2−6、演歌(A面)を楽しむ


森昌子は演歌歌手としてよく知られているが、シングルA面で今もって感動する曲は多くない。よく知られた演歌のヒット曲は「哀しみ本線日本海」と「越冬つばめ」の二曲。特に「越冬つばめ」は当時テレビでもよく放映されており、 『ヒュルリ〜ヒュルリララ〜』という綺麗な声で歌うフレーズは国民に広く浸透した。「哀しみ本線日本海」も全国的なヒットで、そのメロディーは国民に記憶されている。それ以前でも、「立待岬」や「北寒港」などの歌も森昌子の個人的人気と合わせてテレビで広く放映されたようだ。

 「越冬つばめ」のヒット以降、「寒椿」や「涙雪」、「恋は女の命の華よ」、「愛傷歌」など、次々曲をヒットさせて、演歌歌手としての地位を不動のものにした。NHKの紅白歌合戦では引退前年の一九八五年、紅組の司会とトリを務めた。

 以上は森昌子の二十二歳以降の話だが、十代も演歌を歌っている。アルバムでは「十六歳の演歌」以降、毎年同じ題名のアルバムを発売しており、「二十一歳の演歌」まで続く。シングルA面では高校卒業後の十八歳の時に、「なみだの桟橋」を歌い、ヒットさせている。また、都はるみの「涙の連絡船」や三船和子の「他人船」なども、十代のステージでよく歌っている。

  森昌子の声は、十代に比べ二十代の方が声の綺麗さや透明感という点で落ちている。それは声の使いすぎが原因だろう。その代わり、歌に味わいが出て来ており、新しい演歌ファーンを獲得していったと見られる。人気は「哀しみ本線日本海」以降テレビ出演や舞台など引退まで続いており、若者から中・高年齢者まで幅広く支持されたようだ。ただ、シングルレコードの売上はファーン層の年齢が高い分、若い時ほど多くないようだ。


ブログ35.若いころの歌手・森昌子について

森昌子は演歌歌手としてよく知られているが、シングルA面で今もって感動する曲は多くない。よく知られた演歌のヒット曲は「哀しみ本線日本海」と「越冬つばめ」の二曲。特に「越冬つばめ」は当時テレビでもよく放映されており、 『ヒュルリ〜ヒュルリララ〜』という綺麗な声で歌うフレーズは国民に広く浸透した。「哀しみ本線日本海」も全国的なヒットで、そのメロディーは国民に記憶されている。それ以前でも、「立待岬」や「北寒港」などの歌も森昌子の個人的人気と合わせてテレビで広く放映されたようだ。

 「越冬つばめ」のヒット以降、「寒椿」や「涙雪」、「恋は女の命の華よ」、「愛傷歌」など、次々曲をヒットさせて、演歌歌手としての地位を不動のものにした。NHKの紅白歌合戦では引退前年の一九八五年、紅組の司会とトリを務めた。

 以上は森昌子の二十二歳以降の話だが、十代も演歌を歌っている。アルバムでは「十六歳の演歌」以降、毎年同じ題名のアルバムを発売しており、「二十一歳の演歌」まで続く。シングルA面では高校卒業後の十八歳の時に、「なみだの桟橋」を歌い、ヒットさせている。また、都はるみの「涙の連絡船」や三船和子の「他人船」なども、十代のステージでよく歌っている。

  森昌子の声は、十代に比べ二十代の方が声の綺麗さや透明感という点で落ちている。それは声の使いすぎが原因だろう。その代わり、歌に味わいが出て来ており、新しい演歌ファーンを獲得していったと見られる。人気は「哀しみ本線日本海」以降テレビ出演や舞台など引退まで続いており、若者から中・高年齢者まで幅広く支持されたようだ。ただ、シングルレコードの売上はファーン層の年齢が高い分、若い時ほど多くないようだ。



ほお紅 https://youtu.be/VgygBxxcN0E https://youtu.be/qROjFbpy9Vg 

恋は女の命の華よ URL:http://youtu.be/48z9h45T0hE


ブログ36.私が見た歌手森昌子の演歌を歌うまで

歌手・森昌子についてブログでたくさんのことを書いてきた。最初は自分の感動したことを書いてきた。それが最近は、感動ではなくて疑問への追及が主体のようになってきた。その中で、新しい発見や感動も書いてきた。書く事で考えが深まったり、新しいことが見出される。私はこの年になっても、森昌子の歌に出会ってよかったと思っている。本当なら、若いときに出会いたかった。それはないものねだりだ。でも、十代の歌に出会えてよかったと思う。また、森昌子の心に少しでも触れられたかなと思う。まだまだ彼女の心は、遠いところにあるかもしれないが、ブログを書く事で、少しは接近できたかもしれない。
 人間の心に触れること。それは小説の世界かも知れないが、音楽の世界でも触れることが出来る。それは昌子の隠された真情と言うものだ。「川は流れる」は色々な感情を含んだ歌だが、森昌子はそれを感情ではなくて、声で歌い上げている。彼女の歌の、声の響きには、深い感情のようなものが秘められている。私は、最初の頃、そうした彼女のちょっとした声の震えに感動したのだ。あるいは、「北上夜曲」を歌う、その声のやさしさ。声そのものに、人それぞれの表情が含まれているのだ。そうしたことを、森昌子の歌で初めて知った。
 私は音楽のことは全然分かりません。だから、彼女の声をうまく分析できません。声には感情が含まれています。しかし、声そのものに、百人百様な特徴があるのかもしれません。だから、同じ感情を歌ったとしても、それが人の耳に聞こえるときは、又、違った音色になるのかもしれません。同じ曲を、ヴァイオリンやピアノ、ギター、トランペットで演奏した時のように。代のときは、ヴァイオリンに近いかもしれません。二代は、考えても思い浮かびません。彼女の代の心は好きです。でも、二代の彼女の心は?そう、色々な思いに揺さぶられています。色々な感情が入り込んできて、一言では言い表せないでしょう。
 代に持っていた感情が破綻しかかっていたのです。それは女性としての成長であり、子どもを生み育てる母性のなせる仕業かもしれません。昌子は二十歳以降変遷を始めます。それは物理的に、声が出にくくなってきたということも、大きく関係しているかもしれません。私はこのことはとても残念です。物理的なことは、人間の行為によって直せるのですから。周囲の人が昌子の声を大事にして欲しかったなと思います。
 それと精神的な面。元々、歌手になることに、彼女も家族も積極的でなかったということ。これも、彼女の歌手生活に大きく関係している感じがします。
 そして、演歌。残念ながら代の演歌は、すばらしいのですが、それほどオリジナル性は無いと思うのです。それでは何処へ向かえば良いと言うのでしょうか。そのことは、代のステージでも問題になっていました。彼女の声をどう生かすのか。
 結局、それは見つからなかったように思います。POP、演歌、民謡、バラード…のどを痛めなかったら、又違った道があったのかもしれませんが、十代の時のようなのどの使い方は出来なくなって、演歌の道を歩んだのではないでしょうか。それが、二十代半ばから、引退するまで貫く陰鬱な表情の素因ではないでしょうか。心から望んで演歌を歌っていたのではないと思います。恋愛し、引退し、家庭を持ち、子どもを生み育てることが、彼女には何よりも明るい希望に映っていたと思います。


ブログ37.19、20歳の森昌子

私は、前回の「旅立ち」のブログの中で、かなりいい加減なことを、さも知っているかのように書いてしまいました。十九歳から二十歳にかけてヒット曲に恵まれなかった、と書いたのですが、これは私の想像で書いたもので、当時の森昌子のファーンでもないし、その当時のことを調べたわけでもないので、本当のことは知らないのです。ただ、彼女のこの時期の歌を聴いて、私にとって影の薄い曲が並んでいたので、勝手に推測して、ヒット曲に恵まれなかった、と書いてしまいました。事実であるのかないのかを確認もせず、こういう書き方をするのは、ブログ上でもよくありませんね。読んで、気を悪くされた方に謝罪します。

 それで、この十九歳と二十歳の森昌子の歌を、再度YouTubeからコピーして、その時期の歌を聞いてみることにしました。B面も取り上げました。 
春の岬
 (一九七七年十二月)十九歳 http://youtu.be/a4kvteVTGCQ 
http://youtu.be/Ifp1226PzQM  http://youtu.be/b5t58oIrPhE
B 波かげYouTubeなし
父娘草 (一九七八年三月)十九歳

http://youtu.be/N8cekpyOGCw  http://youtu.be/6BnKmjkqFuc
B 花まつりの頃 http://youtu.be/rN8P3os3tDg
津和野ひとり (一九七八年六月)十九歳     

 http://youtu.be/ymMytaJ-wLc http://youtu.be/g1RmVk9dTYM
B お嫁にゆきます http://youtu.be/GbNEu425yRo
彼岸花 (一九七八年九月)十九歳 http://youtu.be/LVjKuCqfFUE  http://youtu.be/siQcxlQ9KMI 
http://youtu.be/B99sh4k0Rq0  背景婿どの  YouTube無し
晴れたり降ったり曇ったり(一九七八年十月)二十歳

http://youtu.be/pzioJo6BIew http://youtu.be/1HJHVkq5sSs B 母 YouTube無し
夕子の四季(一九七九年一月)二十歳 http://youtu.be/aivGFYDQrVw http://youtu.be/0ndjwBpqB5I http://youtu.be/HasuX23n6r4 B 幸-あなたとともに-  YouTube無し
翔んでけ青春(一九七九年三月)二十歳 http://youtu.be/rxaBP6TXl2Y 

 http://youtu.be/-OFzcINNlPI B面なし
銀のライター (一九七九年六月)二十歳

http://youtu.be/fDAgYOEyjzc http://youtu.be/s3Xbs5Mnqvk B 波 YouTube無し


 これらを取り上げながら聞いてみると、十九、二十歳って、とても明るいですね。高校時代よりもっと明るい。CDだけ聞いていると、歌がつまらなくて、あまりぱっとしなかったのだろうな、と思ったのですが、一つ一つの画像を見ていると、可愛くて、きれいな女性になっていく姿が映し出されていますね。まだまだ、アイドル全盛って感じですね。


ブログ38.森昌子と笑顔

森昌子の笑顔、いつまでも大切にしたい。疲れたときYouTubeに映し出される笑顔を見ると、癒される。きれいな声と笑顔、そして優しさ、清らかさ、そして力強さ、恋心。これらの総合的な魅力なのだろうけど、彼女に微笑みかけられると、こちらも微笑んでしまう。顔がにやけてしまう。悲しい曲でも、恋心を歌うときでも、どこかで微笑んでくれる。それが、歌に、声に、表情に出ていると思う。それが歌手、森昌子の一つの魅力なのだろう。モナリザ?に負けないほほえみだと思う。

 YouTubeから
今日も笑顔でこんにちは https://youtu.be/-vb0mnPzhLI 

おかあさん https://youtu.be/UICbG2u2gGA

ブログ39.大人の世界である、演歌(森昌子を例にして)

私が若かった頃、歌謡曲は皆でテレビを囲みながら聞いていたものだ。しかし、今はテレビを囲んで歌番組など聞かない。逆に、walkmanやスマホやPCなどで、個々人が好き勝手な時間に、すき勝手な場所で聞くのが通常だ。私も、電車やバスの中、歩道上、コンビニなど、人目を気にせず、場所を選ばずに聞いている。そのほうが、演歌などを聞くのに好都合だ。私の意識の中に、演歌を聞くのは恥ずかしい行為だ、と言う言葉が刷り込まれている。だから、歌謡曲は聴くが、演歌となると、腰が引けてしまう。

そして、個別に歌を聞くおかげで、私は演歌のよさを再認識した。私は森昌子以外の歌を聴かないが、彼女のおかげで、なぜ演歌が多くの人に支持されているのか、わかってきた気がする。それは、歌とメロディーが何より心に響いて来るからだ。心地よさ、軽快さ、男女間の思い、異性への熱い思い、失恋の悲しさつらさ、異性へのぐち、大人の男女が異性へ抱く思いをそのままに表現しているのだ。まさに大衆芸能だ。ねっとりした歌もあれば、さわやかな歌もある、希望の歌もある、ふるさとを思う歌もある、片思いの歌もあれば、夫婦の歌もある、まさしく日常の出来事をおばちゃん風な視点で表現しているとも言える。人間の気高さを歌うのではない。森昌子の十代の歌は、ある面、人間の気高さを表現していた。それは意識してでは無くて、その熱心さに、人間の気高さが表出されたのだと思う。

でも、二十代の歌はどうだろう。もう人間性の気高さは感じない。でも、それとは違った別の世界へいざなっている。まさしく大人の世界であり、演歌の世界だ。森昌子の演歌は、多分大衆的な歌なのだろうけど、歌そのものは個別的だ。テレビで囲んで見るより、walkmanで聞くほうが、心に染み入ると思う。今、森昌子が多くの人の耳に心地よく聞こえるのは、それは森昌子の歌がより個別的だからだ。

YouTubeから

キャニオンレコード移籍後から引退間際のシングルA面曲を集めました

1、ためいき橋 (一九七九年十月)

https://youtu.be/h0VYnqXSWLM https://youtu.be/aqLNt8rp1E4 https://youtu.be/puTDP_1O09U 

2、故郷ごころ  https://youtu.be/yJvHJB-OsLk 

3、信濃路梓川(一九八〇年六月) https://youtu.be/W49SsxNFVQU    

https://youtu.be/N0g72GuVf1Y https://youtu.be/bo1nmyUawEc 

4、波止場通りなみだ町(一九八〇年九月) https://youtu.be/OJ20CXpPE0k https://youtu.be/7PeGpYMMQ40 

5、北寒港(一九八一年一月) http://youtu.be/KjzPdUIwyTo 

6、哀しみ本線日本海(一九八一年七月) http://youtu.be/4u1RxBNRezM  

7、鴎唄(一九八二年三月) https://youtu.be/J59WNF1_h20 https://youtu.be/kCcwTKg2LrE 

8、立待岬(一九八二年八月)  https://youtu.be/l4rFYMlfJ0w https://youtu.be/7SKSbqz8fPo 

https://youtu.be/Aqrb_wL_0aI  https://youtu.be/EWv_tWOJbdA               

8、ふるさと日和(一九八三年四月) https://youtu.be/onlESUnDRzc https://youtu.be/AhssetxBwn8

https://youtu.be/H_m6SLrpwDk

9、越冬つばめ(一九八三年九月) https://youtu.be/GZiJgQhF_mY  https://youtu.be/A4iDtjmRTWE

https://youtu.be/kyudV2H_pv4 https://youtu.be/5jcEcT13QjA

10、寒椿(一九八四年四月) https://youtu.be/X27GlI7kHlQ https://youtu.be/oPe4-zDhbbY 

https://youtu.be/ro9QKhUDPfg?list=PLCC67FB6D0B5E490B 

11、ほお紅(一九八四年十月)https://youtu.be/Sk-Q1rx27UU 

   涙雪 https://youtu.be/Veruj6k4LUU 

12、恋は女の命の華よ(一九八五年二月)  https://youtu.be/J_fIS0ceRtA 

13、愛傷歌 https://youtu.be/h1ci5j2_gMM https://youtu.be/IghBpm8MdSM 

14、孤愁人 https://youtu.be/I82_3PODMvI https://youtu.be/kZjf2l-vIVI


ブログ40.森昌子の演歌、「哀しみ本線日本海」の持つ重要性

女って言う生き物は、代は男とそう違わないのに、二十代になるととても複雑。でも、女って根本的には素直な感じがする。森昌子の歌を聴いていてそう思う。
 私は前に、「哀しみ本線日本海」がヒットした理由を書きましたが、もっと根本的なことを見過ごしていたのかなとも思います。それは、森昌子ファーンが、ずっとヒットを待ち望んでいたのではないかということ。代でこれだけの人気を博した人が、九〜二一歳とこれといって目立ってヒットした曲がない、そのいら立ちと言うようなもの。山口百恵のブレイクや石川さゆり、八代亜紀、都はるみのヒットなど、歌謡曲や演歌の全盛時代。その時代にあって、泣かず飛ばずの状態ではなかったのでしょうか。レコード会社を変わって、いい歌を歌いながらも、なぜかヒットしない。そういう憤懣がファーンの中に溜まっていてもおかしくないでしょう。
 「信濃路梓川」は遠藤実が作曲した、いい曲なのにブレイクしない。その後の「波止場通りなみだ町」も「北寒港」も、なぜかヒットしない。この二曲は、歌詞とか歌の雰囲気が昌子に合っていませんね。港や涙や岬や船が多すぎます。二一、二歳の昌子が歌う歌ではありません。そして次に発表されたのが、「哀しみ本線日本海」。これは昌子にイメージをダブらせることができる歌です。また、日本海のイメージを抱きやすい歌です。だから、本質的にはそれほど心を打つ歌ではなかったけれど、ファーンのエネルギーが爆発して、それがヒットにつながったのではと想像するのです。
 果たして、ここで一つの疑問が沸きます。一体、昌子のファーンてどういう階層なのだろうかと。「せんせい」などを支持した人は、若者だろう。でも、若者が演歌など聞くのかなと。七、八歳のきれいな声で歌っていた昌子と、演歌を歌う昌子とどう整合性があるのだろう。今の私でも悩む。
 でも、このヒットがなければ、これ以降の昌子の演歌は無かったような感じがする。泣かず飛ばずでいつの間にか消え去った歌手。そういう評価が与えられたかもしれない。
 このヒットのあと、「鴎歌」、「立待岬」とあいも変わらず、岬や鴎や港町が幅を利かす。「鴎歌」はとてもいい曲なのに、歌に社会性に乏しいから、どこか偏りが見られる。美空ひばりの歌は、すべて社会性がある。昌子の歌は、個人的な歌で、普遍性に乏しい。だから、心に訴えない。でも、森昌子の心は日本海以降、演歌にのめりこむ。気持ちが入ってきたのだ。そして、「越冬つばめ」のヒット以降、昌子の演歌の黄金期のようなものだろう。歌詞が昌子の心情に移って来た。「ほお紅」や「涙雪」は都会的なセンスを含んだ、いい歌だ。これ以降、「恋は女の命の華よ」や「愛傷歌」、「弧愁人」など、都会的な女性の歌を歌っている。そして声もきれいになってきた。だが、ここで、もう森昌子の黄金期も結婚で終止符を打つのだ。
 彼女は九〜二一歳の過渡期を経て、自分の意思でもって、演歌の世界に入り込んだのだろう。そして、歌う『表情』も自分で作り上げたのではないのだろうか。その経過の中で最も重要な出来事が、「哀しみ本線日本海」のヒットのように思うのです。


YouTubeから

 北寒港(浜圭介作曲) http://youtu.be/KjzPdUIwyTo (この動画がもっとも二十二歳の森昌子を映し出しているようです。これを見る限り、欽どこに出ていた三枚目の森昌子とは雰囲気が違っていますね。とても女らしくて,美人になっています。)

十周年記念リサイタルのステージ(声だけ) http://youtu.be/IfnKPx6Qokg 

哀しみ本線日本海(浜圭介作曲)  https://youtu.be/QJsLKIcVTVY 

https://youtu.be/3zLz_dmnRL8  https://youtu.be/V4dNFGc6KuU 

https://youtu.be/04sDuqmEzPk 

http://youtu.be/MuYyTu7fAJM (再デビュー後の歌?でも、若々しい)
涙雪 https://youtu.be/tLDa90KBElk  https://youtu.be/CR9l6WZPsRQ 
鴎唄 http://youtu.be/rDKshUrKBWY


ブログ41.「越冬つばめ」は森昌子という女と一心同体

私の一つの課題は、森昌子の「越冬つばめ」がなぜ、はやったのか、という理由を自分なりに解き明かすことだった。今日、岐阜の出張先の宿屋で考えたことは、平凡だが、歌が上手で、気持ちがこもっていて、声が綺麗だということだ。

 『燃えて燃えつき冬のつばめよ、なきがらになるならそれもいい、ヒュルリ、ヒュルリララ…』このあたりは、森昌子自身の気持ちそのままなのだろう。女として燃えているのだろう。そして気持ちの入れようは、「立待岬」辺りからすごく説得力のある歌い方になっている。力強くもある。声のきれいさは、森昌子独特の息つき(息使い)にあるのだろう。フレーズとフレーズの間がなんとなめらかで、綺麗なのだろう。その綺麗さこそが、この歌をさらに美しくしている。女を考え続け、女になろうとして、女を歌い、現時点で森昌子が考えうる最高の女を表現したのが「越冬つばめ」だと考えられる。まさしく、森昌子がずっと望んでいた歌なのだろう。
 このCDは、聞いてもそれほど綺麗さはない。だが、動画に見る歌の奇麗さはどうだろう。声が頭の中にすーと入る。森昌子の美しさは、見るものを釘づけだ。声の美しさ、滑らかさ、表情の優しさ、真剣さ、無垢な女が持つ情愛へのときめき。「越冬つばめ」の歌の美しさは、森昌子のきれいさと同等なのだろう。「越冬つばめ」と森昌子は一心同体に近いのかもしれない。森昌子の女への凄まじい執念が歌のヒットへつながったのかもしれない。


YouTubeから
越冬つばめ http://youtu.be/BHQdgqeJJiw  https://youtu.be/O6kC4XZzLIs


ブログ42.森昌子は早熟すぎたのかも

森昌子の歌って、十八歳位から大人の歌になってくる。

デビューが十三歳の中学二年生だから、ほんと子供、少女と言えるのだろう。だから、十五歳位までは子供っぽさを感じる歌が多い。それでも、「夕顔の雨」や「おかあさん」は十六歳になる前の歌だが、今聞いても心に訴えかけてくる。十六歳になると、すべての曲をとてもきれいな声で歌っている。歌詞が少し子供っぽいが、聞き応えがある。それが、十九歳まで続く。

そして、十九歳になると、アルバムで、社会的に自立を目指す女性を歌う。でも、シングルのA面ではあいも変わらず、かわいい女性や片思いの女性を歌い続ける。そして人気が下降線をたどり、演歌に活路を見出し、演歌歌手として再出発を図る。この下降線をたどった理由に、僕は声の使いすぎによる「声の衰え」を感じるのだ。と言うのも、昌子の声に、十七、十八歳の時のような張りのある、澄んだ声が徐々にみられなくなるのだ。声そのものがとても平凡なのだ。声そのものに感動しなくなる。

私は、森昌子は早熟すぎたのだな、と思う。十七、十八歳でデビューすれば、彼女の持つきれいな声は二十代にも受け継がれたはずだ。それなら、森昌子の大人の歌を、きれいな声で、もっと聴けたのにと思う。彼女の本当のきれいな声は、十七、十八歳だ。でも、歌が少し子供っぽい。そのあたりが残念だなと思う。

森昌子は二十一歳以降、演歌にのめりこんで、味わいのある歌を歌い始める。それは元々持っている声のきれいさを演歌の調子に合わせているのだろけど、逆に、元々持っていたきれいさを失わせる結果になっていると思う。十九歳ぐらいまでの歌い方とはころっと変わっている。

今、テレビで芸達者な子役が何人かいるけれど、早熟すぎるのも、本人の持っている才能を開花させるのではなくて、押しつぶすことにもなりかねない。昌子が十七歳ぐらいでデビューしていれば、その声は二十代、あるいは三十代まで引き継がれ、大人の歌を、すばらしいきれいな声で歌い続け、私たちを魅了したのではないかと思うのだ。


ブログ43.声を論理的に持続させることの重要性(森昌子を例にして)

声と言うのは寝不足とか、その日の体調により微妙に変化する。そのため、歌手は声や体調管理にとても気を使うらしい。

森昌子の動画を見ていて、二十代も後半になると、何か声に張りがなくなってきているのでは、と思う歌い方が見られる。女性としてとてもきれいになってきているのだが、何か歌を聴いていても、魅力に乏しくて、感動に乏しい歌い方だ。十代でもそうした歌い方はあるにはあるが、全体的には声に張りがあって、聞くものに感動を与える。

現在、年配の歌手でも声に張りのある歌手もいれば、何かしなびた感じの声の人もいる。これはどうしたためだろう。私が思うには、声の使い方に問題があるのではと思うのだ。森昌子の場合、十代でかなり無理をした声の使い方をしたのではないだろうか。自然な歌い方から少しずれた、やや微妙な声の振るわせ方とか発声法。だが、人間の声の機能からすると、それは負担のかかるものなのかもしれない。

音楽の声の出し方には、ソプラノやアルトとか良く知らないが、そういう声の出し方があると思う。そうした声の出し方を続けるには、それなりの科学的な論理性と練習が必要だと思う。森昌子と言う生来のとてもきれいな声の持ち主であっても、そのままでは声は続かないのだろう。続けるには、音楽の論理に基づいた知識と練習が欠かせないと思う。歌を歌うほど声に磨きがかかると言うのは、論理的に無理があるのだろう。逆に声をつぶし、生来のきれいな声をつぶす。

歌謡界と言う業界にあって、人気や金儲けが主目的な世界では、きれいな声を保つと言うことは、個人の努力にまかされているのかもしれない。だからこそ、やはり学校に行って、音楽の論理、声の出し方の論理、科学を学ぶことも選択肢であったかもしれない。それは声をいたわり、声の出し方を学ぶことで、自分の声を守ることだ。森昌子の場合、声が消費になっている感じがする。そうではなくて、自分の声を科学的論理性に基づいて持続することだ。いつまでも声に張りを持たせることだ。それが、人びとにいつまでも感動を与えることだし、夢を与え続ける。僕は森昌子の演歌をとてもいいと思うが、それでもやはり十代の続きの声が聞きたいと思う。

話は変わるが、海上自衛官の三宅由佳莉(みやけゆかり)は大学で声楽を勉強したソプラノ歌手らしいが、演歌も歌ってほしい。「ブルーライトヨコハマ」の歌い方は、とてもいい。彼女の雰囲気は森昌子に似ている。


YouTubeから 

 三宅由佳莉 ブルーライトヨコハマ  http://youtu.be/jAIeYBNz45o


ブログ44.山口百恵、シングルA面を聞く

山口百恵と森昌子。多分、森昌子は山口百恵から大きな影響を受けただろう。逆に、百恵は昌子からそれほど影響は受けていないのではないだろうか。なぜ、そう思うのか。それは、森昌子が高校生の間、歌手を辞めることを考え続けたこと、高校卒業後、十九歳頃から、ヒットがでなくなり、二十一歳頃にレコード会社を変わったこと、アイドルをなかなか捨てきれなかったこと、演歌歌手である事の踏ん切りがつかなかったこと、歌が現実の社会の様相を歌うより、田舎の景色や現実逃避の歌を歌う傾向があったことなどからだ。一方、百恵はこれらのことと逆のことを行ってきた。高校卒業後もヒットを続けたこと、現実的な歌を歌い続けたこと、演歌を歌わなかったことなど。もしも百恵がいなければ、森昌子はもっと人間的にも歌手としても、成功を収めていたかもしれないと思う。

  そういうことを頭の片隅において聞いてみた。

 インターネットの百科事典「ウィッキペディア」より資料をコピーして、山口百恵のシングルA面をリストアップした。それを年齢ごとにまとめた

インターネットの百科事典「ウィッキペディア」より資料をコピーして、山口百恵のシングルA面をリストアップした。それを年齢ごとにまとめた。

 百恵の誕生日を一九五九年一月十七日として満年齢で表した。

YouTubeから (出典:「ウィッキペディア」より)

十四歳(中学年生)

1.としごろ (一九七三年五月)  https://youtu.be/jUqC9XvkCc4 

2.青い果実 (一九七三年九月)  http://youtu.be/UO1Z9nB0BOU 

3.禁じられた遊び (一九七三年十一月)   https://youtu.be/-8-qox8yL_E 

十五歳(中学年生〜高校一年生)

4.春風のいたずら (一九七四年三月)  https://youtu.be/0phIXhjJuNc 

5.ひと夏の経験 (一九七四年六月) http://youtu.be/K8IdfNxS6To 

6.ちっぽけな感傷 (一九七四年九月) https://youtu.be/quLCkJjelUs 

7.冬の色 (一九七四年十二月)  https://youtu.be/nImODXXiR88 

十六歳(高校二年生)

8.湖の決心 (一九七五年三月) http://youtu.be/f3XhIDFn5TM 

9.夏ひらく青春 (一九七五年六月)   https://youtu.be/8JpnwXYvKvQ  

10.ささやかな欲望/ありがとう あなた (一九七五年九月)  http://youtu.be/jEu53V2f1RY /

http://youtu.be/USW5I5p2OXo 

11.白い約束/山鳩 (一九七五年十二月) http://youtu.be/Sfx2SUqLKj4 /    http://youtu.be/-si7m2brs8Y 

https://youtu.be/LByA6a_PECQ 

十七歳(高校三年生)

12. 愛に走って/赤い運命 (一九七六年三月)  https://youtu.be/GsWs5qzep54  

https://youtu.be/Ix6ey6V9jcE  / https://youtu.be/MNA2Ls8Vz7g

13.横須賀ストーリー (一九七六年六月) http://youtu.be/TaVd-hPxUW4  http://youtu.be/WeB_g2sQjtQ

14.パールカラーにゆれて (一九七六年九月) https://youtu.be/6ScIdYlrF0k

15.赤い衝撃 (一九七六年十一月) https://youtu.be/DFVqvp34CvE

十八歳(高校年生)

16.初恋草紙 (一九七七年一月) https://youtu.be/BhcDCIV2Ao0

十八歳(社会人)

17.夢先案内人 (一九七七年四月)  https://youtu.be/Ezauljtn_MI

18.イミテイション・ゴールド (一九七七年七月) http://youtu.be/n02z8pqFZA0                         

19.秋桜 (一九七七年十月)

 http://youtu.be/a9LHW8weTLg  http://youtu.be/89HBcy08960  https://youtu.be/QfmLjQ4tFTY

20.赤い絆(レッド・センセーション) 一九七七年十二月 http://youtu.be/fZugahjDQcY

 十九歳

21.乙女座宮 (一九七八年二月)   https://youtu.be/fpdmerly7tk 

  http://youtu.be/RW0ritqBh1k  http://youtu.be/Q9QytOtVQtk

22.プレイバックPart2 (一九七八年五月)  https://youtu.be/ECOlS1jNCx8   http://youtu.be/NmZk8E9_y7Y 

23.絶体絶命 (一九七八年八月) http://youtu.be/QndLhd-Zfug

24.いい日旅立ち (一九七八年十一月)  http://youtu.be/TPkgSV2f1s0  https://youtu.be/Q3XZAQXQsNA

 http://youtu.be/IPyRxvV0tZA   http://youtu.be/VY_kzSqjsYY

二十歳(三浦友和と恋人宣言)

25.美・サイレント/曼珠沙華 (一九七九年三月)

https://youtu.be/Vx4C7Pxd7IA   http://youtu.be/nLEN8Zrln8g/  /

http://youtu.be/nr-yZN7u7Sw(お釈迦様に見えるような動画) http://youtu.be/0W4IamdRxXk (いい歌だね)

26. 愛の嵐 (一九七九年六月) http://youtu.be/oZEjZ4kuTpg   

27.しなやかに歌って (一九七九年九月)  http://youtu.be/fxwR2BCgkxk

http://youtu.be/SnIgrQg2v-s  http://youtu.be/05WdBuapkRE

28.愛染橋 (一九七九年十二月)  http://youtu.be/HgFS1UjlHkI  http://youtu.be/dV5f2SQJedE   

二十一歳(三浦友和と婚約、結婚)

29.謝肉祭 (一九八〇年三月)  https://youtu.be/D5zJ8XC0rg4   http://youtu.be/6Ge2P0idjy0 

30.ロックンロール・ウィドウ (一九八〇年五月)   https://youtu.be/f4u5CYgMnJc

31.さよならの向う側 (一九八〇年八月)  http://youtu.be/H0oUj4LAILo http://youtu.be/GY_LUvVTWBA

32. 一恵 (一九八〇年十一月)  https://youtu.be/UDuJ8bsaMQk

 

 百恵は二十一歳で引退している。短い歌手期間の中でヒット曲が凝縮されており、どれもこれもがインパクトがあり、心に訴えかけてくる歌声だ。


ブログ45.アイドルは消費されて消えていく

今日、京セラドーム大阪そばの尻無川に面した河川公園で、森昌子の歌を一時間ほど聞いていました。主に十代の曲を聞いていたのですが、声は綺麗なのですが、やはり詩が、あるいはもしかして歌い方そのものが、心に大きな印象となって残らないのですね。それに対して、いつも森山良子を持ち出して悪いのですが、彼女の歌は、一曲一曲がとても心に響いてくるのですね。とても重いのです。

この歌における重みの違いって、二人の歌手生活の入り方の相違かもしれませんね。森昌子はアイドル歌手として歌手生活に入った。だから、休みなく、次から次に歌を歌い続けた。それはまさしく森昌子を消費する活動だったのでしょう。十三歳から二十歳ぐらいまでは、体も声も成長するから、消費を続けていられたのでしょう。でも、二十歳すぎに、人気が落ちて、消費がうまくいかなくなった。それで、レコード会社を変わった。

一方、森山良子はどうなのでしょう。私は彼女のことを全く知りません。でも、歌を聴く限り、とても個性的です。一曲一曲に味わいや社会性があり、人生の深みがある。歌が軽くなくて重い。

私は、森昌子の二十代の歌を、一つ一つの曲を作品群として見れば、とても味わい深いと言ったことがあります。その言葉が、やはり十代にも当てはまりそうな印象が今日、公園で聞いていて思ったのです。十代の曲もよく聞けばとても感動的なのですが、それは彼女の声が、こちらの胸を打つのであって、詩や曲の重みではないのです。

今、AKB48が人気ですが、彼女らの歌も、やはり、消費を中心に据えた、作品群でしょう。一曲一曲に、魂を込めて歌うというより、次から次に目新しい物を作り、それを若者に見せて消費していく。

アイドルって、消費されていくら。森昌子は、二十歳すぎで、アイドルとして限界に達したようです。その後、これまでの経験を活かして「悲しみ本線日本海」でヒットを飛ばし、演歌歌手として方向転換を果たせたのではないでしょうか。
YouTubeから

森山良子 掌(手のひら)  http://youtu.be/HYhdGKVZiaA

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