鶴友 第三号 3頁 鶴丸二七会 1969.5 戻る
鶴友ひろば クルマ天国 小中 俊雄
世は、まさに自動車全盛期。わが家も今ではノ−クラッチの中古車。
思えば十余年前の免許とりたての頃、オ−ト三輪が重宝がられていたのが、今ではみな四輪である。七年前、共かせぎのため赤ん坊の運搬用にスバルのセコを買って、曲がりなりにもオ−ナ−ドライバ−の仲間入りをした。
四年前渡米、57年型フォ−ドを二百ドルで買う。かなりガタがきていたが、けっこう零下20度でもエンジンがかかるし、時速80マイル(約130キロ)のハイウェイも走れた。これで年寄り女子供?でも運転しやすいノ−クラッチの味をおぼえたわけだが、三千CC以上のガソリンのみには、参り気味。ガソリン代が日本の半値であるのに救われる。
セントルイスで会った緒方貞夫31ル−ム?は、ベンツを日本へ持ち帰るのだと話してくれたが、どうしたか年賀状にも書いてない。サンフランシスコでは、高崎治郎の新車で、家族ぐるみで彼の家に招待された。世界はせまくなった。
アメリカ人の大部分は、車を買うために働いているのだそうだが、ス−パ−マ−ケットの買い物をはじめあらゆる生活の動きに、車がなくては生きて行けないことになっている。
ところが日本では、車がふえるほどに車が不便になる仕組みになっている。当たり前である。
せまい国土のうえに、道は曲がりくねったせまい歩道の成上り。その上、運転者は短気者でやたらに先を争う。アメリカ人の気の長いことにはあきれたことがある。交差点で止まった車が車の外の知人に話しかけられ、信号が青になりその次の青まで止まっていたが、後続車の運ちゃんたちがとうとうクラクションを鳴らさずに待っていたことである。
わが家は、昨年末、伊勢は津でもつの津に移ってきたが、この城下町の長所は、駐車禁止がほとんどないことであろう。先日、東名高速で埼玉まで行ったが、スピ−ド天国ではあるが一歩まちがえれば地獄行きということを知らぬ様子の運転が多い。北九州ナンバ−は見かけたが、鹿ナンバ−はさすがに出会わなかった。日本もせまくなった。
車も今のうちである。いずれ日本は車の波で押しつぶされよう。そして、物の豊かさだけではどうにもならぬ。心の豊かさが求められるときが来るのを待つのみである。
今日も、デパ−トの前に駐車している車の中でうちの坊主は兄弟げんか。コップの中のあらしである。女房が買い物袋をトランクに入れる。スタ−ト。免許とりたての女房にはまかせられないとハンドルを独占するぼくである。クルマ天国バンザイ。
(36ル−ム 三重大学農学部)