我が青春の三重大       戻る

筑波大学名誉教授 小中俊雄

 

昭和43年11月1日、35歳、三重大学助教授に着任、若くて頭髪も黒々とした写真が残っている。

それから9年、わたくしの最も張り切って仕事をし、楽しく過ごさせていただいたときである。中川先生を初め農業機械学科の先生方、学生諸君に深く感謝しています。

昨年、松山正彦さんから第2回生同窓会に招待の連絡を受け、8月16日、名古屋豊田ビルに向かった。第2回生とは卒業前の数ヶ月の短い交流ではあったが、はじめての教員生活の学生であり非常に印象深い学年であったので、ひさしぶりの眼前の中年諸君が往年の若々しいイメージで思い出されたのは大変うれしかった。

会は、幹事の長谷川俊二さんの司会で楽しく進行した。わたくしの手みやげは「生物生産システム工学」の著書とCD-ROMであったが、一緒に持っていった三重大時代の写真のソフトウェアが一番喜ばれた。それは白黒の記念写真であり、スキャナーでパソコンにとり込んだもので、拡大するとメガネ無しで懐かしの学び舎、日の出屋やみんなの顔がはっきりと見えるのであった。

実は、近況を紹介しますと、定年前の仕事は農業機械からシステム工学に重点を移し、現在も毎日パソコンに向かって、関連のプログラムやソフトウェアの作成を行っています。

というわけで、家族や往年の写真なども次々にスキャナーでとり込み、電子アルバムをつくっていますので、三重大時代のものも一部ファイルになっています。

また、地球に優しく生きるために、3月から自動車もプリウスに乗って少しでもCO2削減に協力しています。ホントは単なる新しもの好きかも知れません。

ホームページも出していますので、是非ご覧になって下さい。禿頭の老人にがっかりされるかもしれませんが。

Home Page URL = http://www2.justnet.ne.jp/~tkonaka/

また、三重大時代の写真のJPGファイルの欲しい方は下記へご連絡下さい。

Email address = tkonaka@ma2.justnet.ne.jp

農業機械学科のカリキュラムにその名もずばり「コンピュータ」の授業を導入したのは、先見の明があったと高く評価しています。ほかの大学でもコンピューター関係の授業が行われるようになったのは、それから数年後のことであったと思います。また、研究のためのデ−タ処理を大型計算機で行うために、第4回生の長谷川雅博君などと、わざわざ京都大学まで行っていたのが懐かしく思い出されます。今ならパソコンで家庭でも処理できるのですが、当時は大学の計算センターにデ−タカード(いまでは、これも見ることはできません)を持参して行ったものです。

時代は変わり、いまではインターネットなどが生活にとけ込んできていて、私の5歳の孫でもパソコンをマウスで操り電子アルバムをみる時代になりました。

農業機械学科(現在の正しい名前を知りませんが)でも学生諸君の日常の道具になっていることと思います。感無量です。 (1998/6/8)

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