2000/10/23
麻雀放浪記 
−学生編ー   

 高校生の時分、ファミコンで麻雀を覚えた。ゲームのキャラ相手に敵無しになると当然、

人間相手に打ちたくなる。2〜3回やったが、皆ゲームで覚えた面子だった為に点数計算が

できず、1ハン1000点、2ハン2000点、3ハン3900点と適当で、金も賭けなかった。

そんな麻雀だったが、大人の仲間入りを少々果たしたような気分に浸っていた。

 大学に入って一ヶ月後、まだ仲間内で打ったことはなかったが、学科の先輩が

「打てる一年生」を物色し始めた。先輩3人組に、一年生が替わる替わる近所の雀荘に

連れて行かれ、1000点30円の安レートではあったが皆一様にカモられた。徹夜というものを

初めてした。朝7時の薄明るい通りに出ると妙に気持ちが良く、

「俺よぉ、徹夜しちまったんだぜ」と誰かにアピールしたくなり、コンビニでポカリを買った。

 一年生同士でも頻繁に打つ様になったが、先輩と打つことについては、避ける人と進んで

打つ人に分かれた。俺は先輩と打つ方が楽しく、同期と打つより先輩と打つ方が多かった。

俺達が受験勉強をしていた1年間、取った取られたを繰り返していた訳だから、さすがに

先輩の方が雀力は格段に上で、慣れてきた頃にはレートも50円に戻った為に(先輩は元々

50円で打っていたが、最初はさすがに加減してくれていた)、一晩で必ず5千円以上負けた。

それでも先輩との麻雀は俺を惹きつけた。セオリーを色々教えてくれ、一局毎に強くなる

実感が湧いた。先輩には皆彼女がおり、「お前も作れ」と言われたが、そう簡単にはいかず、

毎晩打つのみだった。大学生は同棲するものであり、先輩の部屋で、ベッドで彼女が寝て

いる横で打った時にはさすがにこんな所に俺を呼んだことに怒りを感じ、死んでも勝つと

気合を入れたが、女連れの先輩の大勝ちだった。面子の動揺を誘う作戦だったのかも

しれない。ある時はバイクのケツに乗って打ちに出かけ、時速100キロでとばされて足が

ガクガクになった。女・バイク・競馬・煙草。ついこの前までクソ真面目な高校生だった俺には

この刺激がたまらず、かといってそのどれとも縁を持つ事無く、ただひたすら麻雀を打っていた。

必修科目の期末試験前日、というか当日の朝まで打ち、試験開始30分前の10時20分、

先輩がわざわざ起きてモーニングコールをくれた。「また打つんすか」「もう夕方すか」と

寝ぼけている俺に、「おい、頼むから早く学校行ってくれ。俺達のせいでお前が留年したなんて

ことにだけはなるなよ。」と、本気で焦っていた。10時半に再び電話をくれた時に再び俺が

寝ていた事が判ると、先輩の方が半泣きになっていた。先輩もまだ2年生で、若かったと

いう事だ。しかし俺が2年になると、3年になった先輩は同棲生活にはまりこみ、ほとんど

打たなくなった。

 春にウェイターのバイトを始めたが、夏前頃、店に馴染んでくると、どういう訳かというか、

或いは当然というべきか、そこの先輩から麻雀に誘われた。2コ上の4年生達と打って、

コテンパンに負けた。学科の先輩もかなり強かったが、世の中上には上がいるもんだと

感嘆した。ウェイターのバイトは時給700円、5時〜10時で3500円だったが、その後の

麻雀で毎晩それ以上負けていた。麻雀を打たない連中に「何の為にバイトしているのか」と

言われもしたが、麻雀をやめる気はサラサラなかった。

例えばこんな手を張る。 24二三四四五六ABCDD

捨て牌はこう。 H九西6G北9発一(リーチ)

今までのメンバーなら、余裕で3は出た。しかし彼等からは出ない。9の前に6が出ている

からだ。通常この打ち方はなく、あえてこうしたのにはそれなりの理由、即ちひっかけが

あるという読みだ。この読みが働くには、9が手出しだった事を知っている事が必須条件である。

この点一つとっても、彼等のレベルは、今までの相手とは段違いだったことが判る。

 彼等にも皆彼女がいた。SEXの時のディテールなどを色々喋り合っていた。戯れにベッドの

布団をはぐると、ゴムがあった。麻雀仲間・喋くり仲間の日常の生々しい部分を見つけてしまい、

瞬時に後悔し、気付かないフリをして元に戻した。俺は毎晩麻雀を打って満足した気になって

いたが、その仲間にも俺の知らない日常が有り、その日常の部分を俺と比べると、無性に

寂しくなった。

 それでも麻雀を打っている間は心から楽しく、3年になった頃、以前勝てなかった学科の先輩と

久し振りに打つと、勝ち負けできた。この頃には彼等も4年生でヒマになり、再びよく打った。

バイトの先輩も皆大学院に上がり、バイト後には必ず打った。麻雀知らない人から見れば

狂っているような生活をしていたが、彼女ができた。バイトの後輩で、右も左も分からなかった

頃に俺が親切にしてやった事があったそうで、惚れられた訳だ。ある集団に新しい人が

入った時に、俺は特に積極的に色々話しかける。小さい頃にかなり内気で寂しい思いを

していた為に、そういう思いを人にさせたくないのだ。彼女の場合、ウェイターが厨房内で

談笑しながらタマネギをむいていた時、フロアで盛り上がるウェイトレスの中でポツンとしていた。

俺はそういう光景を見るのに我慢できないので、「ねぇ、中で一緒にやろうか」と声を掛け、

出身、学部、といった、新参者にはとりあえず必ず聞くような事をウェイター皆で一通り

聞いたりして開店までの時間を過ごした。俺は最初の一声だけで、後は他のウェイターが

色々話し掛けていたのだが、その最初の呼びかけが大変に嬉しかったという。 幾度となく

フラれ続けてきた俺だったが、普段心がけていた事が人の心をうった事で、今まで空虚に

感じていた俺の日常に晴れやかさを感じ、同時に彼女に心から惚れた。

 俺に彼女ができた事を、バイトの先輩は一緒に喜び、色々な事を教えてくれた。秋芳洞に

行きたいと言うと、車まで貸してくれ、その日先輩は雨の中、俺のスクーターで行動していた。

麻雀時の皆の会話にやっとついていけるようになった。そうすると不思議な事に、たまに

勝ったりし始めた。

二三三三四234567CC (ドラ三)

といった手で、一手変わりで跳ねると思っていると三を引いてきて労せず跳ねた。あげマンだ

何だ言い合い、世界は俺を中心に回っていた。夏が過ぎ、秋を迎えると、御多聞に洩れず

同棲状態になった。朝はパンと牛乳と卵を食い、昼は彼女の授業(まだ一般教養で、教室には

大勢いた)に潜り込んだりした。晩飯は彼女が作り、たまに俺が洗い、専門のドイツ語を勉強

している彼女のひざで寝た。

 週に4日やっていたバイトを3日に減らしていたが、その内の2日は徹麻だった。

徹麻明けだけは自分のアパートで寝た。一人で寝る冷たいベットもたまには落ち着いた。

ある日、こんな手を張った。

二三三四五六七八555678 (ドラ四)

三切りで3面張、タンヤオ確定で立直かければツモって満貫。5切りだと両面に減り、

一でド安め、四ならダマで満貫だがまず出ないだろう。5は既に1つ捨てられており、

暗カンはもうできない。場には三が1枚捨てられていた。対面は1つ晒していてこんな手。

■■■■■■■■■■ ABC

5は4枚俺の目に見えている。ソーズは上下に分断されており、対面には234があるのだろう。

三も俺には4枚見えている(1枚はドラ表示牌)。対面は二四のカン三だ。俺自身の待ちを

考えても、三の壁の下の二は対面と合わせて2枚死んだ。一は丸々山に生きている。

五八の出やツモを待つより先に一を引きそうだ。一で上がるならダマってても仕様がない。

「立直」と千点棒を出した次巡、「大正解!!」と叫んで一を卓に叩き付けた。

立即ツモ一丁裏一の満貫。こういうときは能書きをたれたいものだ。立直宣言牌の5を

手元に引き寄せ、

「二五八のタンヤオ確定三面張もあったんすけど敢えて一四に受けたんですよ。

だってね、5がアンコで」

ここまで言った時、上家の先輩が笑いながら俺の手を崩した。

「まだまだお前の能書き聞く程落ちぶれちゃいないわ。」

「何言ってんすか。これを聞いときゃ、確実に雀力がワンランクアップしたのに。」

言いながら俺も笑って牌を混ぜ始めた。

 4年の春、競馬を始めた。いきなり桜花賞・皐月賞・天皇賞とカスりもせずにハズした。

天皇賞で、2年前の菊花賞馬と3年前の菊花賞2着馬の組で40倍というのをバイトの

麻雀先輩が2000円買っており、その日の夜、馬券を見せる為にのみ家にやってきた。

俺はやり始めたばかりで、古馬の知識など全然なかったが、桜花賞大出遅れからの

2着馬とやはり後方から追込んで5着だった馬で20倍ついたオークスは2000円取った。

ダービーは皐月賞1・2着コンビの入れ替わりで決まり、6倍と安かったが8000円取った。

「競馬なんて簡単じゃないか。こいつらが古馬になった来年・再来年は全部とれるぜ」と

意気揚々となったが、前走のことなんか全く知らない午前中の未勝利戦から打つようになり、

浮き分などあっという間に溶けた。秋など最悪で、GTは1勝9敗、その1勝も屁みたいな

勝ち方だった。土曜日朝から晩まで、日曜日朝から昼まで働いて得た13000円は丸々

日曜午後の競馬に溶けた。麻雀の運気もどん底で、平日夜の3500円ではその後の

負け分の半分にも満たなかった。堅気の友人からは「何の為にバイトしてんだ」と言われたが、

堂々と「博打する為に決まってんじゃん」と答えた。一度だけデートの前にWINSに寄ったが、

前売りを買うほんの数分だったのに絶望的につまらなさそうにされ、以後2度と彼女を連れて

行く事はなかった。

 有馬記念前日、バイトの後に徹麻し、翌当日の朝8時半頃、4人でWINSに向かった。

運転手にWINSの周りを回らせておいて(と言っても大渋滞でほとんど止まっていたが)3人で

訳のわからない阪神1Rに張り、もちろんハズした。有馬を買ってアパートに戻り、また打った。

2時頃、押されたら倒れるんじゃないかといった風情でラーメン屋に入り、3時、アパートで

テレビをつけた。レースが始まるとさすがに総員、身を乗り出してきた。5〜6番人気の

菊花賞馬が逃げていたが、4角で楽に後続を突き放し、全員の興味は失せた。

 皆30時間以上起き続けていたのだが、一番多い5万円という金額を張っていた先輩が

おもむろに東南西北と白をひき、裏返しにして混ぜ始めた。俺は死を覚悟した。

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