廿七年度東大教養学部 理二 六B 1953.5.28           戻る

追思  24p          復刻 by 林尚孝

かるた
織田 弘

 正月は、かるたのシーズンである。夏休み等にもう少しうまくなる様に練習しようと思うが、あまりやらない。もっとも、あまりうまくなってしまうと、かえってつまらなくなると云うおそれもある。お手つきをしたり、わいわいさがしまわるのがのが正月気分にみちて、面白い。又又全部同じ様に早くとれるよりも、自分の得意なふだがめいめいあってこれは、誰に取られるとか云って、あちこち移動させても、結局取られてしまったりするのが面白い。
 どうも歌を知らないのでとれません、とか云う人があるが、僕なんか、まるで歌を知らないが、けっこう仲間に入っているから不思議だ。手が早く行くためには、もちろん歌の記憶も必要だが“む”と読まれたら“きり”と云うぐらいの反射神経が大いに働かなければならない。
 その為には、やはり練習が必要だ。かるたをやる家は一家そろって取れると云う一般現象もそのためだろう。しかし、反射神経の訓練ばかりやっていると、読手になった時途中をぬかしてすぐ下の句へ行って笑われたりする。
 二、三年前、かるた会の人が、かるたには、精神を集中し、散まんな人間に対して、教育的にも効果がある。とかいっていたが、囲碁が知的能力を増進すると、云われるのと同様、?は問題にしない。所謂アマチュアのスポーツ(即時的?)が楽しむ為にやるのである以上、「勝てばもとより欣然、敗くるも又楽し」の精神をもととし、派生的な事実を、あまり過大視したくないのだ。