、草花たちは毎年忘れずに美しい姿を見せてくれる。

   「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」である。

   梅も椿も水仙もほぼ満開で、白モクレンはつぼみ一杯で、今にも咲きそうに膨らん
  でいた。我が家の梅の木は、白梅の木に紅梅を接ぎ木しているので、贅沢にも両方
  の花びらを見ることができる。

   木蓮は白モクレンのほかに紫モクレンが植えてあるが、紫の方が少し早く咲きそう
  である。庭にはほかに沈丁花やボケや辛夷も植えてあり、アンズもハナミズキも今か
  今かと開花を待ち構えている。

   尤も、いつまでたっても私は花の名前を覚えることが出来なくて、いつも家内に
  からかわれている。

   庭の花々の手入れはすべて家内に任せていて、花にはあまり興味のない私は何の
  手伝いもしない。「梅の花が咲いたよ!」と家内が声をかけてきたときに、おもむ
  ろにカメラを取り出して写真を撮るだけだから、私は埼玉の旧友のような風流人では
  ない只の無趣味な無精者である。

   それでも季節が巡ってきて決まって咲き出す花を眺めていると、いくばくかの感
  慨を覚える愛おしさはわずかだが持ち合わせている。

   歳をとるとは花の命を敏感に感じる事ができるという事なのかもしれない。