廿七年度東大教養学部 理二 六B 1953.5.28           戻る

追思  9p          復刻 by 林尚孝

僕のたわ言
野村 容朗
 現代の物質的な機械的なものの優先する動きの中に、我々は為すすべもなく巻き込まれ押しながされているような気がしてならない。個人個人の関係に於いて、又国家間の関係において、良識ある人なら誰も「当り前」と考えることができないような種々のことが、世の中の無秩序の秩序、不自然の自然を刻々生みだしているように見える。しかるに我々の多くは人間の進歩発展において人類の永遠の存続および繁栄を確信して止まない。
 『遠い昔、未だ人類の先祖が出現しない前、巨大な爬虫類はやはりその強大性をもって自己の永遠の世界の支配者たるを確信していたであろう。しかし自然の絶大なる力に抗し切れず、やぶれ去り絶滅の運命をたどらざるを得なかった。』?(終わりの』なし)
 あらゆる種類の生物は少なくとも生命をもっているものとして個々のすべてと、それと同体である同種の永遠の繁栄発展を第一に願わないものはないであろう。我々は頭脳において絶対な力を有する“科学”において人間の持つ力は恐竜のそれとは比較にならぬ?絶対であり、またそれは未来においてますます強大性を増し自然の力に対するに充分となることは極めて確かである。しかるが故に、人類は永遠に平和に存続し繁栄しうると考えるのは大きなあやまりである。我々の一般的な確信と展望を裏ぎり、人類を早急に破滅へ導くものは??かの諸君を滅ぼした大自然の力ではなく我々自身の中に包含され内在しているのではなかろうか。

 我々は不幸にしてこの世に生をうけ、営々二十年の歳月を歩んできた。しかし幼児における我々は幸福であった。我々の日常、諸行動についてしばしば両親その他の偉大な人々により詳細な注意、色々な教えをうけてきた。そして率直に聞き、それを守り、そして人間の形成する社会は、完成された美しい人々の集まりであり、合理的な整然とした調和をもつものであることを信じ、少くとも期待してきた。しかるに年を重ねて分別がつき始めると共に、その期待と確信は、一つ一つの現実的な諸事象の前に消え、深い、幻滅と悲しみに変り、憂愁の?の?む。青年の感傷性の大なる部分はこれに起因するのではなかろうか。偽善と不正、さい疑と恐怖、排他主義と独善、そして甘えと利害への盲従、すべての悪徳の、らんまんと咲き誇ったのが人生の姿かの錯覚は我々の心を支配する。不合理ということが合理であり、善なもの誠                 2000/1/2

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実なものは、さまざまの悪徳に対し極めて?かの力しかなされないばかりでなく、次々と虐げられ、打負かされて行く一般的な姿、破壊的な動きが如何にたやすく、すべての建設的なものに打?っていくか。今や人間は誠実に生きることが困難であるばかりでなく、?れはその個人の破滅さえ意味しようとしているのではなかろうか。

 我々は、我々の形成する社会を、これが当たり前の姿であるとは考えたくない。それと同時に完成されざる面、複雑にわい曲した面、そしてある意味において許すべからざる面を認めざるをえない。同時にそれを形成する我々の内面的な欠陥を認めざるを得ない。
 すべての悪徳は人間の人格及び精神作用の一つの所産である。「人間精神は物質或いは環境のみにより形成され左右されていくものであり、人間の悪徳は環境にのみ起因する」とするのは当らない。環境を形成し善いものにも悪いものにも変化させるものは人間の精神作用に他ならないからである。

 我々は現在様々の悪徳の支配する世界を見つめるが、あらゆる人間活動の原動力となっっているものは独善的な自我主義である。しかもそれは自分と同じに生活していく他の個人を無視したせまい我欲である。人間と密接不可分の、それなくしては生存し得ない、社会というものを無視した嫌悪すべき我欲は、あらゆる他の悪徳の??を着て現われ我々の世界の光明をなくし混迷と絶望へ、強大な力を持って導いている。(ここでいう悪徳とは個々の人間の尊厳を無視する数々の行動、並びにそれを妥当ずけようとする心的作用である)我々は我々及びその団体である人類の永遠繁栄、幸福を願うならばそれに向かって努力して行く必要がある。我々はこの意味における真の人間的なモラルの高揚を叫ぶと共に、我々がそれに対して誠実であること、そしてそれに反するすべての悪徳を排撃し追放していかなければならないであろう。

 現代人類の最大の危機は、我々人類が互いに大量に殺し合うこと、そして平和の地を修羅場に又死滅の世界と化すことを真に罪悪視せず、そればかりか様々の理由をもって正当づけようとする一連の動きにある。太古において原始人は互いに自己の主張、目的を実現するため、力をもって解決の鍵とした。現代においては国家間において互いに自己の目的主張を実現せしめるためには、同じくすべての悪徳を正当づける所の非人格的な方法を最高の手段としている。営々、数千年にわたって人類が築き上げてきた機械文明に比して人間精神の進歩発展は全く見られなかったであろうか。これこそ人類の期待と願望を、幻滅に陥し入れる最も憂うべき要素ではなかろうか。            2000/1/2

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 我々は多くの現実肯定的、傍観的態度の人間をにくむ。我々はすべてにおいて完全なるもの即ち理想に対して悪徳に立ち向かって行く積極性をもたねばならない。個人の力が如何に微々たるものであり全体的見地から見て無意味な程役立つものではないという事は、ほとんど確実であったとしても、その目的を実現すべく最大の努力はして行くべきである。個人の力は全く無意味であるといって我々人間のすべてが、この現実を究極のものとして肯定し、それに迎合して行くとしたら、その結果の如何は明らかである。人間の精神的退歩を救わねばならない。我々は自己の人格的尊厳の形成に向かって努力し、更に他の人々の何者にもかえ難い人格的尊厳を尊重して行く、謙譲な努力が最も必要なのではないであろうか。
  *****************(現物は○)
これは僕のこの瞬間における気持ちであり、数時間を経た僕や他の人がもしも読むとすれば、それはたわ言にしか受けとれないであろう。