元朝参り。          12,01,05

   今年の元日はやや薄曇りで肌寒い天気だがまずまずの正月日和。例年の習わしなので
  今年も森戸神社にお参りに出かけた。長女の家族は千葉の実家に出かけているので帰郷
  した息子たちと親子4人の参拝である。昨年末の入院生活の後なので神社までの徒歩20分
  が少々きつい。参拝客が長蛇の列をなしているので家内や子供達が気遣ってくれて、参拝
  間際になるまで神社境内の裏の岸壁に座って相模湾を眺めていた。

   去年は世間も我が家も大変なことが起き、あまり縁起の良い年ではなかった。島崎藤村
  流にいえば”家の内も外も嵐だ。”ということになろうか。作家といえば、去年精力的に読ん
  だ新田次郎は30年前、70歳直前に「心筋梗塞」で急死している。去年は金正日も急死、大
  事故を起こして世間を騒がせたバスの運転手も心筋梗塞での急死だった。危うく命拾いし
  た私は神前で神の加護に感謝し、例年にも増して今年の家族の安寧を祈った。沢山の参
  拝客もみな思い思いに今年の願掛けをして祈ったことであろう。いつものように岸壁で家族
  4人の記念写真を撮って、帰りはタクシーで帰宅した。

   因みに写真の場所は明治のダルマ宰相こと高橋是清の石碑が相模湾に向かって建って
  いる場所で、石碑には「堪忍の 股より覗け 富士の山」と彫られている。地元の歴史通も
  めったに読めない達筆の句で見過ごしがちである。石と岩で亀の形の台座ができている。
  後ろ向きに立って海に向かって股から覗くと、丁度逆さ富士が見える仕掛けになっている。
  天橋立が有名だが、こちらは富士山が見えるだけ1枚上手だと私は内心自慢している。
   この句の解釈にはいくつかの説があって決定版はないが、是清の米国での奴隷時代か
  らの苦労と忍耐に結び付けて解釈している人が多い。

   元旦なのにスーパーもコンビニも開業していて買い物には不自由しない。おせち料理は
  年が明けただけでほぼ半値で売られていた。おせちは正月3日間、料理や外で買い物を
  しないで食べる為の保存食のはずなのに、元日から一般の食材が買える時代になった。
  おせちの意味も時代とともに変質するもののようだ。

   なにはともあれ、今年も幕を開けた。波乱の予感のする年になりそうだが今年も1年間、
  よろしくお願い
します。
    森戸神社の岸壁で。

 私がつかんでいる岩が石碑の台座
 で亀の形をしている。白い石の上か
 ら股覗きをする。

 今日はあいにくの曇り空で富士山
 は拝む事が出来なかった。