空港造りへの反省 その2

平成8年

川田和良


空港への交通手段電車補強案旅客タ一ミナルシステムのバランス
手荷物搬送設備
コンテナ一自動積込機滑走路の長さ


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高度の設備はよいことばかり、ではないこと

これまでに、滅多やたらに高い設備を作るのは如何なものか、ということ  を述べたつもりであるが、もうひとつ(全く不合理/無意味とまで思っているわけではないが)、頭の中に吹っ切れないものが残っている。
関空におけるバゲハン設備の価格が決まり、その使用料金が推定できるようになった時に、概略の計算をしてみたところ、ざっと見て、手荷物一個あたり500円強の値がでた。 これは、いかにも高いと思わざるを得ない。
たとえば、あるシミッタレの航空会社があって、4階のチェックインカウンタ−で、手荷物を旅客から受取るが、自動搬送設備には投入せず、アルバイト採用の人海戦術で航空機へ持ち込む事を計画したらどうなるか?手押しカートに手荷物の五個や六個は積めるから、一個あたり300円払っても、一日5、6回も往復すれば、軽く一万円の収入になる、となれば、私だってやってみたい位だ。 当然、何故そんな高価な設備を作ったのか。
一個500円なりの値段は、確か、成田の場合の二倍半位であるが.その構成は、機械部の費用よりも、ビル内使用面積の負担費用によるものが大きかった。
空港会社の立場から言えば、「海の底から積み上げて作った土地にある設備だし、その土地の償却まで背負わされている一民間会社なんだから、高くなるのは我慢してくれ」となるし、そういう流れに沿って考えれば、判らなくもない。
しかし、前述の「人海戦術」的論法からすれば、「でもやっぱりおかしい」のである。
   何がそんなにこだわらせるのか、というと、「ものに対する常識的な値段ではない」ことであろう。    ここでのものとは、4階から1階への運搬という作業であり、その事のみの価値からすれば、とてもとても、一個500円には値しない。

話は飛ぶけれども、この様な奇異の念を、断トツ世界一を誇る?日本の着陸料や旅客の施設使用料に対して覚えるのであるが、それは私だけであろうか。
航空会社、旅客それぞれが支払う一人当たりの空港使用料は、ョ−ロッパの著名空港の2乃至3倍に及ぶ。
何年か前、関西空港会社に、米国領事を先頭に米航空会社の何名かが来て、「空港の施設が狭いからもっと貸せ、米国では日本航空に広々と与えている。 さらに、面積当たり使用料は高すぎる、米国はずっとずっと安いぞ」と言いたい放題、言ったので、私はカッとなって「我々は内陸部に土地がないから、海の底から埋め立てたし、金も掛かった。 それに比べれば、貴方がたは土地をインデイアンからから巻き上げただけだから安い筈だ.」と答えた。
その時は、優秀な日本人通訳が側にいてくれたのと、領事館側にも日本語ペラペラの領事がいたので、議論が加熱しても十分話せると、安心して答えたのだが、敵は「話にもならん」と白けたのか、呆気に取られたのか、その件はそれで打ち切りとなった。
最後に、日本語ペラぺラ領事氏が、「貴方はなかなかチャレンジングにものを言いますね。」と耳打ちした。    これは相当怒らせたなと思ったが、チャレンジングには、「はっきり、断定的にものを言うこと」との意味もあるそうで、そちらの方に 解釈することにした。
 話が横道へそれかかったが、この一件の最中も「とは言ったが、国際的なものの値段感覚から外れてはいるな」との思いは抜けていなかった。
 現在は国際的な協定の中に、空港の使用料について統一すべきとの取決めはなく、各空港において、自国籍機と他国籍機の間に差があってはならないことを求めているだけである。   従って、日本がいくら突出していても、他国から公式に文句を言われる筋はないのだが、それにしても高い。
「何でも要求してみよう、ダメでもともと」主義の米国やロシアが、出てきたらどうするか、だ。 別に、心の中に嫌米恐露思想があるわけではないが何時までも「日本は国土が狭いから...、資源が無いから...」と言い訳が通る筈がないし、逆に、外圧を言い訳にしてでも、国の補助を増やし、空港利用料を大幅に値下げすべきだと思っている。

ここで日本甘え論「日本は国土が狭いから..」について、やり込められた事をお話ししておきたい。
十年近く前の話になるのだが、関空会社で埋め立て工事を始めた頃、背が高く恰幅のよい紳士が会社へ現れた。   60歳位の年頃、白髪色白で、一瞬、日本語で話かけてよいか迷ったのである。   自己紹介により、オランダ航空の東京支店長の深川氏であり、混じりけなしの日本人であることが判った。
用件を伺うと、オランダ航空も将来 関空へ就航するので、十分な数のカウンタ一と事務所スペ一スを与えるようにとの要望であった。
そのような要望は、すでにいろいろな航空会社から来ていたから、関空会社側にも手慣れた答弁のスト―リーが出来上がっている。 私も何回目かなので、すらすらと口に出た。「航空機の騒音問題により、狭い日本の内陸部に適地がないこと...止むなく大金を投じて海の中にわざわざ島を作り、飛行場にするのだからとても皆さんの欲しがる全てを満たすわけにはいかぬこと....皆さんご不満があろうが仲良く使って頂きたい」等々。
その間、氏はいつの間にかパイプをくわえて静かに聴いておられたので、私はつい、外人相手に答えているつもりになっていた。
私の話が終わると、深川さんはにっこり笑ってパイプを口から放し、反論された。
「私は日本人ですからそのような事情をよく承知しております。  そこでオランダ本社は勿論、航空会社間の会議や海外政財界人との会合においても十分説明するのですが、 納得してはくれません。     逆に、いやそんな大計画を一株式会社に独立採算制で 任すのはおかしいぞと、反論されるのです。
彼等の言うには、日本人はオレ達から、あれ程コテンパンにやっつけられたのに、よくここまで立ち直ったよ、その経済力の回復は、敗戦後の約二十年が船と港による物質的輸送力、その後は航空機と空港による人材と知識の交流に頼った筈だ、日本全体の経済が空港に頼っている現在、国が空港に力を入れないのがおかしいのだ、第一、海の中に飛行場を作ったことをそんなに大袈裟に言うのなら、オランダはどうなる?国自体が海面下に作られてるんだよ、と。」   このやりとりは、前記の米国領事館員に率いられたグループの言いたい放題よりも、はるかに重みのあるボデイブローだった。


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空港への交通手段と航空機発着能力のバランス

バランス論にはいる前に、何が空港への最善の交通手段かといえば、「日本の大型空港においては鉄道が第一」との答えに異論はないと思う。
千歳、羽田、成田、小牧、伊丹、関空、板付と並べてみると、昭和30年台は鉄道を持つ空港が皆無だったのに対し、現在も持たない空港は小牧と伊丹のみ、それも伊丹には近々モノレールが乗り入れるので、いずれは小牧のみということになる。
欧州においても鉄道が見直されており、目動車至上主義の米国でさえもJFKに鉄道のアクセスを作りつつあるという現実は、石油浪費文明への反省ではないかと考える。
ま、そのような精神論を抜きにしても、人口密度の高い地区を背後に持つ空港には、費用、所要時間及び信頼度の点からみて「鉄道が第一」という結論は明らかであって、上記の日本の空港にはそのすべての条件が備わっている。
ひと頃「これからは自動車社会、空港には巨大な駐車場が必要」と、空港計画の担当者は尻が赤くなるほど叩かれたものだが、羽田沖合や関空のがら空き状態や、板付の地下鉄の便利さをみると、「尻を叩いた奴は出てこい!」と言いたくなる。
  というわけで、関空は当初から鉄道を空港に引き込んだこと、それも原計画においては第二期工事も終了した後の全体的利便さを気をかけて、その重心にも近いところへ駅があったのを、「最初から便利なように」とターミナルの正面に引き寄せた。 その結果は大成功であったが、これは成田の第一期において、京成電車の空港駅が中途半端なところにあり、長い間のバスサ一ビスが利用者の不評を買ったことが大切な経験となっている。

鉄道礼賛論をぶったが、わが関空の電車は良いことずくめばかりではない。
この一年間に、数時間ずつとはいいながら風のために12回も運休した。 うち1回は昨年の台風時であり、流石にこの時は飛行機も止まったから、それをカウントするとll敗l引き分けである。
そもそも、風を相手にするというか、苦にするのは飛行機の筈であって、地面に足が着いている電車がへたるとは思いもしなかった。
現在のジェット旅客機には、どの機種についても似たような横風に対する運航制限値がある。 すなはち「離着陸時に横風成分が25ノット、13メートル/秒を越えてはならない」というもので、滑走路に真横の風なら13メートルで運航停止となるが、真正面の風ならたとえ50メ−トル吹いても構わない。と言いたいが、実際に着陸して滑走路から誘導路に出るときは、機体に対して真横の風50メ一トルとなるわけで、前輪をとられてまともな走行が出来な<なる。   無論、それ以前に、空港内の諸地上作業車が動けなくなっており、事実上の空港閉鎖になってしまっている。
では空港閉鎖になる風の強さはどれくらいかということであるが、方向を問わず、23メ一トル以下であろう。   20メートルを越すと方々で障害が出始めるのが普通なので、20から23メートルの間で空港閉鎖状態になる。  (以上はいずれも平均風速)いま一つ、風速の決め方について付言しておくと、ご存じのとおり、風には数秒から数十秒にわたる強弱の息があって、その強い時を瞬間最大風速といい、息のばらつきをならしたものを平均風速と称する。   そして自然現象的にみると、平均風速の半分が変動要素、つまり平均風速の約l.5倍が瞬間最大風速になるとされている。
前述のジェット機の運航制限値は、平均風速での表現なので、13メ一トル/秒なら、瞬間最大で約20メ−トル/秒までは、運航が可能なわけである。
次に電車の方の制限値であるが、本当に転倒する恐れは瞬間最大で35メートル以上吹いた場合であるものの、安全側の余裕をみて、風向を問わず最大瞬間25メ一トルを限度としているらしい。
この一年の強風時の風向は、偶然にも南風ばかりであったから、航空機の発着には殆ど影響がなかったが、海上の連絡橋を通る電車にとっては、真横の風で苦しい状態であった。
しかし、一寸 疑問をもつのは、連絡橋付近で25メートルも吹いているなら、空港内でも同じ位は吹いている筈なのに、それほど発着や地上作業の困難さに関する報告はなかったことである。
前に、空港閉鎖になる風速を、20から23メートル/秒、と述べたが、これは平均風速であるから、瞬間最大では30メ−トル以上になる状態であり、電車の方の制限値の瞬間最大の25とはまだ余裕があるが、瞬間でも25に達すると、現場からの悲鳴?は出だすものである。
もうひとつ、同じ頃に自動車やバスで走ったが、すこし風上へ当て舵をする位で、それほどの横揺れも感じなかったことである。
何故だろうか?     私の推測は、風速計が過大な風速を拾っているのではないか、というところにある。
連絡橋のどの部分に設置してあるか知らないが、風速計は最寄りの構造物により、その測定値は大きな影響を受ける。   通常の風杯型またはプロペラ型風速計で、その付近の、影響を受けていない一般の風速を測定したければ、その構造物の上流か、斜め前方へ、構造物の寸法の半分位は離す必要があるとされる。
そのような設置方法が、現実的に取れない場合は、電車が実際に受ける風力と風速計との差を実測しておき、その分を考慮したもので走行制限値をきめるべきであろう。
橋梁の側壁の近傍で計っている場合、一旦 側壁で止められた風が上下に別れ、再加速に移った部分をとらえていることがある。
従って、次のような調査や対策を提案したい。
1.モデルによる風洞実験を行い、気流の乱れや電車への実効風速への修正量を把握する.
2.前項の調査の結果、必要なら防風ネットなり、防風壁なりを車体の高さまで設置する.
幾分補足すると、
 車体の大きさや長さから考えて、橋桁による局部的な強風に惑わされる必要はなく、付近の一般的な風速で議論するのがよい.    隙間だらけとはいいながら、橋桁で囲まれた電車の走行路近辺の風は、一般的な風速より低いはずである。
 防風ネット類は、風下のみならず風上に対してもかなり有効であるから、電車の上下線の中聞に張っても効果がある。 そうすれば、来港者の視界を妨げない。
我々の希望からすれば、空港閉鎖になった後、尚、数時間は走ってもらいたいのであり、数値的にいって、一般的な瞬間最大で30メートル位は、頑張って欲しい。


12
風に弱い電車補強案 その2

本日は強風のため、関空への電車がまたもやストップ。 平成7年11月8日。
昨夜も一時停止したらしいが、これで頻度から言えば、開港後、平均毎月1回は下らぬ勘定になろう。   さらに皮肉なのは、風まかせの飛行機はシレッとして飛んでいることだ。
最近、空港会社は長い議論を経て、やっと半分腰を上げた、ではない、上げかけたようだ。
1.異様に振れる風速測定値の不採用
2.風速の上がりそうな部分に低い防風ネットを張る
3.空港島対岸の駅より、連絡橋を通ってバスで臨時輸送する

上記1は橋梁の影響により、逆に加速されたり、渦流の局部的瞬間強風を計っている可能性大であり、当然である。
2は幾許の改善を期待できるか不明。 風速にして、高々、プラス1、2メ一トルという。
3は、本日初めて経験、寒風下の一時間が骨身にしみた。 数千人に達したろうか、待っているうちに、柵をくぐった小母さん達がうろうろし始めたので「どうしたのか?〕と思っていたら、トイレを求めての右往左往だったらしい。
3台くらいの車寄せでは間尺に合わない。   雨風になり、脳溢血で人がぶっ倒れたら空港会社、電鉄会社は責任の尻を持ち込まれるだろう。

さてどうするか?一番手っとり早いのは、余計な風速を計る計器をはずすこと、これは別に冗談で言ってるのではなく、一度、本式の流体力学屋に頼み、適当な設置場所を探すこと、電車の本当の耐風限界を知ることであり、何時までも余部鉄橋や東西線のケースに怯えたままですむことではないと思う。
そもそも、現在の耐風限界は、風向に関係なく25メ−トルだと言う。 それでは電車の正面から、あるいは後ろからの風25メ−トルでも止めねばなるまい。 本体は時速100キロ、つまり風速30メ−トルと同じ状態で走れるのに...である従って、本気で限界を定めるなら、航空機とおなじく、横風成分と速度制限のコンビで決めるべきである。
そして、確かに限界近辺の風が吹くならば、電車の前後に日根野車庫あたりからEFやEH何とか型の電気機関車を前後に繋ぎ、重し替わりにして走ったらどうかと思う。
もっと思い切ったやり方を採るならば、空港への上下線を使って、同じ長さの電車を同方向へ、肩をピタリと並べて走らせ、空港/臨空駅間のシャトルサ一ビスをさせることである。     こうすると風下側の電車はもちろん、風上側の電車も耐風限界が上がり、つまり間接的ながら、両列車が支え合った形になって走れる筈である。
このあたりの裏付けも、上記の流力屋さんに確認してもらえばよい。
今のままではあまりにも不甲斐ないし残念である。


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出到着分離型の旅客タ一ミナルについて

もう、古典的テロ事件になりつつあるが、岡本コウゾウ、字を忘れてしまったが、なるオッチョコチョイ日本人のグループが引き起こした、「テルアビブ空港乱射事件」といわれる見境いのない殺戮事件があった。
この件は、岡本一派が、別の空港を出発する際、検査が甘いことに目を付けてマシンガンを手荷物として預け、テルアビブ空港到着時に、各メンバ−が荷物の中からそれを取りだすと同時に、周囲に向けて乱射したものである。
このような行動は「計画性のあるテロリストなら、まず、検査の甘い空港で小人数の工作員に火器や爆弾類を機内に持ち込ませ、目的地空港で保安検査を済ませてきたテロリストグループと合流の上、騒ぎを起こすとか、さらに別の空港へリレーし、第三の空港で事件を起こすことを考えそうだ」という連想を、空港当局に植えつけた。
つまり、当時の各国の空港では、到着したばかりの旅客が、保安検査の終わった出国客とロビーですれ違うのが、当たり前であったから、まったくの妄想とは言いかねた。
その後、これと同一というわけではないが、世界各地で爆弾・銃撃のテロが続発したのは、ご承知のとおりであり、ICAOの関係会議でも出発客と到着客の分離の必要性が議論された結果、ICAOの付属書における「勧告」として、分離することが望ましい旨、記載されることになった。
これが、約10年前のことであり、その前後に計画された各空港ターミナルは、それを考慮したものが多い。
構造的に分離出来ない場合は、保安要員を配置し、到着客と出発客が混合しないようにすればよいことになっており、物理的に分離のみを勧めているものではないが、要員数を増加させることを恐れ、構造分離型を指向したのである。
大きな国際空港における具体例を挙げれば、ロンドンのガトウイック新タ一ミナル、ヒースロウの第五タ一ミナル、新ミュンへンのタ一ミナル、成田第二期タ−ミナル、関空タ−ミナル位であろうか。
やや古くなったものの、相変わらず利用者に評判のよいシンガポ一ル チャンギ−空港では、保安検査を各出発ゲ一トで実施する、ゲートセキュリテイ方式を採っている。
ヨ一ロッパの既存空港では、このゲートセキュリテイ方式が殆どである。

上記の勧告からこの十年、冷戦は無くなり、ところどころに小規模の「熱戦」がまだみられるものの、大規模のテロ、例えば二手に分かれて同時行動を起こすとか、事件後に逃げ込む国にあらかじめ手を打っておくとかのテロは、近年殆ど見られない。
乗っ取りケースは時々見受けられるが、大抵が単独の単純犯であり、構造分離型のビルでなければならない理由はなくなってきているのが実状ではなかろうか。
構造分離型のビルは、簡単に言って、出発用と到着用で二倍の面積を要し、構造も複雑になり、多大の建設費が必要とされる。
それよりも、ゲ一トセキュリテイ設備のみ常置して、必要に応じ、保安を強化する方式を採用することでよいのではないかと思いつつある。


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チェックインカウンタ−の数と、バゲ一ジソ一テイングシステムの能力のバランス

通常、日本で採られているチェックインカウンタ一必要数の計算方法は、ピ−ク時間当たりの出発旅客数を予測し、個人旅客一人当たりのチエックイン時間や団体旅客チェックイン能力を勘案の上、これに多少の余裕を加えて結果を出すやりかたである。
その様な手法の根底にある考え方は、カウンターの共用であって、エアラィンごとに何時も同じ場所で同じ数のカウンタ−を使用しているとは限らないことになる。
最近は、各航空会社がそれぞれ複雑なデ−タを盛り込めるコンピュ一タ−チェックインシステムを持っているので、もしも本気でカウンタ−の共用をするなら、同じ場所に何種類もおかねばならないから、現実には大きな困難を伴う。
その様な理由もあって,IATAは共用チェックインシステムである「CUTE2」を開発し、各社の要求をほぽ満たしているようであるが、全ての不満が治まったようにも見えない。
「CUTE2」は、“COMMON USB TERMINAL EQUIPMENT  第二型“の略

以上のような共用を基にした計算方法とはまったく別の考え方もある。
それは、旅客タ一ミナルの計画時に、乗り入れる航空会社から各自必要とするカウンタ−の数の申込みを受け、多少の余裕数は空港側の責任で持つとして、彼ら航空会社の欲する数だけ作ってやることである。  (むろん、使用料の提示と共に確実な使用契約を予め結んでおかねばならないが。)そもそもチェックインカウンタ一なるものは、航空会社にとって自己の営業力の誇示、看板であって、常時使用しようが しまいが、構うことなく数多く欲しがる傾向があり、共用方式は好まない。     そして、使用料についてあまりうるさくはないから、空港側は必要な経費について、しっかり確認をとっておけば損はしないことになる。

関空の計画時に、各航空会社の激しいカウンタ−要求合戦をみた時、上の後者の方法が、より自然な気がした。    あまりに相手の要求を圧迫した形の配分にすると、それを逆手に、まったく別の言いがかりや要求を出しかねないのである。
後者の「言いなり方式」で作れば、現在の160カウンタ−の五割から十割増しにはなったであろう。
そして、このようなカウンタ一の実働効率は、当然のことながら低下するが、全カウンタ一で受け取られる手荷物総数は変わらないから、バゲ−ジハンドリングシステムの能力は、「共用方式」だろうが、「言いなり方式」だろうが変化はなく、ピ一ク時間の旅客数にバランスすればよい。
どちらの方式を採るにしても、小規模の間は、単純な直接搬出型ベルトであり、あまり大きな変化はないが、大規模のビルになれば、それぞれのカウンター群に単純なベルトを付けることは、無駄な設備、場所の増大を招くほか、作業場の広大化のために作業人員の増加を発生させる。
従って、バゲージソ一テイングの自動化、すなわち、オ一卜マテイックソーテイングシステムの採用が一般化している。
共用カウンタ一の不利な点で言い忘れたのは、旅客にとって、たとえその人が旅慣れていても、自分の行くべきカウンタ−に迷うことであるが、バゲ−ジソ一テイングエリアでは、最終のベルトが完全な共用方式であっても、作業員にとっては知り尽くした場所であり、戸惑うことはない。
従って、大規模のバゲ一ジソーテイングの設計の場合は、ピ−ク時を目標にとり、フル稼働の容量状態を狙えばよい。 (この時、チェックインカウンタ−は、とてもフル稼働の状態には至っておらず、せいぜい6割稼働位であろう。   前記のエアライン専用カウンタ−方式を採っている限り、その10割稼働にバランスするバゲ−ジソ−テイングシステムを用意する必要は無い。)そのような訳で、オ一トマテイックシステムのソ一ターを使う限り、バゲ−ジのソ−テイングエリアは計算ずくの形状と面積設計が出来るが、乗り継ぎの手荷物や、通常の形や重さではない手荷物の搬送方法、通箱の返送方法を考え、面積と形状には何がしかの余裕を持たさねばならない。 (通箱には、小さな荷物やころがり易い荷物を入れる)その意味では、関空のサンドイッチ的旅客タ−ミナルは、バゲージソ一テイングエリアを上層階の面積と形状にピタリと合わせ過ぎ、将来の「我慢度」を強要された時の融通性に欠けるかも知れない。
昔の話でいけば、当時入手可能の千馬力ピタリに設計点をあわせ、翼も胴体もギリギリの強度にして軽い機体に仕上げ、強武装、大航続 距離、しかし無防御の戦闘機を作った。
これが日本で有名な零戦であるが、ピタリの強度設計にし過ぎたために、その後の強化改修が殆ど不可能に近かったようである。
出現当時は乗り手が名人級であったから、圧倒的な強さを誇ったが、大量生産力、大馬力のエンジン、高品質のガソリンを有する米国には、最終的に圧倒されたのである。

単にバゲハンの設計に限らず、空港の設計全般について常に思うのは、敷地等、後で拡張の効かない根本条件について、ある程度いい加減でもよいから多少の余裕をとるべきところを、計画者自らギリギリの線まで切下げてしまう傾向があるのは、日本人の通弊として諦めざるをえないのであろうか。


15
手荷物搬送設備はフルオ−トか、セミオ一トか

関空の旅客タ−ミナル計画時に、IATAとの会議を開き、バゲハンの自動化の検討をおこなったが、予定乗り入れ便数の少ない会社からは自動化不要論がだされた。
その後、大勢は自動化に納得したので、詳細の議論にはいり、自動仕分け方法、最終のメ一クアップベルトの数や形状について意見が出されたのだが、外国社から「セミオ一ト」とか「フルオ一ト」とかの言葉が出だした。
我々日本人にとっては初めての言葉であり、いろいろ聞くとフルオ−トとは、便別は勿論、着地別、クラス別にまで仕分ける方式を意味していることが判った。
 これを採用すると、字のまったく読めない作業員でも、目の前に流れて来た手荷物を横に置かれたコンテナ一に黙々とほりこめばよい、タグなぞには目もくれずに...。
しかし、そのためには、多数のメークアップベルトと広大な荷扱い場、数ぱかりが多い作業員を必要とする。 米国やョ−ロッパ地域は、字の読めない外人労働者も多いからそのような構想になるらしい。
関空では場所の余裕がなく、字の読めない人もいないからとの理由で、メ−クアップべルトの数を減らし、2便共用のやや長大なレ−ストラック型ベルトにしたのであるが、このように最後の段階で、簡単ながら作業者の識別能力が必要とされる方式は「セミオ−ト」と呼ぶのだそうだ。
IATAとの議論の際はあまり気がつかなかったのであるが、海外の空港では、作業者の労働の単純化が主目的で自動仕分け設備を作り、我が国では、面積効率を上げるために自動化を考えるのが主流のようだし、それでよいのではなかろうか。

それから、これは一寸 オ−ト/フルオ一トの議論から離れるが、最終ベルト(メ−クアップベルト)の形と大きさについて、地上作業者側から出された意見や経験論を記しておきたい。
メ一クアップベルトには、単純な一本のもので行き止まりになったピア型と、グルグル回る、通称レ一ストラック型の二穆類が使われている。
ピア型は、フルオートとコンビで設置し、十分な数の作業員が揃っておれば、それなりに効果を発揮するが、もしピーク時に少人数で作業をしている際、流れてきた手荷物を拾い上げ損ねると、コンベアの行き止まりまで取りに行かねばならない。
その点、ル一ストラック型ならまた回ってきた時に拾えばよいので、日本流はこれが主流である。
またべルトの長さについても、コンテナ一の二個分、四個分、六個分等、いろいろの主張があるが、これもフルオ一ト型はベルトの短い二個分、セミオ一トは長い四、六個分の長さのベルトに組み合わせるのが通常と思われる。
関空の場合、国内の航空会社からは六個分の長大型ベルトの要求があり、これを採用したが、一挙に六個分のコンテナ一に手荷物を満載することにより、航空機までの牽引回数を減らし、省カへつなげるのが目的である。


16
コンテナ一自動積み込み機の開発は難しいこと

最近は各種の生産工場や物流センタ−において、ロボット化や自動化が行われ、人影がみられない工場すらある。
関空計画時も、最新式の設備を導入しては如何かと、関係各社からいろいろの提案を頂いたが、その中で最も印象に残ったのが、手荷物の自動式コンテナ一積みつけ設備の開発であった。   結果は、断念に終わったのだが、それに至る迄の過程がよい勉強になったのである。
計画初期の頃、関西系の有力電気メーカーの方から申し入れがあり、現場の作業状況を見学し、作業経験者と質疑応答を行った。
その結果よく判ったのは、次のような人間の素晴らしさであった。
1.次々に流れて<る手荷物の形状を記憶し、コンテナ一一個分の体積を目で計る.
2.頑丈そうな物を下に積み、残りの空間を考えながら華奢そうな手荷物を上に積む.
3.積む手の動きは、荷物の形状と残りの空間に応じ、上下左右、自由自在に動く.
4.手荷物は、サムソナイト、風呂敷包み、ソフトバッグ、ゴルフバッグ等からガラス製品に近い、形も丈夫さも重さも異なるのであるが、まず目で何処を掴むべきかを確かめて手を出す、
5.掴んだ瞬間に手の指が、手荷物の重さや柔らかさ、掴んだところの滑り易さを感じとり、適切な力で持ち上げる、
等々、一見、単純極まりない人間の作業でも、実用的な自動化は難しいと思わせる因子がある。
上記1からだんだん難しくなり、4と5に至っては殆ど不可能、仮に開発出来るとしても、それまでの期間と費用を考えると、実現不能とみてこのメーカーも提案を引っ込められた。
それ迄にも、二、三の大メーカ−から研究の希望があり、それなりの経験から自信を持って取り組まれたのであるが、荷姿があまりにもバラバラであることに気づくと共に、上記の理由により提案を中止されたことがあった。
その共通の結論は、「現時点で何か機械化するとすれば、省力化のためのマニュピュレーターぐらいか.」というところである。
すべての機械が自動化されている航空機に近い場所での作業に、アンチ自動化の案外な伏兵がいたわけだが、私見を言わせてもらうと、「そんなに無理して自動化しなくたって....」というのが本音である。
どうしても実現したければ、旅客の手荷物の荷姿を数種類に統一することで考えねばなるまい。さらに、現在の人力主義では、コンテナーへ手荷物を積みつける費用が一個当たり50円以下であるから、自動化が出来たとしても荷姿の統一費用も含めての値段がそれ以下でなければ興味を持たれまい。


17
滑走路の長さの議論

入社後・初めての実務が、就航直前のDC一8型機の離陸重量とその時必要な滑走路長の計算であって、以来、空港当局の御用聞きが多く、最初に述べた成田の原計画のため、運輸省へ出向したのも、それが主務であった。 現在使用中の4000メ−トルA滑走路に加え、2500メートルB滑走路〔Aに平行〕、3200メートルC滑走路〔横風用〕を持つ構想については、苦い後悔が残っている。 というのは、A滑走路は主として長距離便の離陸用に・Bは中短距離便〔ホンコン、マニラ等〕離陸用に使用し、着陸機はA,B滑走路を適当に・・・・という考え方で納得し、大型空港を作ったことも使ったこともない我々には、何の抵抗感もなかった。
その後、海外の大型空港の発着を経験し、空港の混雑が激しくなってくると、管制官、パイロットの両立場ともに、A,Bの使い分けが、非常に難しいことが判ってきた。
例えば、長距離便は、Aが混んでいても、また遠くてもAに行かねばならないため、誘導路を混雑させる上、管制官にも仕分けおよびコントロールのための負荷が増える。
パイロットにとっても、てじかな滑走路から離陸するわけにもいかず、遠くの滑走路まで2キロぐらいは地上を走ったり、逆に着陸後、自分の入るべきゲートを探して誘導路上をウロウロ走らねばならぬことになる。 やはりB滑走路といえどもせめて3000メ−トルはあるべきで、若さと未経験のなせる思慮不足であった。
では,滑走路は、長けりゃ長いほどよいか?一般的に言えば、「その通り」であろう。  離陸中の航空機のエンジンが、突然停止したとすれば、そのパイロットは、ただちに着陸しようとするし、まだ地上滑走中なら、残りの滑走路上で止めたくなるものである。  もし、脚が地面を離れた直後に、そのまま着陸しようとするケースまで考えると、7000−8000メートルは必要となるが、そのようなことまで計画にいれた空港は世界中に見当たらない。   土地がそれほど潤沢にはないのが普通だし、第一、経済的にも成り立たない。
従って、民間旅客機の場合、より現実的な考え方を採っている。
すなわち、離陸滑走を始めて臨界速度に達する前に、一つエンジンが止まったら、ブレーキを
かけ停止する、(臨界速度とは、離陸断念か、離陸継続かの境目の速度)
離陸滑走を始めて臨界速度を越えてから、一つエンジンが止まっても離陸/上昇を続ける、
全エンジン運転のまま、通常の離陸を行った場合の15パーセント増しの距離、
の3データを比較して、必要な滑走路長を決めることにしている。
この様な手段を用いると、気温33−34度、滑走路高度零メートルとして、計算上は、
末期のプロペラ長距離機で、2500メートル、
初期のジェット長距離機で、3000メ一トル、
中期のジェット長距離機で、380Oメ−トル、
最近のジェット長距離機で、3500メ一トル位の長さが必要とされた。
ジェット旅客機の出現当時は、機体の大きさや重さに比べ、エンジンの発達が遅れている感があり・重量当たりの力が小さいため、大型化と共に、滑走路長がどんどん延びる傾向があった。
B747−200型機の出現の頃より、「頭うち」の傾向をみせ、−400型機の登場と共にやや減少にも転じている。  ただ、この現象が続いて、長さが将来も減り続ける、と思うのは、早計というべきであろう。
前述の、必要な滑走路長を求める際の要因を挙げてみると、1)機体の重量 2)エンジンの出力 3)安全に関する規則・条件 の3項目が主なものである。
機体の重量が増加したり、大型化すれば、同じエンジンでは加速力が減るから、当然、離陸距離が延ぴる。 これを抑えるためには、エンジンを強化せねばならない。 今後、もし機体の大型化が再発(B747の出現後、約25年沈静化している)し、エンジンとの開発競争が始まるとすれば、路長が延ぴるか、縮むか判らない。
1970年初頭のB747用エンジンが、推力4万ポンド級であったのに比べると、最近は9乃至10万ポンド級のものが開発されつつあるようだから、今はエンジンの能力が機体の重量化を追い抜いているとみてよいのではなかろうか。  従って、滑走路長を減少させることが可能になったといえる。
 エンジンの強力化と共に、装備エンジン数を少なくする傾向がみられ、結局、滑走路長にあたえる影響はプラスか、マイナスか断定し難いところである。 ただし、同じ装備数であれば、当然、路長は減る傾向になるわけで、別の見方をすれば、メ一カ−は装備数を減らしても路長が延びないで済むと考え、経済性の観点から設計していると思う。
 将来の機種の一つとして、超音速旅客機〔SST〕の滑走路長がよく議論される。
最近、不勉強なため、やや状況が変わったかも知れないが、私見として 超音速機の出現は、まだまだ先のことと思っている。 というのは、今から30年近く前に、米国SSTと英仏共同SSTの2種類が計画され、前者は機体構造上及び経済性、騒音公害の問題から開発を断念し、後者は従来確立されてきた機体構造を用いて、コンコ一ド16機を生産、就航させたもの、芳しい成績とはいえず、稼働機数は年々減少し、現在は10機位しか飛んでいないからである。  このような結果に至った元凶は、超音速飛行中に必ず発生する衝撃波にあるといえよう。 衝撃波は、巡航中の抵抗を増し、従って燃料消費量を増し、飛行経路下の地上に、いきなり、「ドド一ン」と大きな音を及ぽす。
この音のために、人口密度の大小に係わらず、陸地上空の超音速飛行を止めたり、陸地そのものを避けねばならず、飛行時間が伸びたり、航続距離が不足したり....ということで、結局、米国は見切りよく諦め、英仏2国は強行して骨身に沁みたわけである。
 やや前置きが長くなったが、衝撃波の問題は、30年前と同じく改善されていないから、大気圏を飛ぶ超音速機は、まだ考えようがないと思う。
ただ問題をもっと絞って、滑走路長の話へ戻せば、超音速飛行時には、亜音速の現用旅客機より、はるかに強力なエンジンを必要とするわけであり、翼面荷重が多少変化しても離陸滑走距離は現在の旅客機より減る傾向になろう。 コンコードはその傾向をみせている。
 将来の航空磯に係わる事として、SSTの前に、亜音速機の超大型化が気になるところである。  B747の出現は、世界中の空港当局を怒らせつつも、エプロンやターミナル等、諸施設の改造に踏み切らせたが、その後の20年余は〔空港改造戦争〕がなく、当局は経営上の平和安定期に慣れてきた。  ところが、以前にも何度か出た計画であるが、B747を上まわる超大型機の話が再燃しつつあるようだ。  今回も、空港当局の反対や航空会社の消極性により、つぶれるかも知れないが、SSTよりは身近い話であることに間違はない。
かなり理論的というか、抽象的というべきか、大型化には「2乗・3乗則」の問題がある。
それは、機体を相似形のまま、寸法を2倍にすると、翼や胴体の表面積は4倍になるが、機体重量は8倍になるという、極めて単純な理屈である。  航空機の場合、相似形であれば、飛行特性もほぼ同じであるが、重量当たりの翼面積が少なくなっているため、より高速で飛ばねならないことになる。  つまり、離陸するにも速度を上げる必要があり、そのまま放っておくと、即、滑走路長増大につながる。
無論、これまではフラップの強化やエンジンの出力増大、機体の軽量化で路長の増大を抑え込できたわけで、これからもそのような努力がなされるであろう。
この問題については、現時点であまり恐れる必要はないが、将来ある段階で頭を持ち上げてくる可能性はある。
 さらにもう一つ、滑走路の長さを決める航空機側の要因として、滑走路上の温度がある。
「気温が上がると空気密度が下がるので、連度を上げねば離陸出来ない、従って離陸距離が伸びる」、と説明されているが、その寄与率よりも、エンジンの出力低下による伸びの方が大半を占める。 すなわち、エンジンに吸い込む空気の温度が上がれば、圧縮されたエンジン内の温度はさらに上がるため、同じ調子で燃料を吹き込むと、高温の内部は強度が保てない、従ってそうならないために、燃料噴射量を減らさざるを得ない、するとエンジンの出力も落ちる、機体の加速が悪くなって離陸距離が伸びざるを得ない、という因果関係になる。
内部強度が急激に影響をうける気温は、最近のエンジンで、気温30度位からであり、夏期の気温が軽く30度を越えることが多い地帯では、気温の実測と予測をなるたけ精度よく行う必要がある。
地球の温暖化が本当に続くなら、それにも配慮すべきであろう。   もっとも、そうなって南極の氷が溶けたら、海面が15メートル上昇するそうだから、関西空港など早々に沈没してしまう、離陸距離だの滑走路長だの議論したって始まらない、ということになろうか。

以上は主として機体およびエンジンと滑走路必要長の関係であったが、次に離着陸時の安全に関する規則や条件について触れてみたい。
先に、離陸距離を計算する時の条件として、ある速度に達する前ならばブレ−キをかけて停止する、ある速度以上なら残るエンジンで加速を続けて離陸してしまうと述べたが、通常の運航時に、ある速度付近でエンジン故障が発生すると、パイロットは驚きと共に、一瞬の躊躇をすることがあり、オーバ−ランにつながったことが報告されている。
このある速度とは、航空機の離陸重量ごとに決められている速度であって、これ迄に述べたように、重大な決心を迫られる瞬間であるが、一秒の経過が、8Oメ−トル程度の距離に相当するから、仮に三秒の躊躇があったとすれば、240メ一トル滑走路長増となる。
現在、各機種について公認されている必要な滑走路の長さには、多少〔一秒程度〕の躊躇が含まれているが、 「通常運航の際はそれでは不十分」とする米国航空当局と、「四の五の言わず、いや、迷わずにすぐ決められたとおりに操作すれば、現在公認されている路長で十分」と主張する英国を初めとするヨ一ロッパ諸国の航空局との議論が続いている。
私見ではあるが、ヨーロッパ流の考えの方に、より現実的な「分」があるように思う。
というのは、ある速度付近での判断は、もともと、機械的に操作する事を求めているのであり、運動神経の反射遅れによる一秒程度は判るとしても、さらに2ないし3秒の躊躇までみるのは屋上屋というものであろう。  いま一つ言えるのは、近年はエンジンの故障が減り、離陸中に計器が出力異常を示したとしても、調査の結果は、計器目体の故障であったことが、殆どの場合を占めるからである。
あえて言うならば、2ないし3秒余裕について滑走路用地に余裕を持てるなら、初めから舗装するしないは別として、計画者がポケットマネー的に配慮しておけばよいと思う。
 安全に関する基準に、「滑走中にエンジンが故障したがそのまま離陸した場合、残るエンジンで3パーセント以上の上昇勾配がとれること・・・・」という項がある。
  〔3パ−セントの数値は、装備エンジン数や飛行状態で異なる。〕このような基準を満たすためには、機体の重さや大きさに対し、エンジンの総出力が相当大きくなければならぬ事を意味する。   従って、地上滑走中の加速力も一定値以上をになり、離陸距離も「そこそこ」の長さを越えない。
逆の言い方をすれば、離陸のために4000や5000メ−トルも走らねばならぬ機は、家鴨と同じで、実用的な飛行機としては、まず存在しえない、つまり滑走路も4000メ−トルより長くなる可能性はないと言えよう。

以上、ああでもない、こうでもないと疑問形で終わる問題点ばかり述べたが、至極簡単にけりをつけると、「世界中の大空港の滑走路は3000から4000メ一ルであるから、航空機メ−カ−の方がそれを前提に新機を設計せざるを得ない」ということであって、こちらの方が説得し易い論法かも知れない。

滑走路長さに関する議論の最後に、長さを決定する際の考え方について,二つほど触れておきたい。
その1として、国際線長距離便用の滑走路なら、最大離陸重量で離陸可能な長さを目標とすべきである。  よくある議論として、具体的な路線を想定し、その路線距離や航路上の風を考慮した離陸重量で滑走路長を求め、これにこだわる事があるが、滑走路が出来上がった頃にはもうそんな路線どころか、とんでもない長大路線に大型機が飛んでいる、というケ一スが少なくはない。  航空輸送なんてのは、所詮、雲助商売であるから需要さえ出来れば朝令暮改、どこへでも飛ぶのが身上であるから、最大離陸重量を想定しておくのが正解ということになろうか。
その2として、滑走路の両端からさらに300メ−トル位を無舗装の更地として残しておきたいという事である。  確か、米国の航空法にも、同じような更地を必要とする旨、記載されていたように覚えているが、事故例として、ブレ一キの故障とか先に述べたように、離陸断念時にオタオタしたため、オ−バーランするケ一スが無くはないからであろう。
300メ−トルあれば、機体の破損〔脚やエンジンの破損〕があっても、大きな人身事故は防止できると思われるので、海上空港ならば是非欲しいものである。
滑走路舗装が護岸まで続いている空港で、ブレ一キ故障がおこれば海中に突っ込む可能性なしとせず...である。
 二十数年前だったと思うが、何処かの空港の滑走路長をいくらにするか、計算をしている時、肩越しに覗きこんだ部長が、「また長々とした滑走路を作る気だな、長く作ったからといって事故は無くなりゃせんよ、長いからいいやと気を許す奴がいるもんで、そんなのに限ってオ一バーランだのアンダーシュートだのやるんだよ。 オレたちが昔、着艦訓練をさせられた時はな、航空母艦の甲板の長さは200メートルも無かったんだよ、それも目の前で上がったり、下がったりするのに降りたんだ。 きっちりやれば、そんな3000メートルなんていりゃせんよ」と笑いとばされた。 元帝国海軍のパイロットの御託宣であり、「そんな無茶な、今のジェット機は・・・・」と答えたものの、一つの真理をついている事も否定出来ない。


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2004/10/17