プレシジョンファーミングを探る  return
−日本型精密農法のシナリオ−

東京農工大学 大学院生物システム応用科学研究科 澁澤 栄


 1.はじめに

 プレシジョンファーミング(Precision Farming)あるいはプレシジョンアグリカルチャ(Precision Agriculture)は精密農法や精密農業あるいは精密ほ場管理ともいわれており,欧米では21世紀型の新農業生産システムであると期待されている1)。本稿ではとりあえず「精密農法」で統一するが,本来的に意味するところは,後述するように,ほ場や農業生産システムの多様な変動を適切に管理しながら,環境保全と生産性維持・向上を同時に実現することにあり,「知識集約型のばらつき管理農法」とでも呼んだ方が適切である。直訳でなく,適切な対応日本語が求められているが,著者の貧困な文才では無理である。本稿の目的は,精密農法の特徴を解説して,日本における展開方向を考察することにある。


 2.精密農法の登場

 精密農法の概念とアプローチは1980年代末に欧米で発案・展開され,1996年の国際会議(ミネソタ)でPrecision Agricultureと名称が統一された2)。精密農法登場の概略は次の通りである。
 「沈黙の春」(レイチョル・カーソン著)で記述されたような農薬や化学肥料による環境汚染が深刻化し,人間への汚染被害まで顕在化するに及んで,特に80年代には化学資材散布の法的規制が強化された。その汚染源に注目した対処療法として,「有機農業」とか「無農薬農業」あるいは「生物防除」などが試みられた。1989年に全米研究協議会(National Research Council)が出版した「代替農業 (Alternative Agriculture)」は,その一つの到達点を示している。
 しかし代替農業の中で提案されている環境保全中心の有機農業などは,投入コスト増に比べて生産性低下の場合も多く,必ずしも広範な農業者の支持が得られなかった。ミネソタ大学の土壌学者 Prof. H. H. Cheng らのグループが,環境保全と生産性を同時に追求するため,ほ場を小さなセルに区切って細かく管理する手法(Site Specific Management)を提案した。GPS/GISやリモートセンシングあるいは収量計つきコンバインの普及でその構想が一挙に現実化し,10年を待たずして農法革新の有力候補になり,国際化するにおよんだ2)
 図1に示すように,精密農法は常に農業システム全体を理解しようというシステムズアプローチを特徴としており,農業全般の情報化とあわせて,様々なレベルの最適化を行おうとするものである1)。現在のターゲットは可変作業(Variable-Rate Application)にあり,ほ場の各地点の情報にあわせて農薬散布などを調整し,生産性を維持しながら,大幅な投入減による環境負荷低減を実現することにある。


 3.精密農法の3技術要素

  精密農法の技術要素は次の三つである3)

Variable Description:精密農法は,別名「ばらつき管理農法(Variable Management)4)」ともいわれ,作物や土壌状態の空間的時間的なばらつきを正確に記述することが基礎になる。そのため,ほ場内の正確な位置を計測し,その位置座標と時間座標の上に土壌肥沃性とか収量とか病害虫発生などの情報を記録することが求められる。その結果,ほ場マップが完成する。ほ場マップは農業用GIS(地理情報システム)の基礎になる。
Variable-Rate Technology:ほ場マップ及びほ場のリアルタイム計測に基づいて,可変型の作業を実行できる技術であり,各種ほ場センサーと知識集約的あるいは知能化した機械システムが必要になる。例えばイリノイ大学のグループでは,雑草の種類と葉令にあわせた必要最小限の除草剤散布を目標にした可変防除作業機を開発しており,散布量の低減幅は5割から7割との報告もある。
Decision Support/Making System:最適な作業を実行するための判断部分を担当するシステムで,これが充実することでプレシジョンファーミングの内容が豊かになる。農家の農法・経営戦略の意志決定を支援するものから,可変作業におけるリアルタイムの意志決定アルゴリズムまで,まだ研究は国際的にも序についたばかりである。

 以上の3要素技術の組み合わせにより,プレシジョンファーミングをめざした作業が可能になる。   


 4.精密農法と農法革新 

 精密農法の普及がもたらすインパクトの規模や内容を予測することは難しいが,現在進行している研究開発と欧米での普及状況から推論して,図3のように,農法全体を革新する潜在力を精密農法がもっているといえる3)。農法の定義には様々議論があるが,ここでは実態として営まれている農法を技術的に理解する視点として,5大要素を提案したい。作物,ほ場,技術,地域システム,農家の動機(意志)である。精密農法は,ほ場マップ管理による作物とほ場の情報化を実現し,可変作業による環境保全と生産性の同時追求をめざし,さらに意志決定支援システムによる農家の動機を中心とする各要素の再編を迫ることになる。すなわち,精密農法は,情報化技術を背景にしながら,これら5大要素すべてを再編組織化することを目的にしており,旧農法の全面的な変更を迫るものとなっている。   


 5.技術発展のシナリオと日本型精密農法 

 精密農法の出発点は,図4に示すように「ばらつき」の理解からはじまる3)。ばらつきには,空間,時間および予測のばらつきがあり,また「ほ場内のばらつき」と「ほ場間のばらつき」がある。また生産・流通・消費という農産物の生産と消費の流れに沿ったばらつきもある。このように,ばらつきは階層的重層的である。センシング技術の向上で,より簡易にばらつきが観測できるようになる。環境保全と生産性に関わる主要なばらつきの存在をつきとめたら,その対策としての可変作業の実現が研究開発課題になる。各種センシングと判断機能を備えた機械化技術が,課題の中心になろう。最後に,ほ場管理の最適戦略決定を支援する道具立てが要求される。この技術発展が一巡したところで,具体的な精密農法の姿が顕在化することになる。この発展は,スパイラル状に何巡もしながら発展するものとなるであろう。

 技術レベルと農法戦略の選択によって異なる技術発展のシナリオが可能である3,5)。技術レベルには,現行の集約的で省力機械化技術の段階,情報化とほ場マップ管理の段階,大規模・小規模を問わない可変作業実現の段階が考えられる。第1ステップから第2ステップへの飛躍には,各種センシング技術や農村の情報ネットワーク及び各種モニタ付機械技術の技術革新が駆動力となる。第2から第3ステップへは,可変作業を可能にするほ場の各地点で求められるローカルな判断機能,可変作業機構,およびほ場やほ場群を対象にしたクローバルな意志決定支援アルゴリズムなどの技術革新を伴う必要がある(図5)。

 シナリオとしては,多肥多収を第1目標に設定する場合,環境負荷低減のための投入減を実行しながら収量は維持する場合,そして環境保全を第1目標にしつつ収入を安定させる場合である。シナリオの選択は基本的に意志決定できる農家群の判断によるが,環境保全の世論や環境基準の強化と収入安定の見通しが,より進んだシナリオの選択に農家を向かわせるであろう。
 特にステップ2から3への発展は,図6に示すように,農業の姿を大きく変える可能性がある。ステップ2段階で,耕作放棄地も含めたすべての農地の情報化(土壌分布や栽培履歴など)が実現して「情報付きほ場」が登場すると,第3ステップにおける展開は,広域一括管理であっても個々の農地の特徴に対応した可変作業が可能になる。「情報付きほ場」によって,第3者であってもそのほ場群の農法戦略を自在に選択できるようになる。

 上記のシナリオを実行する場合には,具体的なスケールが問題になる。日本の場合,農業地帯では小規模なほ場が複雑に入り組んでおり,しかも各ほ場内では均質化を目標にした肥培管理が高いレベルで実行されている。図7に示すように,これは水田群で典型的に現れる5)。各水田はよく組織化された潅漑排水システムによって結びつけられており,互いに影響しあっている。ほ場間には,透水性などの土壌の違い,栽培品種の違い,生育ステージの違い,病害虫発生等の違いなど,ほ場内に比べて格段のばらつきが存在している。これは,例えば共同あるいは個人所有の育苗及び乾燥処理施設の運用効率などにも影響する。従って,ばらつきの管理は「ほ場間のばらつき」が主要な対象になるはずである。収量計付コンバインと乾燥調整施設での張り込み伝票の整備などから,「ほ場間ばらつき」の記述と管理が開始されことになるだろう5)
  一方で,農地による環境汚染の実態が少しづつ解明されつつある。環境保全対策は,個々の農作業の緻密な管理を必要とし,ほ場内マップの整備とSensor-baseの精密農法が早々に期待されるようになる。


 6.おわりに

 精密農法はシステムズアプローチと「ばらつき管理」を特徴とした新しいタイプの農法であり,旧来の要素還元型の研究開発手法や思考パターンを大幅に変更しなければならない。同時に,対象は日本に存在するほ場のばらつきであり,自動的に日本型の農法を問題にせざるを得ない。また図8に示すように,日本は混住化社会であり,無数の田畑が都市や森林と複雑に錯綜しながら,伝統的な景観を構成している。日本における精密農法への挑戦では,欧米の最後のターゲットと位置づけられている地域システムの多様性に最初から取り組まなければならない。ここに,日本が精密農法に挑戦する国際的な意味もある。


 参考文献

1. National Research Council (Committee on Assessing Crop Yield: Site-Specific Farming, Information Systems, and Research Opportunities): Precision Agriculture in the 21st Century, National Academy Press, Washington, D.C., pp. ,149, 1997

2.澁澤 栄:米国プレシジョンアグリカルチャへの訪問,農業機械誌,61(1),7-12,1999

3.澁澤 栄:人工知能と畑地農業−精密ほ場管理農業への展望−,畑地農業,478,2-12,1998

4. S. Blackmore et al.: The Role of Precision Farming in Sustainable Agriculture - A European Perspective -, presented at 2nd Intr. Conf. Site-Specific Management for Agri. Systems in Minneapolis USA on March 27-30, 1994 (personal document). 

5. S. Shibusawa: Environment-friendly Agriculture and mechanization trend in Japan -Prospects of precision farming in Japan. Proc. Inter. Sympo. "Environment Friendly Agriculture and Mechanization Strategy", Seoul, Korea, April 9, 1999(in press).

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