廿七年度東大教養学部 理二 六B 1953.5.28           戻る

追思  40p          復刻 by 林尚孝

岩殿山
手塚 信也
  旅人よ故郷人に告げよかし
  我らのここに眠れることを。
      −デルモピレエ弔碑−
 起伏興亡、変転定まりなき中世戦国時代の武田一族にまつわる古戦場は、甲信二国に亘ってあまりに多い。
 その内でも長野市郊外の川中島を初めとして、伊那の高遠城趾、松原湖畔の海の口、上諏訪市外の????麓等、信州側に点在する古戦場が、いづれも武勇??小説に轟き、旭日昇天時代の信玄公事績を伝えているのに反して、信玄公生地の甲州側に残された古戦場は、すべて痛ましい敗戦の物語を秘めていて、そぞろ一脈の哀愁をそそって止まないのは、真に運命の皮肉と言わざるを得ない。
 天目山は言わずもがな、勝沼の柏尾坂にしても、新府城、帯那山麓の上帯那部落にしても、とりわけ北都留郡                        2001/1/1

41p
賑岡村の城跡、岩殿山の如きは、その代表的なものであるに違いない。中央線に乗って甲府より東上し、笹子トンネルを出抜けて列車が初狩駅にかかると、左手に巨岩の天に聳立するを見るであろう。
 大月駅で下車して駅前の甲州街道を五六分歩むと、やがて人家が絶えて桂川に架した高月橋を渡って突当たるとそれがもう岩殿山麓で直ちに胸を衝く急坂を電光形に登る。一足登るごとに大月の町が脚下に展開して、玩具箱のような家並みが行儀よく並んでいる。
 誰しも遠方から眺める岩殿山の岩壁は、富士溶岩の集結であろうと考え勝である。
 なんとなれば富士山大爆発の際の溶岩は遠く猿橋近までも流出したのであるから、岩殿山もその時の生成であろうと考え易い。所が近づいてみるにつれて、この岩はすべて水成岩から成り、畳十数畳もある正面の鏡岩は、純然たる?岩であることが知られる。この事は甲府盆地がもと水底であった証拠の一つともなる。
 麓から僅かに四十分登って少々汗ばんだ頃、番所跡に出れば、もう後は平坦な道で灌木類茂みの中を馬場跡から展望台に立つと、からりと開けた真南に、富士山のクローズアップである。
 凡そ甲州には富士山の名所が少くない。そしてその何れもが甲州随一を誇っているが、一体、富士の鑑賞には、裾野を長く引いた富士山そのものの均整美と山が湖水かすそ野かを配した周囲の環境とによるものと両者相まって、富士山の美しさが得られるものであろう。
 岩殿山頂から真正面に仰ぐ富士山は、御?正体山、八丁峠、三つ峠山、鳥打峠等の所謂富士の前衛の山々が並々したその上部に、どっしりと腰を据えた富岳である。あたかも細腰明眉の洛陽随一の佳人の幾重にも重ねた襟元を見るが如く、端麗な富士の姿に旅人達はいつまでも眺め入る事であろう。
 ふと目を転じて傍を見ると一基の詩碑が毅然として建っている。

  欲問當年遺恨長 英雄前後幾興亡
  ?巌千尺荒墟上 伏剣恨然見夕陽

 明治十三年中佐時代の乃木将軍が第一隊々長として、富士山麓の演習に参加しての帰路、ここに立ち寄った時の実感を詠じたものである。
 「欲問當年遺恨長」とは武田一族の事を指したものに違いないが、新府城を焼き捨てた武田勝頼が、武田家と最後まで運命を共にせんとする譜代の忠臣四・五十名に護られて、言葉少なく、足どり重く落ちのびる先は、岩殿山であった。勝頼の駒の傍に付添って、忠実に働いているのは土屋惣三ででもあろうか。少し遅れて小宮山内膳が血走った目をいからしながら歩んで行く。笹子の険を前にし             2001/1/1

41p
て、駒飼の部落に到着した時、無二の忠臣と信じ切っていた岩殿山の城主、小山田備中の変心を知り、駒のたてがみを返し、恨みをのんで悄然と田野部落まで辿り着くや、前後に敵を受けて、ついに自害の直前まで白刃をふりかざしつつ一族郎党は斃れたのであったが、その昔ギリシャに於ても波斯人の来侵をスパルタ王レオニダスが三百の兵を率いてテルモピレエの険に??んだ時、スパルタ市民は冷淡にも援助しようとせず、見殺しにしてしまった。その時一人のスパルタ兵が剣の先で、旅人よ故郷人に告げよかし、我らの此処に眠れることを、と岩へ刻みつけておいたのを、後に碑文に?て、テルモピレエの古戦場に建てたと伝えられている。
 今岩殿山巌頭に於て、秀麗な富岳に相対して聳えるこの詩碑を身、「剣を伏して恨然として夕陽を見る」と口づさんで居ると、しずしずと駒飼の部落を立ち出でんとする武田一族の愁然たる落武者の姿がありありと瞼に浮かんで来て、そして−故郷人に告げよかし、我等の此処に眠れることを−とかすかな残声が我々の耳許に伝わって来るのを覚える。
 岩殿山はいづれの季節を問わず、夕刻一人で登るにはあまりにも淋しい。哀愁に富んだ物語に満ちていすぎる。
          <岩殿山付近の地図>               2001/1/1