追思     1953.5.28      戻る
 廿七年度東大教養学部 理二 六B
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桜島の色   小中 俊雄
     
 桜島は七色に変わると母はいつもいっている。事実いつも美しく見える桜島は、まさに鹿児島の恋人なのである。春のうららな日差しを一杯に浴びながら、川べりの土手の芝生に寝ころんで眺めると、紫がかった緑の中に、ほんのりと橙色を含み、白雲のふとんをふんわりとかぶっていて、あったかいなぁ−と呼びかけているようだ。
昨年の夏休みだったか、ヨットの上から見たあのぎらぎら輝く南国の、青い青い海に浮かび出ている桜島の緑さは忘れられない。あそこは六合目あたりから木は全然生えていないのに、下部の緑の強烈さに融和して、こんなにも美しい色を呈したのだろう。
夕方、天保山海岸の松林の間から見る桜島は、又格別である。夕焼けで熟した柿のような色に映え、それが次第に濃い紫色に染まっていき、暗くなるにつれて今度は、日暮れ時の淋しい気持ちにマッッチして、なんともいえないしんみりした色になる。星空の桜島は、あざやかな輪郭を残し深い落ち着いた青色に沈んでいて、淡い郷愁を感じさせる。
 船で桜島に近づくと、大正十二年の大爆発で流れ出た溶岩の山塊がまず眼に入ってくる。濃い紫色のごつごつした溶岩が海に流れ込み、青く澄んだ海中深く見えるのは、誰にも荘厳な気持ちを起こさせて、忘れられない強い印象を与えるのである。岩と緑の木々に囲まれた入り江に入り、溶岩と、がらがらした軽石と火山灰の土壌とからなるこの火山島におり立ち、おばさん達が頭上に物をのせて運ぶ姿や、のんびりと、みかんを食べている子供達ののどやかな情景をみると、人々をおだやかな気持ちに浸して、現代の騒がしさをしばし忘れさせる。
 わが胸の燃ゆる想いに較ぶれば煙はうすし、桜島山と明治の某志士が詠じているが、今は雲かとまごうばかりのかすかな煙をなびかせて、爆発などどこ吹く風の平和な雄姿である。
 所で、今日は、珍しく雹が降ってきて桜島が真白な帽子をかぶり、年二・三回しか見せぬ白い肌で人々を清らかな気持ちにさせる。
 この美しく、たくましい桜島こそ、鹿児島を訪れる時最初に眺め、去るとき最後まで見守るものであり、鹿児島人の性格を象徴しているものである。
(28.1.7)

   一人寝て故郷のふとんなつかしき

   こよみ見て初めての帰省数えおり

   富士望み琵琶湖をすぎて瀬戸内海

   久しぶり石塀眺む我が家かな

   忘年の酒汲みかわしたぎる気よ

   おととしも去年も今年も松竹梅

   朝霧の川の面うつ鳥の糞

                 
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