2−5、自立に悩む19・20歳の歌を楽しむ


森昌子が歌う曲で、母親からの自立を歌った貴重なアルバムがある。それは十九歳のときのアルバム「すぐに消えそうな愛なら」(一九七八年四月)。

このアルバムに含まれる「今日から一人で暮らします」と「花祭りの頃」は、フォーク調で自分の内面や悩みを直接的に歌いあげている。こうした自分の内面や悩みを素直に表現する歌は、中・高校生時代の森昌子にはなかったことだ。ただ、高三のステージで歌った「母に手紙を書く時は」は、母親からの精神的な自立と葛藤をきれいな歌声で表現していた。

実は森昌子は高校時代を通じて、歌手として歌っている自分と、本当の自分とは別物であるという感覚を抱いていたようだ。つまり、彼女はアイドル歌手・森昌子は本当の自分ではなく森田昌子が演じている歌手としての感覚を抱いていたようなのだ。別の言い方をすれば、自分は歌わされている、という思いを常に抱いていたようなのだ。その後、レコード会社をかわり、演歌を歌い始めると、そうした心の乖離は徐々に解消し、歌手として自分の気持ちを素直に表現できるようになっていったようだ。

だからこそ、アルバムであるけれど、社会的な自立の歌を歌うことは、森昌子の内面を大いに助けたことだと思う。こうした歌を歌うことで、その結果として二十歳前、アメリカへの一か月間の逃避旅行が実現し、レコード会社を代えて、新しい一歩を踏みだすことにつながったといえるかもしれない。


ブログ32.彼女の思いは、歌手を辞めること

数日前、「明日へ」と言う本を読んだ感想をこのブログで書いたのですが、少しオーバーに書き過ぎた感があります。森昌子の歌に何も失望したわけでもありませんし、絶望したわけでもありません。私が、勝手にイメージを膨らませ、勝手に思い描いていたことと、少し違っていたと言うだけのことです。

私は、森昌子と言う歌手はレッスンとか歌の勉強にとても熱心で、歌うことを喜びだと思っていたのです。ところがこの本を読んで、彼女は『歌手を辞めることばかり思い描いて高校三年間を過ごした』のでした。そして、高校を卒業したとき、『力が抜けるのを感じた』と書いています。はっきり言って、いやいやながら、でも、一度決めたからには、高校卒業までは歌手を続ける、そればかりを考えながら、十八歳まできたのです。ですから、歌への展望とかは無かったと書いています。そして、二十歳になる一ヶ月前ぐらいに、逃避行のように、アメリカにわたり、一ヶ月ほど過ごします。そこで、少しは吹っ切れて歌手生活を続けますが、根本にあるのは、歌手を辞めたいという願いだという事でした。森進一との出会いも、彼から、『歌手を辞めたいのだろう』と言い当てられて、私のことを本当に理解してくれている人だと思って、気持ちが傾いていったようです。

結局、森昌子と言う歌手は、歌手を辞めることばかり考えながら過ごした歌手だと言えます。そのように本に告白しています。

私は、ライブなどのときにいつも言っている『皆様の森昌子であり続けたい』と言う言葉を聞くにつけ、歌と言うものに自分なりの情熱をぶつけているものだと思っていました。

でも、そうしたことを責めることなど出来ません。致し方ないことだと思います。キャニオンレコードに移籍するまで、休みの日は無かったと書いています。毎日毎日、歌い続け、写真を撮られ、緊張する日々。中学二年生からそういう毎日を続けたのですから、歌手を辞めることが、一番の目標になって当然のことです。

でも、私は、そういう昌子であっても、やはり、その声や表情には感動しますし、歌手を続け、笑顔を絶やさず、さわやかな森昌子を演じきった彼女を、すばらしいと思います。彼女の歌は、森昌子と言う芸名の中で作り上げ、創造したものなのです。本当は、そういうものから逃れたくて、普通の女の子でいたかったのです。私達は、森田昌子が演じた森昌子と言う歌手に感動しているのです。


ブログ33.10代後半で片思いと母親から決別宣言した森昌子

森昌子にとって、十八、十九歳はいろいろな内面の問題が表出してきた歳だと思うのですが、恋愛や自立、母親の問題を真正面から取り上げているのが、十九歳の時のアルバム「すぐに消えそうな愛なら」(一九七八年四月)だと思うのです。

彼女は十八歳までは片思いの歌を多く歌っているのですが、その裏には母親の影が強い。これはシングルレコード「おかあさん」のヒットと関係しているのかもしれませんが、その片思いやお母さんへの決別を主題にして自立を歌っているのが、このアルバムだと思うのです。このアルバムの曲には、愛を失った女性の心境とそれを乗り越えようとして、お母さんに頼らず、一人で生きていこうとする姿が歌われています。森昌子にとって、お母さんはとても大きな存在なのだろうけど、それに果敢に挑戦している。

YouTubeから

アルバム「すぐに消えそうな愛なら」

1.「すぐに消えそうな愛なら(失恋の曲)http://youtu.be/LlVi6nQM0YM

2.「今日から一人で暮します」(母との決別を宣言した歌だ)http://youtu.be/_lc9yNvZpJw 

https://youtu.be/lhLoe-UjImE (動画 20歳)

3.「一〇円玉のふるさと」(都会暮らしを始めた田舎娘のふるさとを懐かしむ歌)

http://youtu.be/3UX9TmWboI4

4.「父娘草」https://youtu.be/wmdATn6nBZg 

5.「おばあちゃん」 なし

6.「母に手紙を書く時は(母親への複雑な愛情表現。母親を歌う時、昌子の声は一段と美しくなりますね) http://youtu.be/2iNbFlHEm8c (ライブ録音) https://youtu.be/sdesuGljs2E (ライブ動画)

http://youtu.be/vW_F5JzRAHc (テレビ録画)  

7.「花まつりの頃」(自立しようとしている女性像を描く)http://youtu.be/oLjPbHzovWw 

8.「絵日傘https://youtu.be/PtNWya84tzA 

9.「なれそめ」(これは詩よりも曲がいいのかな) http://youtu.be/6Bv_dry8OPg  

10.「初夏の雨のむこうに(失恋の歌)http://youtu.be/9-GN_yFjmTo 



ブログ34.森昌子の歌う、「よこはま・たそがれ」と「港の別れ唄」

しばらく前に森昌子のLPレコード「十九歳の演歌 港・桟橋・別れ唄」(一九七七年)をオークションで購入した。これは十九歳の時のアルバムで全十二曲、カバー曲からなっている。発売日は七月一日。

森昌子はこの年の七月か八月頃(はっきりした月日は不明)に一ヶ月ほどの休暇をもらい、アメリアへ旅行に行く。高校卒業前から歌手生活に疑問を抱き、卒業後も歌手であることに迷い続けたなかでの自分の「気持ちの整理」が目的だった。アメリカの友人宅で一ヶ月位を過ごしながら、その帰り際、サンタモニカの海岸でカップルや女の子が夕焼けの光輝く中、楽しそうに過ごしているのを見て、涙がとめどもなく出て来たという。自分が人から輝いていると感じてもらえるのは、歌を歌っている時ではないか、自分はやはり歌っていくしかないのかなあ、とそう思い、再び歌手への灯りが芽生えたという。

 この期間中、日本では七月には森昌子主演の映画「お嫁に行きます」が公開されている。そして九月五日にはシングルレコード「彼岸花」が発売され、九月二十一日には帝国劇場で「七周年記念リサイタル ひとり舞台」が開かれている。一ヶ月の逃避行というものの、超過密スケジュールには変わりがない。これが森昌子の十代の終わり頃の話だ。

 アルバムの話に戻ると、僕はB面の二曲にとても感動した。一曲は五木ひろしが歌っていた「よこはま たそがれ」だ。かなり編曲していて、五木のオリジナルな歌い方より、より軽快でテンポが速く、カントリー調だ。

もう一曲はクールファイブが歌っていたと思う「港の別れ唄」。この曲を歌う森昌子はなんと素晴らしいのだろう。声の張りといい、透明感といい、哀愁を漂わせる歌い方といい。もしかして、森昌子の歌の中でも、最高の出来かも知れない。この歌詞と森昌子の当時置かれた精神状態、歌手を続けていくことの曖昧さ・疑問を、思い切りぶつけたのかも知れない。感動的な歌い方だ。


YouTube
から

「よこはま・たそがれ https://youtu.be/JKr8dFwSP6Y 

(五木ひろし https://youtu.be/K3_ORrVZl5A) 

「港の別れ唄」 https://youtu.be/94Z_WektNO8 

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