廿七年度東大教養学部 理二 六B 1953.5.28           戻る

追思  72p          復刻 by 林尚孝

“或るマゾヒストの話”
古屋晃

 彼のもとを尋ねたのは、或る寒い冬の夕方である。山の手でもまだ昔ながらの武蔵野の面影をとゞめたくぬぎの林のぽつぽつとある畠の中に小さい小屋を彼は住居としていた。
 ××も冷え冷えとして来、小屋の隙間風にさらされ、雑然と本や道具の散らばっている中に、火鉢一つ置ず、机に向っていた。なれなれしさから私はかまわず上がり込み、すぐさま色々と話を始めた。
 「火鉢も置かず寒いだろう。」と私が云うと、彼はちっと悪そうな顔をして
 「君にはすまんが僕にはいゝんだ。何だかこの生身をづきづき寒さに刺されると心の中で何か活気のようなものが湧いて来るんだよ。だから僕は冬は好きだな。その次が夏、一番嫌いなのが春だ。本当に身も心も馬鹿になってとろけちまうからね。」
 「それで君は隙間風に吹かれる為にわざわざこの小屋にいるのかね。」
と私が皮肉った積りで云うと、大真面目な顔をして、
 「そりゃ確かにこゝに居る一つの理由だがね。何しろ家に居たんじゃあ社長の御子息様でガスストーブと電気蒲団で四六時中春だからね。」
 「でも春の中で何の苦労もなく伸び伸びと生活したら

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どんなにかいゝんじゃないかね。」
 「春でも十九の春はうら悲しいと云うような春ならまだいゝがね。」
 「何だいそれは。」
 「つまり僕は生きる為には抵抗が必要だと思うんだよ。必要というよりむしろ不可欠だね。生に対してさからい反抗し、苦しみ通す、そこに生の本質があるんじゃないか。何だか突ぴなようだが、例えば我々が大きな川に眼をつぶってぷかぷか流されていたんでは、少しも我々はその流れを感じる事が出来ないんだよ。その流れに逆らって昇ろうとする時、始めてその流れの強さに驚き、それを認めることが出来るんだよ。ぷかぷか浮いて流れて行くのは人間以外の動物もしくはそれに類似した者だね。だから人間は真に生きる体験するには意識して、その流れに逆らって行かなくてはね。その意味で僕は苦痛が好きなんだよ。寒さにしても、自分の才能と対決して行く勉強にしても。兎も角自分の身にも苦痛を与えて行く。それがなければ自分で苦痛を作って自分で苦しむ。この事位“生”を満喫することはないね。だから僕は悟りの境地というのは嫌だね。あれは六十を越したじいさんに要るもんで、我々には必要ないね。むしろ邪魔だよ。」
 「それで抵抗するってどの方向にだい。何が基調になるんだい。」
 「いあ、なんでもいゝんだ。たゞ大基に僕はヒューマニティと云う漠然たる言葉を持って来るね。それも極めてエゴイスティックなものになってしまうが仕方がないよ。」
 彼は平然として云い放って、煙草の煙をぷっと吹いた。
 それから話は色々と続いた。
 夜寒い風に吹かれながら星のきれいな空を見て武蔵野の道をとぼとぼ歩きながら私は彼の云った事を又思い出していた。
 「……僕は苦痛が好きなんだよ。……それがなければ自分で苦痛を作って自分で苦しむ。……」
 彼のそれでいて不安のない態度に圧倒された自分。彼が本当にマゾヒストなんだと私はつぶやいて行った。
                                 2003/1/26