学移連との若干の関係について 1964年(昭和39年)
{ 北村 孝 記
}
1964年(昭和39年)秋私が海外移住事業団 総務部調査課(港区赤坂田町7丁目/溜池の信和ビル)に勤めていた時(学移連と関係のない部署なのに)何故か学移連第4次南米実習調査団の帰国報告を兼ねた四国遊説班の前半行程(香川・愛媛県)に同行するよう出張命令を受けた。
その時初めて「学移連」について次のようなことを知った。
中略
<余談1> 学移連設立以前のこと
昭和30年(1955年)私が大学3年生の夏、就職難の時期で大方の求人は「大学・学部・学科指定」であり、特別のコネがなければ無暗に応募しようとしても門前払いで、学部事務室前に張り出される求人広告に頼らざるを得ない状態であった。「農業経済学科」では目ぼしい求人は殆どなく、秋が深まると、級友間では大学院か留年かという雰囲気になってきた。
そこに、誰に聞いても全く聞いたことのないという名称で設立2年目の外務省関係の小団体であるが「海外勤務あり」という一言に魅せられて、取敢えず応募してみることにした。外務省移住局(現在の財務省1階右側の箇所)の就職試験会場にはかなりの学生が集まっていた。そして級友が来ているのに気づかなかった。
結局、大卒合格者は東大法学部1、東大農学部7(農学科3,農業経済学科3、農業工学科1)、千葉大園芸学部1,東京外語大1、早稲田大2の12名であった。
合格者12名の殆どが就職の当てがなく、誰も知らないような小団体であるが、外国に行けるのならという思いで応募したのではないかと思う。但し、大学6B級友の高宮一喜君は「先輩に示唆されて」と言っていたとの記憶がある。