お彼岸の墓参り。   13,03,25

   彼岸明けの23日は桜がほぼ満開で春爛漫のポカポカ陽気なので久しぶりに墓参りに
  出かけた。いつものように建長寺に駐車する。建長寺の桜も満開で花見客か参拝客かで
  大変な人出だった。老人もちらほら見かけるがほとんどは若い男女のカップルかアジア諸
  国の若者達が多く、意味の分からない嬌声をあげてはカメラを構えていた。

   建長寺に眠る家内の父母の墓参りを済ませ、北鎌倉駅の大船寄りにある光照寺まで
  ほぼ20分ほど歩いた。この道は北鎌倉から鎌倉に抜ける黄金の観光ルートだから沢山
  の観光客が楽しそうに店々を覗き込みながら散歩していた。暖かな日差しで絶好の散歩
  日和である。

   光照寺はお参りの客は少なくひっそりとしていて各家の墓には色とりどりの花が添えら
  れていた。我が家の墓の周りには清楚な白い雪柳の花が咲き乱れていてお墓を巧まず
  して着飾っていた。光照寺の境内はいつも静かで心が和み落ち着くので私の好みのお寺
  である。いつものように墓を掃除し、花を添え、線香をくゆらせてお彼岸のお参りを済ませ
  た。するべきことをし終えたすっきりとした気持ちになった。


   

  <明日を迎えに行く。>

   孫と遊んでいるとふと気が付くことがある。幼児から少年のころは「生」とか「死」とか
  考えたこともなく、天真爛漫、何の屈託もなく体いっぱいに「生」を満喫するが、青年に
  なると次第に「生きるとは何ぞや」などと哲学的な思いに目覚めてくる。しかしまだ「死」
  を実感することはない。

   それが壮年になると次第に「生に執着」し「死の恐怖」が強くなってくる。それだけ充実
  した変化に富んだ日々を送る年代だからだろう。それが老年になると少しずつ「生の執
  着」も「死の恐怖」も薄れていくもののようである。尤も、そう思う私が例外で、老年にな
  ればなるほど「生に執着」する人がほとんどなのかもしれない。秦の始皇帝が不老長寿
  の薬を渇望したり、秀吉の晩年などはその典型的な例だろう。概して人生の成功者や
  金持ちなどの悩み多き人に多い現象のようだ。とはいえ、かく云う私でさえいざその時
  になって従容として最後を迎える事が出来るかどうかは知れたものではないが・・・。

   鴨長明の方丈記や平家物語にも、「行く河の流れは絶えずして、・・」とか「奢れるもの
  久しからず。」と詠まれて、限りある人生の無常を説いている。これ等古典は高校時代
  にはすらすらと書き述べることはできても実感が伴っていなかった。青春真っ盛りの若
  者には無理もない事だった。

   それが喜寿を迎え、生臭い娑婆の空気から離れ、閑雲野鶴を友とする安楽の身にな
  り、人生の終末期に近づくとようやくその意味が判ってくる。「時」はいつの間にか勝手
  に過ぎ去っていく長いようで短い「刹那」であることに気付く。

   別の言い方をすれば、若い時には明日(チャンス)は勝手に向こうからやってくるが、
  歳を取るとこちらから迎えに行かないと明日はやってこない。引っ込み思案でいると
  どんどん機会を失って、いつの間にか周りに仲間がいなくなっていることに気付く。
   自ら扉を開いて明日を迎えに行く積極的な老人だけが年老いても多彩な趣味と幅広
  い仲間を手にすることが出来ているようだ。

   我が身を振り返ると、そんな気概のある老人にはなれそうにないし、死に臨んで「我が
  人生に悔いなし」などと虚勢を張ることも到底出来ないが、せめて少しだけ自分の人生
  に満足してそっとあの世とやらに旅立ちたいと願う人並みで身勝手な老人なのである。
   世にはその気持ちを逆手にとって商売にしたノウハウ書がゴマンとある。有り難い反
  面けしからぬ話である。

   たまたま高校の同級生のブログを見たら、期せずして「思い通りの死に方」と題して
  死の迎え方についての想いを書いていた。同病相哀れむというか75歳の老人にもなる
  と、自分流の死に方などということをふと思う同じような気持ちになるものらしい。