家族で銀座ブラリ会食。             10,04,05

    我が家の”はなもも”が白い花びらを開き満開になった。すぐ近くの小学校の桜も小粒だがほぼ満開になった。
   4日の日曜日の関東地方の桜の名所は満開の桜見物でさぞかし人盛りになるだろう。なかなか帰郷できない
   長男の慰労を兼ねて我が家の家族で東京の桜見物をしようということになった。末娘も参加して久し振りに4人
   の東京集合なので食事を何にするかあれこれ吟味して夕食は”鰻”に決めた。東京で鰻といえば、真っ先に池
   波正太郎の愛した浅草の「前川」が頭に浮かぶが、これといって記憶にある名店は思い浮かばない。神楽坂
   の創業140年という「志満金」、永井荷風が通った銀座の「竹葉亭」などを候補にあげたが、銀ブラとショッピング
   もあるので5丁目の「竹葉亭銀座店」に決めた。桜見物は昨年は千鳥が淵〜新宿御苑〜目黒川だったので、
   今年は駒込の六義園、小石川後楽園、上野公園などを候補にし、後はその時次第ということにした。

    しかし予定した出発時間が少し遅れたのと、あいにくの曇り空でかなり肌寒い陽気なので、本命の六義園のし
   だれ桜見物などの今年の花見は中止して銀座散策のみに切り替えた。昼の腹ごしらえは8丁目の資生堂フルー
   ツパーラー。銀座の老舗中の老舗のパーラーだけあって格調あるおしゃれな店。ここでサンドイッチなどを食べ、
   8丁目から3丁目までゆっくりと銀ブラをした。それにしても家内は洋品店、宝飾店、食品店など銀座の老舗の店
   をよく知っている。家内があらかじめ決めていた1868年創業の子供専門洋品店”さえぐさ”などの由緒ある古い
   店を覗きながらぶらぶら歩き4丁目を曲がって岩手物産展まで足を伸ばして歌舞伎座に行く。4月末で改修の
   ため一時閉館となるこの建物を懐かしむカメラマンやにわか絵描きさんで賑わっている。
    
    急遽1400円の立見席を求めて歌舞伎「寺子屋」を見た。4階の立見席はいわゆる”通”の定席。見せ場に差
   し掛かるとすかさず大向こうから掛け声がかかる。掛け声はタイミングが難しい。役者の演技が決まった時に、
   すかさず声がかかると雰囲気が盛り上がる。我々の立見席の隣にこの掛け声の専門家「大向こう」の人がいて、
   ”高麗屋!”、”大和屋!”などと絶妙なタイミングで大声をかけると周囲からどっと拍手や声援が起きた。ちな
   みに今日の出し物は有名な「寺子屋」で、役者は幸四郎(高麗屋)、玉三郎(大和屋)、勘三郎(中村屋)、仁左
   衛門(松島屋)時蔵(萬屋)ほかである。「寺子屋」は親子の情愛物で、重厚な義太夫狂言の名場面が楽しめた。

    思いがけず歌舞伎の雰囲気に浸ってから、5丁目三越本店前の鰻や「竹葉亭銀座店」へ。この店は間口は小
   さいが明治時代に出店した歴史ある店で、永井荷風の「断腸亭日乗」にもしばしば登場する老舗だという。荷風
   の日記として名高い「断腸亭日乗」を書棚から引っ張る出してパラパラとめくってみたが、「竹葉亭銀座店」は見
   当たらなかった。(後でよく読んで荷風のこの店の印象を調べてみよう)。この店の鰻は白焼きにして蒸し上げ、
   秘伝のたれをつけて焼く江戸前の蒲焼で、箸でスッと切れるほど柔らかく、あっさりとした上品な味で比較的年
   配向きだなと感じられた。息子も娘も、まして家内も美味しいといって瞬く間に食べ終わったが、その姿や佇まい
   を熱燗でちびりちびりやりながら眺めていると無性に嬉しくなる。我が家のささやかな幸せのひと時である。こん
   な時には財布の紐が少々緩んでも惜しくはない。息子は春の連休には学会で発表のため2週間ほどボストン
   に行くらしい。ボストンは閑静で緑が多い昔の武蔵野の国立を思わせる美しい町並みの学術都市だった。あの
   ボストンに息子が訪れることになるとは、過ぎ去った歳月の隔たりを強く感じて感無量であった。

    家族が集まって楽しく食事をすることが家内の無上の喜びなので、又機会を作ってくれるだろう。私は熱燗で
   も飲んで、目を細めて親子のおしゃべりを眺めているのが分相応の役割といえそうだ。それで結構幸せを実感
   できるというものである。
  歌舞伎座改装前の最後の雄姿。
  「御名残4月大歌舞伎」と大垂れ幕が掛けられている。
  4月末まであと27日の看板が立っていた。