試食1:



  「 うぅ〜ん。」

  咲き誇る桜並木の長い長い坂道を登って、喜多子 世音(きたね よね)は背伸びをした。駅前の不動産屋から、格安のアパート、しかし、いわくつきのという断りつきの物件として、ここのアパートを紹介されたのだ。「世」界の「音」と書いて、よねと読む、この娘の母親は、世界的なフルート奏者の喜多子 楓で、
なぜか、最近、畑違いの声優などもやっている。
父親は、ノーベル物理学賞を受賞した喜多子 悟で、
ボーカロイドの研究をやっているらしい。
 彼女は、この某県陸徳市の高校の音楽科に、無事、合格したばかりだった。


      「 うん。いわくつきとかいってたけど、良さ気じゃない?」

  高級感漂う外観を見て、とりあえず、は満足する。荷物は、必要最小限のものしか、持ってきてない。扉を開けて、彼女は挨拶をしようと玄関先に立つと、キラリと光るものが落ちている。拾い上げてみると、ツツジ色に煌くルビーの様にも、グミのようにも見える。それを、胸元の制服のポケットに入れると、元気よく挨拶を響かせた。

     「 こんにちわ!今日からお世話になる喜多子(きたね)ですけど…。」

 しぃ〜んと、静まり返った玄関に、世音(よね)の声だけが響く。

     「 変だな?誰もいないのかな?」

  世音は、しかたなく、靴を脱いで、下駄箱にいれ、上にあがる。8号室 が、彼女の部屋だった。しかし、困った。部屋にきたはいいのだが、カギがないから、入れない。困惑していると、奥から声がして、五から六歳くらいのかわいらしい女の子が出てきた。

     「 はい、はぁい!どなたぁ?」

     「 ん?お嬢ちゃん、一人なの?」

     「 他の人たちもいるけど、いろいろと売り込みで忙しいの。」

     「 売込み?」

 怪訝そうな顔で、廊下を歩いていると青い髪の毛で片目を隠した長身のコスプレ野郎が向こうから歩いて来た。世音(よね)は、こんにちは。と丁寧に挨拶をすると、
おっ…?

新しいマスターさんかい?いい子が見つかるといいね?なんて、声を掛けられる。どうも、と曖昧に返事をして、
世音は廊下の突き当りにある一番奥の部屋に案内された。

 少女に導かれた先は、何と、管理人室だった。唖然としてると、部屋の扉が開き、どうにも怪しい女性が現れた。右手には、ナタを持っている。
ひっ…!と、後ずさりして怯えていると、誘うように中へ入っていった。
おっかなびっくり、中に入ると、破顔一笑したその女性が、世音を迎える。


     「 ああ、今日、連絡のあった入室希望者ね。」

     「 ええ、喜多子 世音(きたね よね)です。よろしく、お願いします。」

     「 こちらこそ、よろしく。管理人のキクよ?
        ところで、ボーカロイドに興味はある?」

     「 父が研究してますから、よく知ってますよ?」

     「 父って、ノーベル賞を取った、喜多子博士のこと?」

     「 はい。よくご存知ですね?」

     「 あっ!喜多子博士で、思い出したわ。これ、貴女にって。」

と、DVDケースを差し出す。消しゴムつきトムボウ鉛筆の軸の色(明るいオレンジ)の髪を持ち、黄色のリボンで短めのツインテールにしている美少女の絵が描かれたジャケットに、” KITANE YONE (仮称)”のロゴがついている裏をみると、あらゆる曲に対応しているらしい。そのイラストも、髪の色を除けば、なんだか世音(よね)に似ている。

     「 史上初、3Dホログラフィーボカロらしいわ?」

    「 パパ。なにやってるのよ?こんなもの、作って…。」

    「 今日、貴女の誕生日でしょ?間に合ってよかったわ。」

    「 え、じゃあ?このボカロは…?」

   「 そう、バースディ・プレゼント。」

世音(よね)は、YONEのデータDVDを渡された。何だか、暖かい気持ちになり、DVDを受け取る。お礼を言って、管理人から自室のカギを貰い、世音(よね)は、部屋へと去っていった。新しい生活に、胸をときめかしながら。彼女は、自室のカギを開いた。

《 つづく 》



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