空港造りへの反省 その

平成8年

川田和良


ドッキング ガイダンス システム余計なおせっかい滑走路空港の運用


18
エプロンの設計でまずかったこと

成田の第−期計画で作られた旅客ビルは、ご存じの通り、4個のサテライトを持ち、それと中央のメインタ−ミナルを通路で繋いだものである.
その周囲のエプロンには、各サテライトの中心に機首を向けて、各航空機が駐機する方式で計画された。  その頃は、DC−8、B707級の全盛期であり、なかでもDC−8の長胴型が計画発表されていたので、「これだけ大きければ、当分は十分」と考え一つのサテライト当たり、8機の配置とした。
ところが、着工の寸前になり、突然、当時としては驚くほどの大型機、B747が発表され、主要な航空会社からぽちぼち発注が出だしたのである。
我々はその対処策として、駐機数を8から7に減じ、DC−8を2機と、B747を5機の編成にし、図面を引きなおした。  「この超大型機を5機も考えれば...」という数の算定はそれほど狂っていたとは思われないが、機体の前後への伸びに伴い、機首がサテライト中心へ向かってさらに突っ込んだため、サテライト前面の通路が狭くなると共に、通常、右翼前方に集中する各種の地上作業車のためのスペ−スも減った。
このため、作業員に日本人特有の器用さを強いることになり、現在に至るまで大した事故もなく運用して来れたのも、その器用さによる努力だけであったと思う.
もしタイムトンネルで元へ戻り、原設計をやり直すとすれば、サテライトを−個だけにして大型化があっても互いの干渉を避けるか、リニアタイブのビルにすべきかと思う。

サテライト型でのまずかったことは、もう一つある。
図面で説明すべきなのだが、前述の駐機姿勢から出発動作に移る場合、牽引車で航空機を押して中央タ−ミナルの前面まで下げる。 この時、機尾は中央タ−ミナルへ、そして、機首は当然ながら両サテライトの間の出口へ向くことになる.この位置でエンジンを始動し、自走を開始すれば、作業動線的にはかなりスマ−トなので、実機と牽引車を用いて押し出しと自走に移るテストを実施した上で、実物の建設に着手した。  開港後も計画どおり使用されているとばかり思い込み、気にもとめていなかったところ、しばらくたったある日、「サテライトの奥のスポットは、機体を進入路沿いに外のエプロンまで、遥々と押し出さねばならず、極めて不便」という話を聞いた。  そんな筈があるものかと、早速 実情を調べたところ、原因は簡単ながら重大な設計時の配慮不足であることが判った。
つまり、前述のとおりの位置でエンジンを始動すると、両サテライトの間の中央タ一ミナルへ向けて、エンジンの排ガスを吹きつけることになる。    もちろん、この付近には、ブラストフェンスが設けられているから、建物が壊れはしないのだが、中央タ−ミナル下部のエブロンレベルには、手荷物の荷さばき場があり、臭い排ガスがフェンスを回ってここへ押し込まれてしまう。    一旦ここに溜まると、なかなか消えず作業員が苦しむことになるので、エンジンをかけないまま、外のエプロンまで、機体を押し出すしかない、とのことであった・
このあたりまでの細かい配慮は、家を建て慣れた大工さんのような経験者でなければ無理なのかも知れない.ジェットエンジンのブラストに対する過大な恐れジェットエンジンが実用化され、纏まった数で用いられだしたのは、第2次大戦末期のドイツの戦闘機に対してであった.当時のジェットエンジンは、今の大型エンジンの数十分の−しかない推力にもかかわらず、排気(ブラスト)の温度や速度はかなり高く、特にブラストの温度により、舗装面のアスファルトが溶けて発火したとのレポ−トもある。
また、ブラストは空気の中を走り抜ける噴流であるが、注意して見なければ判らず、ドイツはもちろん、戦後の米国英国においても人や車が吹き飛ばされ、事故の原因となった。  そこで、各メ−カ−ともその販売機用の地上作業の教科書に、機体とエンジン毎の、出力とブラストの温度、出力とブラストの速度線図を入れるようになった。
わが国の空港においても、DC−8、B727等の初期型のジェット機を就航させる頃からブラスト対策を採り始めたが、本気になったのはB747になった時である。
米国のメ−カ−から送られてきた資料は、製造物責任の追求を恐れてか、どうもブラストの影響範囲を過大に示しているように思えた。  自分が日常エプロンで体験する、出力がほどほどの状態でのブラストは、機体から少し離れるとメ−カ−資料よりもはるかに低いと感じられるのである.そこで、こちらは極力、機会をとらえては調査することにした。  導入初期は、実機の地上試運転用ブラストフェンスを作るためのテストや、消音施設設計のためのエンジン音の実測の機会が多く、ブラストの影響範囲はかなりよく確認できたのである。
その時の結論は、大出力、かつエンジンノズルに近いところでは、メ−カ−のデ−タとこちらのデ−タがよく―致するが、離れたところでは、間違いなくと言ってよいほど、常にメ−カ−値の方が大きいことであった。
何故そうなるか、想像してみたのであるが、やはり上記の製造物責任の件が根底にあるために、かなりの悪条件を次々に重ねた状態をデ−タにしているのではなかろうかということである。(それと、案外、彼らは実測を怠けている疑いもある)悪条件としては、ブラストへの追い風やエンジン出力の継続時間の長さがある。
前者はブラストの速度をその分上げることはもちろん、測定点までの時聞が短くなるので勢力が衰えないし、後者は機体を静止させたまま長時閥運転するとブラスト周辺に伴流が発生し、ブラストも遠くまで生き残る効果がある。   定性的にはこのような事がいえるのは事実であるが、それにしてもメ−カ−デ−タは大きいなというのが実感であった。
現況は、航空会社、空港当局ともに「過大な可能性はあるが...」と思いつつも、自信や確信の無さから、もし事故でも起こったらその責任はとれないぞと、メ−カ−のものをそのまま使用しているところである。
しかし、時折受けるブラスト問題の質問、あるいは各空港の現ブラストフェンスを見ると、かなり大袈裟な...と思うことが多い。
私の提案は、「机上の議論百より、実態に即した実験を一回やってみろ」である。
金が、暇が...と心配するより、設置費用が節約でき、その後の地上作業が楽になるのなら、十分に報われる実験になろう.エプロン上の航空機の動き、動かし方についてエプロンの設計は、その用地がふんだんにあれば、単純な基準や理想の形状を実現すればよいので、大した苦労も要らず、その分だけ面白くもない。
よくしたもので、国内の空港はいずれもそのふんだんさからはほど遠く、なにかしら問題やちまちまとした条件を抱えており、その点、十分に楽しませてもらえる。
最もポピュラ−な空港項当局からの質問は、「. .の巾のある通路を適って、. .の形状のスポットに駐機出来るか?」とか、「.  .の駐機場から機体を押し出すのは可能か?」というものである。
一方、その質聞を受けるのは航空会社なのであるが、最近は航空会社の地上職員にもその経験者は乏しく、駐機場に入る場合の操作はパイロットに、駐機場から押し出す操作はグランドサ一ビス会社の実務者、つまり牽引車のベテランドライバ−に確認せねばならない。   しかし、重々考えておかねばならないのは、計画者側の質問の真意が正確にパイロットやドライバ−に伝わり、さらに彼らの返事を正確に理解出来る状況を前もって準備しておくことである. といっても、抽象的な表現でなかなか理解しがたいであろうが、パイロットにしてもドライバ−にしても、多年の経験者であるから日常の操作は体で覚えており、機体なり牽引軍なりの軌跡はlメ−トルとずれないくらい、正確なものである。
そのずれがどれくらいか知りたくて、直接尋ねても「さあ、測ったことがないのでね 」との返事しか返ってこない。
また、経験したことのない新方式に対しては、余程のベテランか、あるいは逆に無謀な人でなければ、まず賛成意見は出て来ず、否定的な見解しか返ってこないであろう。
しかし、これは質問者、つまり計画者側の配慮が足りないのが原因で、まず、なるたけ質問内容に近い、彼らが常に経験している場所や状態に比較して 極力具体的に尋ね、その結果をこちらの頭の中で数字として組上げるか、それで駄目なら、実物による実験方法が最も効果的であり、相互に確信が持てる。
特に後者の方法は、異なる意見であっても、共同作業による一体感が互いの面子を消して、皆の納得づくの結論を出してくれるので、これを強く推奨したい.


19
DGS(ドッキング ガイダンス システム)のこと

ひよっとして日本製の英語かも...と思うが、航空機が着陸し、エブロンにあるボ−デイング ブリッジ(搭乗橋)へ接近しつつある時に、正確な進入コ−スへ誘導する機器のことである。
新空港や新タ−ミナルが出来るたびに、この機器の必要性が議論され、続いてどのタイブがよいかが検討されることになる。
まず前者の議論であるが、外国、特に米国の空港では、もう随分前からこのDGSを採用し、マ−シャラ−(誘導者)を配置していない。  着陸した後、人っ子一人いないエブロンに到着し、エンジンを切ってしばらくすると、何処からともなく地上作業員がぽつり、ぽつりと現れて作業を始める。  たまに操縦席にもぐりこんでいて、このような場面をみると、どうしても侘しい感じになるので、パイロット諸氏に尋ねると、同感の人が多い。
日本のパイロットに意見を求めてみても、
 DGSがあれば、マ−シャラ−はいなくてもやれるんだが、いてくれると「やあ、お 帰りなさい!」と言っているみたいでいいね、女性マ−シャラ−だと、なおいいよと言うのが、平均的回答である.
それもあって、私は、機能完全なDGSがあったら、そしてお金においといがなければ付けてもよいが、マ−シャラ−は残したほうがよいと思っている。
最近はボ−デイングブリッジ近辺に、エプロンがよく見えるゲ一トラウンジが作られており、早めに来た搭乗客にとって、進入してくる機体とマ−シャラ−は、恰好の見せ物になっている。  だから、それ位はお客にサ−ビスしたっていいじゃないか、という気持と、日本の空港では航空機の到着前に、安全確認のため、作業員の一名や二名はそのスポットに来ることになっているから、その内の一人がマ−シャリングをやればよいので、計算上、人手がそれほど余計に掛かるわけではなかろうに.. というのが、私の存続論の主体である。
更に言えば、「DGSて、要らないんじゃないの?」というところか。

DGSには昔からいろいろ問題点があって、メ−カ−さんは悩んでおられた。
海外にはメ−カ−が多く、国内にも開発にのりだしたところが幾つかあるが、いずれも一つ位は弱点があったように思う。
 成田が開港後、二日目か三日目だったかのタ方、西日を背にエプロンに進入したところ、操縦席の正面にみえるDGSは、日光をまともに受けて真っ白に反射し、DGS内で発光している筈の輝線など全然見えなかった.  この機器は、確か,BOLDSという製品で、その頃は既に製造元が無くなっていたと記憶する。
そもそもDGSに要求される機能には、二つあって、機体が進入する中心線から左右へのずれを修正させることと、停止位置を指示することとである。
このうち、前者は比較的簡単な構造で機能を発揮できる。 例えば、建物側から中心線上に航空機へ向けて、ア−ム状のものを突き出して作り、その先端と根元のそれぞれに目印になる突起物を付けておき、操縦席から見通して、この二つが常にー致するように進入すれば、機体の左右のずれは殆ど無くなる。
また、このような機能は、照明器具を使っても実現できる。
しかし、後者の停止位置の指示については、一長一短で、百点満点のものは、未だに無いと思う。  というのは、機体の停止位置は、ボ−デイングブリッジの着けやすさ、電気、エアコン等動力源の取りやすさ、給油用ハイドラントの位置等々によって、機種毎に異なるため、精度のよい停止位置をパィロットに指示するのが、難しいのである。
最も単純なやり方は、パイロットが「そろそろ停止位置か?」と思った時に真横を見れぱ、ボ−デイングブリッジの横あたりに機種ごとの目印が付いている、というやり方であるが、デリケ−トな時に横を向くのは嫌だという意見があった。 また、この方式は機種毎に目印が必要であり、見間違えられても困る。
機首付近の地上に柱を立て、それから横へ看板みたいなものをぶら下げておく.機体が進んで来て、操縦席の窓にコトンと看板が当たったところでパイロットはブレ−キを踏む、という方式も使われた。  これは単純明快、かつ精度もよい、では機種毎に看板をぶら下げようかとなると、やはり煩維さのために「ノ−」となった。
それでは、と、光学的な工夫をした装置もある。 これは、機首正面のビル壁のやや高いところに、指向性の強い灯器をつけておき、操縦席から見る角度によって、急激に色なり、輝度が変化するようにするもので、パイロットは色なり、輝度の変化で自分の停止位置を知ることが出来る。  このシステムも、パイロットの視線より余程、高い角度につけねば精度がよくない。
現在は、エプロンにスイッチを埋め込んでおき、首輪で直接踏みつけて、停止位置指示灯を点けるとか、電波で首輪の位置を測定し、同じく停止位置を知らせる等々、アイデアをいろいろ示されているが、いずれも値段が恐ろしく高いものになっているらしい。
以上、ややくどくど述べたが、どこの空港計画でも持ち込まれる話なので、ご参考まで。


20
余計なおせっかい.... というか、考え過ぎは困りもの

日米摩擦の始まり頃のこと、国内のある空港の新設備としてボ−ディングブリッジ(旅客用搭乗橋)を購入、設置した。
使い始めてみると、到着した機体に近づけようと操作しても、思う方へは動かないどころか、とんでもない方へいったりする、不可解なトラブルが頻発した。・ご存じのとおり、ボ一ディングブリッジなんて、別に珍しいものではなくて、国内の空港では十分使いこなされており、構造的にも大した問題はなかったのである。
ただこの新型は、米国メ−カ−の宣伝もあり、ブリッジの運転操作を覚えることの出来るコンピュ−タ−を搭載しているらしい。
 もともとこれらのブリッジは、機種毎に装着する場所が異なり、最終的には微妙な調整を要するものであるが、このコンピュ−タ−は、B747やA300とかそれぞれの装着時停止位置をあらかじめ教え込んでおけば、次回からは機種の指定をしてボタンを押すだけで、正常な装着位置の直前まで自分で走っていける能カを持つ、という触れ込みであった。  一寸聞いただけなら「なかなか結構なお話ではないか...」というのが、大方の理解になって当然である. ところが、このコンピュ−タ−氏は、非常に繊細というか、蒲柳の質のお青ちのようで、近辺の有線無線にかかわらず、発生した電気的信号、つまりスイッチを入れたり切ったりしても、あるいは何かのスパ−クが飛んだだけで「頭」が怪しくなるらしい。
そこで、動かそうと、人間様が命令をだしてもあらぬかたへふらふらと走るのだというのが、技師の診断結果であった。
計算用のコンピュ−タ―だろうが、機械操作用のコンピュ−ターだろうが、ちょっとでも狂う可能性があれば、まったく相手にされないのが当たり前で、これはオフにして使うよう措置された.そもそもボ一ディングブリッジを動かす時は、作業員が操作盤の前に立っているのであり、自動化されたからといって、どこかに遊びにいけるとか、他の仕事をやれるとかいうものではない。  というのは、仮に自動化されてドアのそばまで、ブリッジが進んだとしても、次ぎにさらに手動による最終調整と客室のドア開きの作業があるから、自動運転中も立ち去るわけにはいかないのである。  まして、いつ頭の狂うかわからぬコンピュ−タ−氏であるからは。
というわけで、信頼性があろうがなかろうが、もともとコンピュ−タ−など要らないから、関空では最初からメ−カ−にはお断りしてあったし、今後の空港においても何か特殊な事情が無いかぎり、要らないものではなかろうか。


21
余計なおせっかいの最たるもの

空港造りには関係ないが、空港周辺に多い事件としての航空機事故は社会の関心を引きつけるものである。
 2、3年前に名古屋空港周辺で発生した中華航空機の事故は、「パイロットがオ−トパイロットの操作方法を熟知していなかったことによる」とされている。
私もそれに異論はない。 しかし、よくもこんなおせっかいなオ−トパイロットを作っもんだな... というのが率直な感じである。
細かな次第は忘れたが、パイロットが何らかの原因で、オ−パイを「着陸やり直し」のモ−ドにいれてしまった。  そこでオ−パイは、その命令だけを信じこみ、その後、ご主人様、つまりパイロットが、別のもっと素朴な行為で飛行機を通常の着陸姿勢にいれようとしたが、オ−パイは最初の命令を入れられた方法で取り消さない限り、がんとして聞き入れない、「オレは頭を上げてやり直せといわれたんだから、ダレが何と言おうが言われたとおりに...」と、言うなれば生き物のパイロットと無生物のオ−パイが、おたがい無言で腕カだけのケンカをしている状態になったらしい。
 もっと具体的に言うと、次のような経過になる。
ジェット旅客機は、胴体が長くなったこと、主翼に後退角がついているため、客数や燃料の搭載状態で重心位置の移動が大きく、機体の前後方向の安定を保っためには、水平安定板も動かせるようにしてあり、これで強力なモ−メント調整を行う.   (水平尾翼は、その前部の水平安定板と、そのすぐ後ろに蝶番でつけられた操縦    桿を前後に動かせば上下に動く昇降舵より成り立つ)前述のように、何らかの理由か原因で「着陸やり直し」を命じられたオ−パイは、まず昇降舵を頭上げの方へ動かし、機体を上昇姿勢に入れる。  ところが、パイロットは機体を降下させるつもけであるから、頭の上がり出した機体に驚き、操縦桿を押して頭を下げさせようとする、
一方、オ−パイは機体の姿勢で判断するから、思うように頭が上がらぬ状況に慌てて昇降舵をさらに頭上げの方にもっていこうとするが、おっとどっこい、それはパイロットに抑えられている、仕方がないから水平安定板を動かして頭上げを実現しようとするのである。   前に記したように、水平安定板は強力なモ−メントを作れるから、いくらパイロットが操縦桿にしがみついて押さえ込んでも機首は上がり続け、ついには単細胞のオ−パイが、ご主人様の意志に反して、機体を失速状態に入れて事故に引きずり込んだ.... というのが真相であろう。

この機体はエアバス系であり、そのオ−パイもフランスの設計であるが、メ−カ−の説明では、「正規の手順でオ−パイをはずさなかったパイロットが悪い。 今までの事故例からみても人聞より機械の方が、信頼性が高いからもっとオ−パイを信頼すべき」というものであった。
 最近は核実験のこともあり、フランスの独りよがりの中華思想に鼻持ちならぬ気になっているのでなお感じるのであるが、このオ−パイは独りよがりに過ぎる。
 世界中のパイロットが最も慣れ親しんでいるのは、アメリカ系のオ−パイであり、このタイプは、一旦あるモ−ドに入れられて飛行していてもくパイロットが強引に操縦桿を動かせば、すとんとはずれ、人力操舵に従うようになっているのだ。
何といってもアメリカのほうが、多くのトラブルや事故を経験しているから、正規の手順以外でも、操縦桿に何らかの強い力が加えられれば、ご主人様つまり、パイロットがなにか緊急の判断をしたのだろうと即断し、オ−パイはわが身をひくのである。
実例的に言えば、オ−パイが「着陸進入モ−ド」になって降下中、小型機が突然進路に飛び込んできたらどうなるか.パイロットは所定のスイッチなどへ手をのばす前に、とっさに操縦桿に飛びつくであろう。
ここで、フランス製とアメリカ製は生死を分けるのである。
つまり、前者はパイロットに余計なおせっかいを続けて(オ−パイは逆に「人間が余計なことをする」と思うだろうが)、死に至るのである。
私は、緊急事態や予測の難しい事態の判断は、人間に任すべきだと思うし、その時の素直な体の反応をオ−パイの解除手順に盛り込むべきだと考える。
 さらにもう一言、中華航空機パイロットの心情について憶測を述べておきたいが、彼等はおそらく、台湾空軍のパイロット卒業生であろう、そうすると軍隊時代の搭乗機はアメリカ製の機体であるから、オ−パイのいかなるモ−ドであっても、「操縦桿に力を入れたら人力に従う」と教わり、それが身についていたのだろうということである。

わざと他人や他国と違うことをして、それをユニ−クと喜ぶのは子供っぽい。
ユニ―クという言葉には、「独創的」という意味のほかに、「変わってる」とか「奇異な」という意味もあるらい、。


22
滑走路巾、翼端聞隔や誘導路の間隔について

航空機が地上走行する際、すれ違う相手航空機との、あるいは建物との余裕の距離を、翼端聞隔という。
わが国においては、いろいろの議論を経た結果、空港の滑走路/誘導路の聞隔、誘導路同志の聞隔、エブロン内の航空機同志の聞隔等は、それぞれの最小値が決めてある。
このような基本的なことは、当然、国際的な基準がある筈、と思われがちであるが、ICAOの付属書類をさがしま<っても、厳密に規定されているものは意外なほど多くない。
ICAOの専門用語に、「Standard」という語句があるが、これが頭初につく項目は、その記述内容を忠実に実現しなければならないことを意味している。
例えぱ、「計器着陸用滑走路の場合、その中心線より両側に、それぞれl50メートルずつの幅を着陸帯として確保し、その中に障害物がないように....」等、記述があれば、余ほどの事情の無いかぎり、障害物を除去せねぱならないし、もしそれが不可能ならば、その理由と共に障害物件が残っでいる旨、ICAO経由、公表せねばならないことになっており、最も厳重な適用を迫られる。
また、その次の用語として、「Recommendation」があるが、「勧告」との翻訳どおり、「最後はその空港当局の判断に任せるが、極力、このようにされたい」と解釈されるべきものである。
さらにその次、つまり、厳しさにおいては、三番目のものとして、専門用語で語句は決めてはないが、ICAO付属書のそのまた付属書、「Guidance Material、つまり「指導要領」とでもいうべきか、その中に「... のように考えればよかろう.」とか、「 ...との計算方式がある。 」との表現で、おすすめ品的考えが述べられている。
以上、3種類の国際的に決められた適用への厳しさに対し、わが国でのニュアンスは、いずれもlランク上げてとらえているように思う.
すなわち、 「Recommendation」は上記の「Standard」並に、「Guidance Material」記載事項は「Recommendation」並の強さに表現しているし、空港計画時にはそのように要求されている。
話は前に戻るが、ICAOの付属書において、「Standard」とされているのは安全性に直接影響のある事項のみであり、付属書第十四の「飛行場」の中では、発着時に最も気を使う着陸帯の規定等、世界的に共通性を求められる施設であって、その他は殆どが「Recommendation」が頭初についている。
従って、わが国では、「飛行場」の規定は、皆、強制力の強い「Standard」として、行政当局が指導しているのが実態であるが、私はそれに異論はない.というのは、もともと世界的な共通化が最も望ましいのであり、「Recommendation」への格下げは、それが経済的あるいは地形的に実現不能の空港への妥協であるからで、わが国がその妥協に甘えないで済むよう努力する姿勢は正当である。

さて、前置きが長くなったが、件の翼端間隔は、元はGuidance Materialで説明されていた事項であって、最後は空港当局の判断に任されていた。
最近の付属書では、これが「Recommendation」に格上げになっており、わが国でもさらに強い規定化のニュアンスがうかがえる.この項目については、わが国流の強い規定化の必要はないと思っている。 というのはエプロン内の駐機位置や翼端間隔などは、そこを使用する航空会社と空港計画者がその都度 協議して決めればよいので、多年の経験をもっ当事者ならば、安全に対する判断力が十分にあるから聞違いはないし、その場に合った融通の効いた使い方が出来る。
そもそも翼端の間隔の議論は、プロペラ機時代の末期から盛んになってきたのであり、大勢の見解は「機体があんなに大きくなるのだから、それに比例して翼端聞隔も大きくとらねば....」というものであった。
ところが、実機を運用してみると、人間の目の感覚は予想以上に精度がよく、操縦席が非常に高くなった(ジャンボ等)にもかかわらず、旧中、小型機と殆ど変わらなかったのである。   ちなみに、直線部分を走行する機体の首輪をみると、道路中心線から1メ−トルも横へずれていることはなく、ダブルのタイヤの間に中心線が挟まれているのが通常の状態である。
スポットに進入した時も同じで、最終の停止姿勢は、左右に5Oセンチもずれることはない。
つまり、ボ−ディングブリッジなどは、正規の装着位電から、2から3メ−トルも引っ込めておけば十分なのであって、現基準の7.5メ−トルも離れる必要はない。
ボ−デイングブリッジは、意外に複雑な操作を必要とするものであり、単純な直線運動で脱着できることが望ましい。

以上、どんな基準でも、実情に合わないものは盲信することなく、関係者/専門家の間で十分議論した上で、合理的なものに順次改定されるべきであると思う。


23
基準だけではカバ−できないこともある

以下の実例は空港計画に関する話ではないが、基準が「神様」ではなかったケ−スである。
今はもう国内に飛ばなくなったB727の全盛期であったから、25年も前のことになろうか、ある日、某機長から「福岡の滑走路に着陸してすぐに、ドンと激しいショックを受けたので、すぐ滑走路を調べてもらったが、異常なしとのことだった。 でも何かおかしいのでは?」と連絡があった。
そのうちに、「大韓航空機は同じようなショックにより、客室の棚に備えられたハンドメガホンが落ちた.」との情報もあり、すぐ運輸本省経由で空港事務所に聞い合わせたところ、「滑走路のオ−バ−レイを深夜に実施しているが、部分に分けて毎日5センチ厚さづつアスファルトを上乗せし、作業の最後にはこの5センチの厚さを、基準の1パ−セント勾配で旧路面まで擦りつけているから問題はない筈」との回答であった。
これで原因は明確になった。
確かに滑走路の進行方向の勾配は「1パ−セント以下であること」との規定があり、厳密には別の事項への基準ではあるが、オ−バ−レイの際もこれに準拠しているのであった。  5センチの厚さを1パ−セントで擦りつけると、その長さは5メ−トルになるから見た目にはなだらかで、聞題はなさそうである.ところが、B727級の機体でも着陸直後の滑走速度は、毎秒50メ−トル以上であり、この擦りつけ部分を通り過ぎる時間は、僅か0.l秒であるから、機体にかかるショクとしては、擦りつけがあろうがなかろうがあまり関係はなく、5センチの厚さによる瞬間的な突き上げ衝撃は避けようがない.状況を説明したところ、当局は直ぐに理解してくれて、2、3センチずつ数十メ−トルにわけてオ−バーレイ(嵩さ上げ)する方法に変わり、問題解決となった。

航空機、空港関係の基準は、まだまだ未決定や未解決のものが多い。
機体設計上の強度基準等、空を飛ぶ安全性に直結するものは、カーチスライト以後の経験や理論計算を経て、明確な自信のもてる数値が示されており、すでに議論の余地は殆ど無いが、前にのべたICAOの「Recommendation」以下のカテゴリ−のものは、必要なら国情や現地事情に合わせて再検討が可能と考える。
前記の翼端間隔然りだし、関空連絡橋の風速制限も然りである。 特に後者の場合は、その25メ−トル毎秒の制限が、日本全国に広がる鉄道網を考慮におき、最も無難な値に決めたものであろうから、関空に限定した条件として再検討してよいと思う。
かなり優秀な技術肴がまだ居る筈だし、「これは既に基準として決められているから、..」と簡単に自分の思考力のプライドを捨てないで欲しい。
基準やマニユァルは、その分野では判断力の無い人達のための道具や作業方法なのである。
「自分は専門家」と自負するなら、その分野については根本から自分で再組みできるくらい理解し、改善の努力を続ける意欲を持ちつづけたいものだ。


24
実地テストは下手な人に頼むこと、条件の悪い時にやること

成田空港第一期のエプロンの形状と寸法を決定する時、航空機の進入路の中心誘導線の描き方と進入路の幅をどのようにとるか、空港公団と検討したのであるが、ICAOや航空局の基準をみても、細部に至るところまで決めてあるわけではないし、B747のような当時の新大型機に対する配慮はまだなされていなかった。
そこで、航空会社側で一つの案を提示し、それを実地テストで納得して貰うことにしたのである.当日は予備機を一機、羽田のエブロンに用意して、腕のよいと言われている若手の機長の操縦で仮設の誘導線の上を走って貰った。  ところが、左まわりでも右まわりでもIメ−トルとずれないのである。  公団側は.提案での寸法で十分なことは納得してくれたが、さらに「あんなに精度よく進入できるなら、進入路の余裕をもっと小さ<してもよいのではないか., 」との意見まで出始めたので、慌ててその機長が特に腕のよい人であることを強調し、現実にはもっと腕の悪い人もいますと、おかしなところで力まねばならなかった。結果的にはやっと納得してもらえたが... 。
同じような話がもうーつある。  B747が本格的に就航しだした頃、千歳空港の滑走路は自衛隊の軍用機を対象としていたために、45メ−トルの幅であったが、そのままでB747が着陸すると、横風などで数メ−トル横へずれて、かつ傾いて接地すると外側のエンジンが滑走路脇の灯器に接触する可能性があった。
そこで、防衛庁/防衛施設庁に60メ−トルへの拡幅を要請したのであるが、本当にずれるかどうか、実際に着陸をしてみてくれということになり、B747を−機用意した。
 この時も名人だの神様だのと言われていたパイロットだったため、前後6回着陸したにも係わらず接地点は非常にまとまりがよく、首輪(前輪)のダブルタイヤの真ん中に中心線を挟む結果になってしまった。
防衛庁側立会いの人達は、前記の例と同じく「大型機といえども非常に正確に滑走路のど真中に降りられるものだ」との解釈をされ、気流が乱れたり、腕の悪いパイロットの場合はそういかない等、思いつく限りを述べて、印象の修正に苦労したものである。
このような実験に、わざわざ腕の悪いパイロットを選ぶというのも本人に知れると、気の毒な話だが、−番よいのは、ベテランに気象条件や腕の問題も配慮した、幅のあるデモンストレ一ションをして貰うことだと思う。
 デモンストレ−ションは、うまく実態を現出できた時、予想以上の好結果を生むものである。 まさに「百聞は一見にしかず」で、中立派はもちろん、反対の予見をもっていた人達まで一変して積極的賛成派に変わってくれる。  実態を見て納得し、自分もその開発/改善作業をやっているという実感が、これまでの行きがかりを忘れさせてくれるのらしい。  「そんな事、分かりきっている」と言わず、デモはやってみるものだと思う. 気象条件の事で一つ付け加えたいのは、新空港の立地条件調査の際は「風の強い日に実機飛行調査をおこなうこと」である。
山中の高地にある空港(例えば鹿児島空港等)は、風の強い日に離着陸時は激しく機体を揺さぶられるため、他の空港へ向かうことも少なくない.新空港についても完成後の就航率や安全性を事前に十分調査しておくべきであろう。

「ウインドシア」とか「ダウンバ一スト」についてこれらの言葉は何やら新鮮さを感じさせ、時々 新聞で大きく取り上げられているが、現象そのものは神代の頃から存在し、飛行機が飛ぶようになったこの数十年においてもパイロット達は先輩から語り継がれ、或いは自分で多少体験して知っている事である。

「シア」という言葉は、技術用語では「せん断」と訳される。平易な書き方では、「すりきる」とか、「ずれる」という語感が強い。
風が吹いている時、全体が皆同じ風速/風向で吹くことは無く、それぞれの部分で勝手な動きをしながら、全体としてはある風速/風向にまとまっているものである。
従って、ほぼ同じ動きをしている空気のグル−プと、その隣のやや別の動きをしている空気のグル一プの間には、風速や風向に「ずれ」があり、これをウインドシアという。
航空機が飛行中にこれらの二つのグル−プを突っ切ると、突然の気流のずれ、つまり気流の乱れをキャッチして機体が揺れるわけである。
一寸ややこしい表現になるけれども、ウインドシアとは、風速や風向の距離当たりの変化率のことであり、シア層が厚く強い時、航空機はより長くかつ激しく揺さぶられ、パイロットの操作で回復できないほどの時は墜落事故にもなる。
今、ある平坦な地面または波の無い海面上を風が吹いていたとする。 上空はl0や20メ−トルの風であっても、地上または海面に接するところは地面/海面の摩擦や空気の粘性により、風速が零であるから、その聞に風速の変化率、つまりウインドシアが存在するわけである。
航空機がこの状態の中を降下し着陸態勢にはいった時、パイロットは何を感じ、どのような操作をするか?何かの理由が無いかぎり、航空機は向かい風を受けながら、一定の速度、降下角度で滑走路へ向けて降けていくので、地上に対する速度は無風時のそれに較べて、向かい風分だけ低い。 また、向かい風でも斜めの方向であった場合は、そちらへ機首を幾分ふりむけて、やや斜に構えたスタイルでおりていく。
地表付近にまで降りてくると、風速が急に衰えるのに応じて対気速度が落ちようとするから、エンジンパワーと昇降舵で速度と進入角度を調整し、接地寸前に斜に構えた機首を滑走路方向へ引き戻すと同時にタッチダウンする...というのが、通常よくある風の中の着陸であり、パイロットにとっては手慣れた、特にどうということもない操作である。
関西空港の場合、周囲が広大な平面、つまり海であるから相当の強風下で横風気味の悪条件であっても、上記の修正操作をやや大げさにする位ですみ、パイロット達からの苦情は聞かれない。
−方、成田空港は周辺の平野部が雨による浸食を受け、随所が谷地と呼ばれる凹地になっている。 ここでは風があれば、上空の気流に多少の乱れを生じており、低高度を飛ぶ時は ゴトゴトとこきざみな揺れを感じることが多い。
これは地表の凹凸をなぞった風が上下の渦を含み始めたからであり、風が強くなると、短い距離の中で時聞的にも急変する激しい乱気流となる。
着陸進入中にこのような状態となり、しかも横風成分が強ければ、パイロットにとって前後方向のスピ−ドコントロ−ル、上下の姿勢調整に加え、左右の傾きの修正が加わるので、操作が聞に合わずハ−ドランデイングになることもある。 数年前に発生した某外国航空会社機のように、脚構造部から燃料タンクにかけて大きなひび割れを生じ、燃料がジャジャ漏れという重大事故になりかねない。 このような場合は、ほぼ間違いなく大火災になり、悲惨な結果を招くのが多くの例であるが、その時はエンジンが漏洩場所よりも風上側にあったため、強い風が逆にケロシンを風下へ吹き飛ばして、火元になるエンジンにかからなかった、という幸運な状況下であった。

上記の成田のケ−スや、強風時に花巻空港で乱流が多いことなどは、周辺の地形の悪さによるのであって、空港の立地条件調査時に十分検討され、必要なら離着陸操作の複雑さを少しでも減らすように、横風滑走路等を同時に計画しておくべきである。

ダウンバ−ストについては、十数年前であったと思うが、シカゴ大学の藤田博士が発表された講演で述べられたことであって、昔からあった自然現象の一環を発見し、判りやすく解説されたものである.我々が習った古典的、かつ初歩的な気象学によると、積乱雲は激しい上昇気流により生じたものだとか、台風の中心部には周辺部から流れこんだ空気が強い上昇気流を作っている等々、いずれも「上昇気流」にばかり目が向けられていたように思う。
しかし、よく考えてみると、上昇していった空気のあとは同じ量の空気が何処からか、補給されねばならない訳で、同博士はその補給ル―トが意外に短絡的、かっ多量で激しいことがある場合を発見されたということだと思う。
強い太陽熱によりかなり高い温度になった空気が激しい上昇気流となって高層に駆け上ると同時に断熱膨張と周辺空気の冷たさにより、こんどは急に冷やされて、気が付いた時周辺の空気よりはるかに重くなっており、再び真っ逆様に流れ落ちる...という現象をダウンバ−ストと称する。  積乱雲の中身はこのような上下流がすし詰めらしく、飛行機の飛び始めた頃から恐れられ、頑丈さが身上の戦闘機でさえ、中にはいると、十中八、九は生きて帰れなかったらしい。
ダウンバ−ストは、上記の通り、主として熱の問題で起こる集中的降下気流をいうのであって、地形による風の乱れをいうものではないし、前記の成田や花巻の事故のケ―スはダウンバ―ストとは言えない。
むしろ風が強く、上下左右に空気のかき回しが十分なされている場合は、熱の交換も万便なく行われており、むしろダウンバ−ストの原因は少ないと思われる。

ときおり、新聞紙上に、ウインドシアとダウンバ−ストが言葉の上でも乱流となり、理解困難にしている記事があるので、以上蛇足ながら.....。


25
よく作り過ぎても、罪つくり

再三、関空のことになるが、「便利に、スマ−トに」と思って作ったのに、結果も良い事ばかり、とはいかなかった.
そのl) 一直線の長大なビルと駐機場を作り、その周辺の作業者にとっても車両の交通に便利で安全だろうと思ったら、見通しが良すぎるのもよしわるしで、車を飛ばしがちになり、ひやひやさせられる。
だからといって、車両通路をクネクネ曲げようとか、見通しを極端に悪くしたらとか、考えるのも行き過ぎであるが、多少の高望みもいれて再計画するなら、道路を少しだけひねって−寸だけ見通しを悪くしたり、所々に信号でもつけるか...ということになるかも知れない。
その2) 到着客のサバケが早すぎる。
特に国際線到着の場合がそうなるのであるが、旅客が機内からビルへはいり、入国管理の手続きを終えて、税関検査場に到着しても、手荷物が現れないことへの悩みである。
むろん全部の旅客が自分の手荷物に関していらいらさせられるのではなくて、たまたま機内ではドア近くの席であって、早めに降りて、無人電車もすぐ乗れて、入管もすいていて、パスポ−トにも問題がなくて ...と好条件が幾つも重なった場合に起こる、どちらかといえぱ、やや賛沢な悩みである。
これについての回答は、はっきりいって、「それくらい、勘弁してよ」しかない。
もともと、タ−ミナルを設計する時に、手荷物の取卸しや輸送、そして税関検査場に出てくる迄に、航空機到着後何分必要か、それと、旅客が同じところに到達するのに何分かかるかを比較し、その結果、「手荷物は第一陣がl5分以内で到達可能、旅客は入管での所要時間、移動速度からみてl5分以上必要だからこれでよい」とした。
開港後、「手荷物の出が遅い」との苦情が二三あり、実地に調べた所、早い客は12分くらいで、税関検査場に出て<る。
問題は入管の処理の速さであって、すいている時はブ−スの前での停止時聞などは無いに等しい。   要は、入管がスピ−デイになり過ぎて、計算が狂ったのである。
手荷物の輸送は、機体からの取り卸し速度、輸送車両速度共に限界に近い速さであり、外国空港のそれに比べれば、格段に手早いものである。
従って、気の早いお客さんには、「どうぞ2、3分お休み下さい」となだめるか、それでも我慢できぬなら、入管の審査官にお願いして居眠りして貰うか、無人電車をノロノロ走らせるかであろう。
 以上は、「賛沢な悩み」といえるが、今後の計画においては「豪華絢爛たる空港」よりも、経験によって余計な贅肉を落とした、「スマ−トで処理能力の大きな空港」が目標となるのではなかろうか。
近年の海外旅行客層をみると、所得や年齢に殆ど関係無いし、「空港は国の玄関、一国の面目に係わるもの..」と力みかえる必要も無くなったと思う。
無人電車が走ることはなく、歩く歩道がところどころにあって、出発客や到着客が同じフロァで右に左に流れて行く、ビルの内観外観は簡素な清潔感さえあればよい、そんな空港である。
案外、最近作られた鉄道の駅にそのモデルが見つかるのではなかろうか。


26
過剰/華美な設備はご無用に

昔のお話になるが、私より十年位先輩の方に、ある時ぽつりといわれた「君、空港の中でな、それも俺たちの働く場所は、安く、頑丈に作ってくれよな、わき目も振らずに必死に働いているんだから、外観なんか気にならぬし、もともとそんな高給(高級ではなく高給)で働いているわけではなし....」という言葉が耳に残っているが、 関空が開港してこの一年、非常に生々しく実感するようになった。
実例l.開港前の手荷物荷扱い場の中でのこと、訓練中のカ−トの蓋が、天井から洞窟   の中のコウモリのようにたくさんブラ下がっている消火用スプリンクラ−に接   触した。 途端に高価な泡沫消火剤が噴出し、そこら中が泡踊り?の状態にな   り、しめて修復費三百数十万円を要した。
それを発生させた作業者に落ち度があり、彼の所属する会社が修復費を支払ったのは当然である。  が、しかし、である、何か吹っ切れないないものが、私の心に残った。
それは何か。  要するに、「高すぎる」のである。作業者の年間給与は300万円以下であり、彼の直接的出費ではないが、−年余の仕事が吹っ飛ぶほどの落ち度であったろうか。
 関空の旅客タ−ミナルビルは、一つの建物としては、かってない大きさと多層階のものであり、半地下部分に車が走り回る手荷物荷扱い場を持つところから、消防系との協議上、かなり大規模かつ高度の消火設備を義務付けられた。
多分、手荷物が発火したら..とか、上層の旅客の居る階に火が移ったら..とか、理由があったのだろうが、何も火薬庫みたいな消火設備まで付けなくたって..と思う。
場所としては、中型の消防車が自由にはいれるし、消火には極めて便利なところであるから、いざ鎌倉の時はそれで十分であろう。
どうしても付けるのなら、せめてもっと高いとろにスプリンクラ−をさげておけばよかった。それ位は、私も注意しておくべきだったと思ってはいるのだが。

実例2.エブロン側の建物の下の通路に誤って走り込んだトラックが、天井に損傷を与えて修理費が、二百五十万円。
   現場はお客さんに見える所ではなく、破損量をみても、せいぜい材料費二十五万円位か。  費目内容を見ると、現場経費とか、仮設費とか、設計費なんての迄入れてある。大体、設計費なんて、要る筈がないではないか。
強度上、必要な所は完全に復旧するのは当然として、お客の目には触れないが、建築家の趣味できれいに作った所は、外からみてまあまあの復旧程度で十分ではなかろうか。   それを、材料/材質/メーカ一さらに、修理業者も指定業者のみ、とあっては、無茶な値段にもなろうというもの.
実例3.或る時、運転を誤ったトラックが、場周道路の横のフェンスに突っ込んだ。
          フェンスの修理費が、八百万円!          ナ−ンデカ、ナ−ンデカ? それは、そのフェンスに侵入者発見のための検知システムの線が張られており、それを壊したから....フェンスの長さにして、せいぜい十数メ−トルなのに、そのように高価な警報装置がこの空港を取り囲んでいるとは知らなかった。
これも合点がいかない。 壊した場所近辺は極めて見通しがよく、ちょっと気の効く侵入者なら、とてもそんな難所?を越えようとはしないだろうし、たまに越えたくなるのがいるとしても、頭がおかしいか、とぼけたコソ泥ぐらいのものであろう。
町のなかのいっぱしの泥棒でも、一回当たり八百万円も収益をあげられる奴はいないだろう。 だったら、そしてたまのことなら、フェンスだけにしておき、勝手に乗り越えさせてから捕まえたらよいではないか、大した損害にもならないだろうし、空港内の制限区域内にはガ−ドマンが四六時中、巡回しているのだから...というのが私の思考過程である。
 と、言えば必ずや、保安系統の方々は「そのようないい加減な話では、我々は責任がとれない。 今までさしたる間題もなく過ぎてこれたのは、高能力の警報システムと大勢の警備員がいたから、諸犯罪を未然に防いでいるのだ...」と反論されるであろう。
このあたりは自衛隊必要論にそっくりで、再軍備必要論の私は、つい「そう、そう..」と言いたくなるのだが、それは違う。
コソ泥とか、おかしな奴の能力を何割か上回る対処策を持っておけばよいのであり、相手の何倍もの軍事カを持ち、一度戦争になれば、勝つどころか、相手の子孫の息の根まで止めることまでの過大な能力に賛成している訳ではない。
 本当に悪いことをしようとする輩は、もっと人目につかぬとろを抜けようとするか、正規のル−トを知能犯的に通ると思う。
要は、コスト&ベネフィットの問題になってきており、十年に一回あるかないかの侵入事件を恐れて何億、何十億の金を投入するのは如何なものか、ということである。
 今、一言、先回りしてお願いしておきたいのは、稀にそのような事件が起きると、すぐ傍目八目的に責任者探しに走り回る新聞諸紙にも、もっと冷めた目を持ち、書き方をしてほしいことである.


27
空港の計画上、ではなくて運用上の失敗について

これまでに何回か.「安易に既存の基準に頼るな、自分の理解力や判断力に自信があるなら、それなりの努力をすべき..,」と書いたつもりである。
「基準というものを軽視しているわけではないが、」と言いかけて、本心のどこかで私は軽視しているかなとも思うが、基準とはその分野が得意でない人のための道具として存在するのであって、自分が良く理解していると自負している範囲の基準であれば、常に自分流の基準を別に考えてよいと思う。 もちろん、自分流に基準をより厳しく考えねばならないこともあり得る.それは、「オレは判っているんだ」という、他人からみれば傲慢にみえるであろう自負心や誇りの裏側にくっついている責任感みたいなものであり、このあたりからはもう仕事上の道徳論になるのかも知れない.一方、自分が得意でない分野の基準は、素直にきっちり守るのが当然であろう。

 昭和五十五、六年の冬、航空会社の大阪空港支店に勤務していた頃の事であるが、今でも自分の管理能力の無さによる、酸っばい思い出がある.当時、支店内の組織として航務部があり、その中に航空機の整備をする課と燃料搭載量を決めたり、気象情報を集めて飛行準備をする航務課とがあった.この部の部長として初めて現場に赴任した私の心の中は、いきなり一級整備士とか、デイスパッチャ−(運航管理者)という国家免許持ちの尊門家グル―プに取り囲まれて、どのような管理手段があるのか心細かったのが正直なところであった。
むろんべテランの課長さんが配置さているから、こちらが気張ってみたってしれているわけで、自分の頭の中で何かがおかしいなとひっかかるものがある時だけ、口を出すことにした。    整備士のグル−プもデイスパッチャ−のグル−プも、膨大なマニュアルや基準に取り囲まれ、それを熟知しているからこそ日常の仕事が淡々と流れるのである。    私はどちらの免許も持っていないが、内心、「読めば判る筈だ.理屈は判っているんだから。」と、多少の自負心で自分を落ちつけていた。
年末に近いあるタ刻、雪が降り始め、間もなく止んだものの、気温は零度前後のまま夜になった。   整備員が、到着したばかりで翌朝出発のDC−l0型機2機に水をかけて除雪を始めたので、彼等に「大丈夫かね? 寒いし、機体の骨組は高空で冷えきったままの筈だが。」と言いながら帰宅した。
おなじ質問を前にもしたから、彼らの答えは判っている。
「任せといてください。マニュアルには“地上気温が零度以上なら水で除雲してよい”と書いてありますから」というのが前からの返事である。
 翌朝出社すると、机の上にもう東京からの緊急電報が載っていた。
「早朝大阪発の第一便が、離陸直後に操縦に異常があった。 左右の傾きを調整すべく操縦装置を動かしたとろ、動かないので、慌ててぐいと力を加えたら、ゴッンとの音と共に動くようになった。   その後順調に飛行したが、着陸後の調査の結果、主翼内の補助翼コントロ−ルケ−ブル部に氷結を発見...」とあった.これはいい加減な言い抜けで済まされることではない。氷結部がゆるまなかったら、大惨事になった可能性が十分にあるからだ。
早速、部内の課長や係長さんに集まってもらい、原因と対策の議論を始めたが、「マニュアルに認められているのだから、担当の整備員の責任ではない..」という言葉がちらちら聞こえてくる.ふと思い出して、「昨夜もう一機、福岡行きのDC−l0の除雪をやった筈だが、そちらはどうなった?」と尋ねてみたら、そちらの担当の整備責任者は、氷結の懸念を持ち防止剤入りの温水をかけたのでまったく問題なく、目的地に到着しているとのことであった。
そのやりとりを傍で聴いていた航務課長が、「部長が、水をかけてよいのかねと言うのは、昨夜で五回目でしたね」と、幾分、整備側の頑固さを責めるような口調で発書したが、私はかねがね自分を支えている自負心のわりには、それを現実面で何の役にも立たせることができなかったわが身の不甲斐なさに落ち込んでいた。
マニュアルにあろうが、無かろうが、自分の判断のほうが、基準よりもより安全だと考えるなら、それを現場で強制する権限は認められている筈である。
私の気の弱さの故に発生した重大な故障であった。
福岡行きのDC−l0を除雲した整備員みたいな人ばかりなら、マニュァルも管理者も不要であるが、そうとも限らないから厳密なマニュアルや経験と勘のよい管理者が必要なのだ。
即日、大阪支店の範囲での作業基準は改定し、「さらに詳細を調査し、正式にマニュアルの変更を検討する..」と言う本社の面子を気にしないことにした。

もう一つの失敗は、霧の予測についてであった。
これは、ある秋の夜、何の用事か忘れたが、空港の反対側にある伊丹市に出掛けての帰り.車で空港の近く迄帰ってきたところ、ところどころに白い霧のかたまりが見える。
いわゆる、輻射霧の前兆である。   まだ九時前だから、これから気温は下がり、明日の日の出前迄にはもっと本格的な濃霧になる可能性があるが、一旦、太陽が出れば、数十分でサッと消える性質があり、その頃到着する便は1時聞も空中待機すれば着陸出来る。 車で走りながら、いろいろ考えた。
明日早朝にグアム、サイパンから帰って来るる便に予備燃料を増やすように連絡しておいた方がよいな...会社へ電話して、一言いっておこうかな....いや、べテランの課長、係長さんがいるわけだ、彼らもエプロンに出ていくわけだから、当然気がついて、グアムへ電報を打つだろう、仮に勤務中に気がつかなくても、帰宅の途中に気づく筈だ、そうすれば会社にとってかえして電報を打つに違いない、私がいちいち直接言えば彼らの面子を傷つけるだろうからな、等々、気弱に自問自答しながら帰宅し、そのまま寝てしまった。
 翌朝、寝ながらも気にしていたとみえ、七時前に目が覚め、起きるなり窓をあけると外は真っ白けで、3、40メートル先は全く見えない見事な霧である。
しまった、と会社に電話すると、早番の係長が出て「グアム線は先程、名古屋へダイバ−トしました。Jという。   ダイバ−トとは、目的地に降りられない時に、別の空港に降りることをいうのであって、ざっとみて、数百万から−干万円の無駄遣いになるのだ。  むろん、2時間くらいは飛行機も遅れる。
その日、出社するなり、昨夜の現象と処置について、意見を求めたが、相手は昨夜の組と違う今日の早番組だから、わりにク−ルなことを言う。
中でもカチンと来たのは、「毎晩帰る前には気象予報をみますが、昨夜の分を見ても、大阪地方に霧の予報が出ていないし、たとえエプロン上で気づいたとしても、連絡不十分の責任は問われないでしょう。」という意見であった。
これは先程の除雪のドジよりひどい。 予備燃料をすこし増やしたとしても、その分のロスはしれたものだ。
「バカいえ、気象予報の略語なんて、中学だけの教育だって読めるんだ。  君達のデイスパッチャ−ライセンスは持っている理由なんか無いではないか。」と怒りはしたものの、昨夜に気がついていながら、気の弱さから適当な処置を採らなかった私がまず監督者失格である。
以上のやりとりを横で聴いていた業務の係長が、適切な助け舟をだしてくれて「何か気になる事があったら、休みだろうが何だろうが、業務係長に連絡すれば適切なる表現で現場に流れる」ことになった.
以上、本文の「空港作りの反省」からはやや外れた感なきにしもあらずだが、造る時や使う時に、安易に既成の基準によりかかっている節もみうけられるので、幾分しつこく述べた次第である。


28
そろそろ種がつきかけた....

このコメント集を書くことを思い立ったのは半年前で、ちょうど仕事の変わりめがきっかけであった。  きっかけというより、「はずみ」といったほうがより正確だが、初めの頃は次から次へと、殆ど抵抗なく出てきたのに、ペ−ジ数にして40を越えるころから、「何を書こうかな?」と唸るようになってきた。
そうなると、やや無理して種探しをするから、当然、中身にくどさが臭うようになる。
新聞に連載している流行作家じゃあるまいし、もともと才能があるわけではないから、いくら苦吟したって誰も褒めてはくれないし、さまにはならない。
と、内心、苦笑いしながらなお続けてきたが、50ベ−ジで、いよいよ種も力もつきた感じなのでここらでやめます。 ここまで我慢してお読みくださった方々に厚く御礼申し上げたい。
 以上


トップへ    随筆等へ戻る