2001/4/20
東京勝鯉会

 
 今もいるかどうか知らないが、12〜3年前に神宮球場レフトスタンドの前の方で

仕切っていた広島カープ応援団のお兄さん達。「とうきょう しょうりかい」と読む。

 イーストアンドプラスYURIだっけ?(よくグループ名知らん)の「DA・YO・NE」が

流行ったとき、全国版が出たでしょ。大阪版は東野と今田がやってて内容も面白く

仕上がってたけど、広島版(HO・JA・NE)は「DA・YO・NE」のあらすじをそのまま

広島弁にした感じでいまいち面白くなかったなぁ。で、その中で、

     「ワシ、応援団じゃったんで」
     「ただのヤンキーじゃろ?」

というフレーズがあるぐらい、野球の応援団=単なるヤンキーという図式が

世間一般で成り立っている。実際、神宮のレフトスタンドの後ろの方で旗を振って

トランペットを吹いていたグループは、試合終了後にそのままになってしまうんじゃ

なかろうかといった面々だった。

 神宮球場のレフトスタンドはカープファンでびっしり赤一色になるのだが、一度、

杉浦か若松(ヤクルト)が逆転サヨナラホームランを打った時に、レフトスタンドに何故か

1人だけヤクルトファンが紛れ込んでいて、諸手をあげて喜んでいたことがある。

この時のヤンキー応援団の動きは素早かったなぁ。徒党を組んですっ飛んできたよ。

そして殴る蹴るの暴行。当時高校生の俺は目の前ほんの5mぐらいのとこで

見てたのだが、小便チビるかと思ったぞ、マジで。いわゆるボコボコってのを見たのは

後にも先にもこの時だけだ。アラブの過激派の中に紛れ込んでしまった

イスラエル人でも、ここまでボコボコにはされないんじゃないか?ってほどだったよ。

駆けつけた警備員も恐れをなし、応援団はお咎めなしで何故かボコボコにされた

ヤクルトファンの方を連行していったほど。かように、応援団とは「恐い人達」なのだ。

だが、しかし。

 この頃神宮球場外野席の前の方にいた東京勝鯉会のお兄さん達(確か4人ぐらい)は、

さわやかお兄さんだったなぁ。たださわやかに応援するのではなく、メタクソ面白いのだ。

 

 
特に、このお兄さんがピカイチ。俺がどれぐらいこのお兄さんを好きだったかと言えば、

@当時の俺がこうやって思わず写真を撮ってしまったほど
Aこの写真は神宮ではなく、西武球場での日本シリーズなのだが、迷わずこのお兄さんが
  一番良く見えるポジションに座ってしまったほど
Bトイレでこのお兄さんの横になり、緊張の余りおしっこが出なくなったほど

これぐらい好きだった。


 東京勝鯉会は4人のお兄さんが交代で応援を仕切るのだが、写真のお兄さんのときが

客席が一番盛り上がってた。どう盛り上がってたのかはその場のノリなので、ここで説明

してもうまく伝わらないのが残念だが、とにかく応援歌に入る前のトークが冴え渡ってた。

そんでこのお兄さんの仕切りの時は、みんなで楽しく和やかムードになるもんだから、

本当にレフトスタンドの一体感があったなぁ。

 10年以上前に野球見てた人なら知ってるんじゃないかと思うけど、高橋慶彦って選手が

打席に入ったときに、女性だけで

「よしひこさ〜ん、がんばって〜!!」と叫ぶのが恒例だった。

これも、実は応援のお兄さんが誰なのかで声の黄色さが違うのだ。(マジ)

他のお兄さんの仕切りの時はいわゆる「黄色い声」って感じで、まぁそれなりに盛り上がった

のだが、写真のお兄さんの仕切りの時の

「よしひこさ〜ん、がんばって〜!!」は、まさに超音波の絶叫という感じで、

レフトスタンドの男性陣は耳がつぶれるかと思ったぞ。しまいには、ライトスタンドの

ヤクルトファンからも「おーー」というどよめきと共に拍手が起こったほど。(異様な雰囲気)

 このお兄さん、7回を終わってカープが5点以上リードしているという条件を満たすと、

忍者に変身する。お客さんもみんなそれを知ってるから、その状況のときの

8回表までの休憩時間、もうみんなソワソワ・キョロキョロ。そんで、最初のバッターが

コールされるやいなや、レフトスタンドの最上段から、このお兄さん扮する忍者が颯爽と

駆け降りて登場。俺たちお客さんは、普段はメガホン叩いて応援してるでしょ。でも忍者が

出てくると、メガホンをショッカーのように斜め右上に差し出しつつ、やはりショッカーの

ように「ヒー!!」と裏声で叫ぶのがルール。これをみんなでやるこの快感!!

みんなアドレナリン出っぱなし。だから忍者が出た時の神宮球場レフト

スタンドは、まるで新興宗教の集会みたいだったよ。こうなるともはや、お客さん達は

試合を見るというよりはむしろ、このお兄さんのライブに参加しているという風情。

家に帰っても、興奮のあまりなかなか寝付けなかった。

あの頃は、まじで面白かったなぁ。


 高校時代は、神宮で広島戦がある年間13試合のうちの8〜9試合は見に行っていた

のだが、広島に住んでいる今、本拠地・市民球場に行こうと思えばなんぼでも行けると

いうのに9年で4〜5回しか行ってない俺。何故か?

 俺、もともと広島ファンで、東京時代にちょくちょく神宮に行って試合を見るうちに、

いつのまにか東京勝鯉会ファンになってしまったのだ。だから、広島に

引っ越してきて市民球場で試合を見ても、応援団の仕切りのお兄さんがどうも物足りず、

知らず知らずのうちに足が遠のいてしまった。

 東京勝鯉会のお兄さん。おそらくはとっくに堅気に戻ってしまったとは思う。

せめて堅気に戻る前に、彼の精神を後輩応援団に受け継いでいたことを祈る。

もしや堅気に戻らず、「頑張れ!タブチ君」に出てたヤクルトの応援おじさんのように

神宮球場のヌシになっていたとしたら、今年のお盆には見に行かねばならないなぁ。

 

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