二日ほど前、YouTubeで森昌子の新しい動画がアップロードされているのを見つけた。その動画を紹介したい。
これらの動画はとても衝撃的だ。何が衝撃的といえば、これまでの動画ではあまり印象として残らなかった、森昌子の二十代後半の歌う姿が、とても鮮明な画像として残っているのだ。その画像には、画質の鮮明さのほか、録音もよくて、森昌子が歌う声そのものがとてもクリアできれいだ。そして表情もとても明るくて、美人に写っている。こんなきれいだったのか、と驚くくらい。
森昌子の二十代後半というのは、多分、私がレコードを聞く中で想像していた森昌子と、実際多くの人がお茶の間でテレビを通じて感じていた森昌子との間には、大きなギャップのようなものがあるのかもしれません。私は「越冬つばめ」が流行って後の森昌子をよく知りませんが、記憶として、声がきれいだった、というのがあるのです。今回の画像を見る限り、私の記憶と、画像の森昌子の声の美しさが、なんだか一致しそうな、そういう感じを受けるのです。
この動画は、「jyunzou hamada」という人が提供しており、主な画像は十数本ですが、それらはすべて興味深い動画です。YouTube動画というのは一般に公開されるのが原則でしょうから、著作権に違反しないと思うので、ここで十本程度紹介します。
@「思い出まくら」 高田みずえとのデュエット。高田みずえも森昌子も表情が明るくてきれい。歌も上手。https://youtu.be/WA2pGi6f4WI
A「ラブ」 男女でのデュエットで、森昌子がうれしそう。https://youtu.be/4KNw6BM6L1c
B「ある女の詩」 森昌子の絶唱。この歌はいい。https://youtu.be/vseiDOBACXg
C「美空ひばり集」 森昌子の別の一面を垣間見るようないい動画。表情も明るい。https://youtu.be/f32gXdfsOPY
D「越冬つばめ」 この動画を始めてみました。ttps://youtu.be/bVbJo2LCi_Q
E「愛傷歌」 森昌子がとても朴訥と気持ちをこめて歌っている。森昌子もきれい。https://youtu.be/IghBpm8MdSM
F「ああ上野駅」 「十六歳の演歌」を思い出す、いい歌い方。
https://youtu.be/9ZOvaYYFD48
G「恋は女の命の華よ」 村野武範とのトークがとても面白い。歌もいい。この頃、巷では森進一との関係が噂になっていたのですね。https://youtu.be/rFthfUV0WaY
H「故郷を離るる歌〜宵待草」 こういう唱歌も歌えるところが森昌子のすごいところ?
https://youtu.be/PFTsQ4Dx1j8
I沈丁花 https://youtu.be/_eYr15ZzOOI
ブログ79.レコードとテレビ画面から見える、森昌子の相反する2つの心の様相
私がこれまで四年間にわたってブログを書く中で、イメージしてきた森昌子と最近アップロードされた二十代後半の森昌子の姿を見るにつけ、少しだけ、イメージの修正が必要かな、という思いを抱きます。
たぶん、当時、茶の間では「越冬つばめ」のヒット以降、森昌子をテレビ画面で見る機会は多かったのではないでしょうか。二十代後半の森昌子は、テレビ画像ではやはり独特の雰囲気を持っていますね。若さときれいさ、声の美しさ、上品さ、純潔(真っ白な服を多用している)、それでいて、演歌の持つ泥臭さや、女の未練や失恋や、恋しい気持ちをいろいろな場面に合わせて歌っている。オリジナル曲より、人のカバー曲の歌唱に特徴があるような歌い方です。
私が、レコードを聞く中で感じていたのは、「越冬つばめ」以降、「寒椿」や「涙雪」、「恋は女の命の華よ」とオリジナル曲に、味わいが出てきているものの、その数が少なくて、すくに引退してしまう、物足りなさなのです。そういうわけかどうか、引退の月の八月に、オリジナルなシングル曲をA、B面合わせて八曲を同時に発売しているのです。この八曲を合わせて、やっと二十代後期の森昌子のオリジナル曲が、完成された、という感じになります。だから、もし、あの八曲がなければ、結婚による尻切れトンボの感がぬぐえなったでしょう。
一方、テレビの画像を見ていると、レコードの発売とは違った動きが読み取れそうですね。テレビでは、自分のオリジナル曲を歌うのと同時に、あるいはそれ以上に、カバー曲を歌う様子が数多く残されています。しかも、オリジナル曲を歌う「うまさ」より、カバー曲を歌う「うまさ」に胸を打つ曲が多く残されている感じを受けます。森昌子は、オリジナル曲より、カバー曲に人気があったの?という感じを抱きますね。
それと忘れてならないことがあります。テレビ画面からは全くその素振りが見えませんが、逆に歌手をとても楽しんでいるように見えますが、彼女の心の奥底には、歌手をやめたいという強い希望があるのです。その心の奥底を見せない歌いぶりが、僕にとって、とても奇妙に映るし、感じられるのです。森昌子が、森進一に気持ちが傾いていったのも、歌手をやめたいという気持ちを、森進一が感じ取ってくれたからということを、「明日へ」という本に書いています。そこから、二人の交際が始まっているのです。
ですから、テレビや歌手生活を通じて、そういうことをおくびにも出さずに引退したけれど、心では常にそう思っていたというのが、私の変わらぬ考えです。でも、テレビ画像を見ていると、とても歌手をやめたいという希望をもっているとは見えませんね。本当に歌手をやめたいの?という疑問がわいてきますね。
前回、僕は、森昌子が二つの相反する心を抱きながら、歌手生活を送っていたことを書こうとしたのですが、文章が舌足らずで、その意味するところを書ききれなかったと思っています。
彼女は十代、二十代と絶対に、自分の心を誰にも打ち明けなかったのですね。だから、彼女の心を理解する一つの方法が、彼女の歌から彼女の心を理解することではないでしょうか。全体を通して聴くと、やはり大きく年齢により、歌の傾向は違ってきています。私が感じるには、「越冬つばめ」までは、歌をヒットさせようと気持ちが前面に出ていると思います。だから、歌には前向きで、歌手をやめたいという気持ちは、後ろへ押しやられていたのでしょう。ただ、森昌子に言えるのは、後ろにその気持ちが隠れていたにせよ、やめたいという気持ちは、常に持っていたと思います。そして、「越冬つばめ」のヒットにより、最も安定した精神期に入ったと思います。そして、安定した人気の下で、「寒椿」、「ほお紅」、「涙雪」、「恋は女の命の華よ」、「愛傷歌」あたりをヒットまではいかないにしろ、お茶の間で人気を持続したのではないでしょうか。
でも、これらの曲を聞いていると、森昌子の本当に持っている明るさとは、だいぶ様子が違っているのも事実でしょう。おしゃべりしている時はとても明るいのに、本番になると、何か違った森昌子が歌っているようで、おとなしく、女らしい感じがします。そして、見た目だけではなしに、シングルCDやアルバム『女の暦』を聞いていると、歌そのものに味わいが出てきて、女である自分を自覚しながら、女である自分のことを歌っています。それは歌っている森昌子が自分の心を歌い始めているからなのかもしれません。つまり、森昌子と森田昌子が一体化しつつあるのかもしれません。
そうした歌と自分との一体化の中で、どうしても心から離れない思いが厳然と横たわっているのも事実。それは歌手を辞め、普通の生活をし、普通の結婚をし、普通に子供を産み育てる普通の家庭。そうした家庭への強い思いを打ち消すことができなかったのでしょう。
そういう心の思いの相克が、「越冬つばめ」以降の歌にはあるのではないでしょうか。女である自分が美しくなるのをうれしく思いながらも、普通の女として生きたい、普通の家庭を築きたい、そういう思い。シングルやアルバムの歌にも、そうした心の葛藤、女であることのうれしさや歌手であることの哀しみがにじみ出ていると思うのです。
テレビの画像だけではわからない、森昌子の深い思い。それは彼女のシングルやアルバムの歌の中に隠されているのではないでしょうか。
YouTubeから
涙雪(シングルAB面)https://youtu.be/CR9l6WZPsRQ
恋は女の命の華よ(シングルA面)https://youtu.be/48z9h45T0hE
古都の春(シングルB面) https://youtu.be/jpd_udrrt-8
吉祥寺物語(アルバム「女の暦」) https://youtu.be/fqJ7z5BUACg
そして、今…悲しみの終着駅(八月二十一日発売、A面) https://youtu.be/Bo4jQGK5IHk
涙暦(八月二十一日発売、B面) https://youtu.be/vmpD-5PoB1c
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