廿七年度東大教養学部 理二 六B 1953.5.28           戻る

追思  11p          復刻 by 林尚孝

虚栄心について
石井 當男

「虚栄は人間的自然における最も普遍的な且つ最も固有な性質である。虚栄は人間の存在そのものである。人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである」と三木清氏は彼の「人生論ノート」の中でいっている。確かに虚栄は吾々の心から取り去ることのできぬ、そして吾々がいつもそれに悩まされているものである。彼は虚栄を人間的なものとして認めながらもそれを否定しようとしている。その虚栄心について私が最近如何に考えたというより、感じたかを述べたいと思う。私はその存在を目的観的?に感じた。虚栄心は原始時代における吾々の祖先の「生きん」とする強い衝動の名残ではないかと思う。虚栄は無の上に立てられたフィクションである。それは常に相手を予想している。従ってそれは社会的である。自分の存在を相手により強く認識させようとする相手をして己の存在を知らしめることは己が安全に生きうることになるからである。特にそのことは女性の服装によく現れている。彼女達は何の為に身を飾るのであろう。しかしそれが彼女たちの生活に如何に影響を及ぼしているであろうか。彼女達が身を以上に美しく見せんとするのは彼女達をとりまく吾々が虚栄的であることを意味している。そこに自然の微妙な調和と神の摂理がある。意識的に虚栄なる人は常に何らかの形において報酬を予想しているのではないか。そして無意識的に虚栄なる人は自然的な、本能的なものにとらわれていることになるのではなかろうか。虚栄の如何なるものかを真に知った人はそれを否定するであろう。しかし、       2001/1/2