廿七年度東大教養学部 理二 六B 1953.5.28           戻る

追思  98p          復刻 by 林尚孝

期待外れ
         神山 正治
 といっても悪いものばかりとは限らない。いい期待外れだってある。
 小学校が終えたら東京へ年期奉公に行くことになっていた。母は「おまえは本が好きだから印刷屋がいいだろう。」と言った。父は活字を拾うのは眼に悪いという理由でそれに反対した。が奉公に行くことだけは決まっていた。その時困らないようにという「親心」から、毎朝真先に起きて、寒中も冷たい水で家中の拭掃除をすることを命ぜられた。両親に励まされながら、つらいといわれている仕事をやってのけることに、一種の快感を覚えた。遠い将来への期待に胸をふくらました。ところが或る日二人の伯父がやってきて、父と何事か話合っていた。あとで父から改まった口調で「中学へ行く気はないか」と言われた。瞬間わが耳を疑った。中学はお大尽の息子が行くもので、僕などには全然縁のないものと思いこんでいたのである。やや気を取り直して、もし試験が受かれば、などとしどろもどろに答えた。頭の中がくらくら急旋回した。結局これは嬉しい期待外れであった。内心微笑を禁じ得なかった。
 中学を卒業する頃、師範二部に入って小学校の教師になろうと思った。一番費用が少なくて済むし、それに子供を相手にオルガンをひきながら歌をうたったり、お伽噺をきかせて彼らを有頂天にさしてやったりという生活も悪くはないと思ったからである。童話を研究して将来は素晴らしい童話作者になろうとも考えた。ところが師範の試験には身体検査ではねられたしまった。そして念の為受けた高等学校から合格の通知が来た。この時も奇妙な内心の笑を禁じ得なかった。
 戦争直前、また戦争中、大学の研究室でよく友人と時局について話し合った。或友が、軍部は日本の癌である、これを切取ることが絶対必要であるが、これは自分の力では不可能である。どうしても外国の力をかりなけれいけない、と言った。これを聞いて僕は悟るところがあった。敗戦の報到る度毎に、心は悲しみにとらえられながらも、或新しい期待が頭をもたげてくるのをどうすることも出来なかった。戦後の国のあり方についていろいろと考えた。英文学をやっていたせいもあろう。英国のように国家の指導権は自由に選ばれた議会が掌握するものでなければならぬ。日本のように軍が国民から浮上がって国民に号令するといったものであってはならぬ、と考えたのであった。
 戦争が済んで、各種の改革が実に思い切って行われたのであるが、中でも僕を驚かしたのは新憲法、特にその中の戦争放棄の条項であった。年期奉公を期待していたのが高校になったどころではない。あまりに結構な話で信じられない位であるというのが偽らない感じであった。しかし僕も齢不惑に達している。時代の進歩はもう僕などには追っつけない急速調を帯びているのだーそう自分に言いきかせて、新しい時代の雰囲気に溶けこもうと努めた。
 昨年あたりから反動だの復古調だのいうことがしきりに取沙汰されている。ぼくはまたまた頭の切換をしなければならないのだろうか。ぼくはまだ気持ちが定まらないでいる。ただこういうことだけは信じている。人類は徐々に進化しつつあるのである。大きな飛躍もない代りに逆転もない。飛躍と見えるものは実は表面だけのもので本質の動きは緩慢である。また逆転と見えるものも実は表面だけのことで、本質的に逆転することはない。一度自由の味を知った国民が、再び不自由の境涯に甘んずることはあり得ない。一度敗戦を味わい、神を疑うことを知った国民が、再び「必勝の信念」を持ち「神風」を信ずることは不可能だ。反動といい復古調といっても、そこには越えることのできない一線がある。それだけは信じてもいいと思っている。