わが街、大正区の紹介
大正区は大阪市の西側、臨海部に面した工業地域と居住地域が混在した街です。淀川の支流、木津川と尻無川に挟まれた三角州に新田開発がなされ、その後、居住地が増えて今の大正区になったようです。新田開発がなされたのは文献を調べていないのでわかりませんが、たぶん江戸時代の後期かも知れません。明治18年測量図では三軒家村という文字が見え、村を形成していたようですが、それも大正区の北側の一部で、ほとんどが田んぼばかりのようです。明治42年測量図では西区という文字が見え、西区に編入され、木津川沿いに市街地が発達してきているようです。
大正区も昭和に入ると、これまでの三軒家周辺だけでなく、千島、小林、北恩加島辺りまで市街地が拡大してきている。そして、運河や池が新しく掘削され、木材市場が開かれている。私が幼かったころ(昭和30年代)は原木が野原に積み上げられ、また池にいかだとして浮かんでいたり、製材された木材が積み上げられたりし、、製材所から出る木屑や細かい木の粉がこの辺りに充満していた。子ども達は積み上げられた木材の上を飛び越えたり(私もよく遊んだ)、池の中のいかだで遊んだりしていた。ただ、いかだ遊びは危険で、木の上は滑りやすく、足を滑らせて池にはまると、いかだが邪魔して這い上がれず水死したりしていた。また、時折、積み上げらた材木が崩れて圧死する子どももいた。そのため小学校ではいかだ遊びは禁止していた。
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明治18年測量 地形図 | 明治42年測量 大正元年発行 地形図 |
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大正10年測量、昭和7年部分修正、昭和9年11月30日発行 25000分の一の地形図 |
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P1 千歳橋から昭和山方面を望む |
空想のインタビュアーが私にインタビューします。
@、大正区の面白いところを教えてください。
大正区に面白いところはないかもしれません。ただ、これまで大正区民にとって渡し船は日常のことだったのですが、この間、新聞広告で渡し船の観光ツアーが企画されていて、一日かけてバスで9箇所ぐらいの渡し船を見たり乗ったりするらしいのです。これを見て大正区も有名社寺と同様、観光ツアーがくる所になったのかとびっくりしました。
A、見所は?
歴史のある街ではないのでこれといった見所は思い当たりません。しかし、先ほどの渡し船や大正内港、地下鉄土砂で作られた人工の山・昭和山の織り成す風景が今の大正区の風景ではないかと思います。
(昭和山の秋のスナップ写真はこちら)
B、よい所は?
大正区は隣の区には橋か渡し船に乗らないといけないので、袋小路のようになっていますが、南北に大正通りという片側3車線の道路が貫いていますので、閉鎖空間の中でも明るく落ち着いた居住空間を作っています。
Cあなたはどこに住んでいるのですか。
千島です。
Dどういうところですか。
千島は北恩加島、小林を含めて35年ほど前は、運河や池、材木、製材所や町工場などが集まり、そこで働く人々も居住する非常に環境の悪い地域でした。昭和40年代のNHKテレビのルポで、工場のばい煙で青空が見えない、青空を知らない、喘息や鼻の悪い子どもが一杯の地域だが、小学校の合唱コンクールで2位になったと紹介されていました。実際、私の子ども時代、鼻水をたらしていた子どもが数多くいたような記憶があります。
しかし、運河や材木のため池は、今は区役所や昭和山、URの賃貸住宅、市営住宅、あるいは大阪市の公社マンション、済世会病院、マリーンテニスパークと官営や半官営の施設に変わり、また大正内港も整備され、その面影はほとんどなくなっています。上の写真は大正内港にかかる新千歳橋の上から、昭和山方面を撮りました。真正面の緑の部分が昭和山で左の緑の部分がテニスパーク、その後方に市公社のマンションが見えます。昭和山の背景の薄い稜線は生駒山です。この橋の下にも渡し船が通っています。
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P2 千歳橋から南港方面を望む。正面になみはや大橋とみなと大橋の有料の2橋、その向こうにWTCの高層ビルが見られる。 | P3 千歳橋から弁天町駅周辺の高層ビル群を見る。川は尻無川で小さな貨物船が行き来するため、橋は国道43号線の高架橋までなく、その間に渡し船が人と自転車を運ぶ。朝は満杯となる便が多い。 |
E大阪ドームは大正区になるのですか
残念ながら、大阪ドームは西区になります。ドームへのJRの最寄り駅は大正駅です。大和路線、阪和線の快速が全て停車するので、便利ですよ。
下の写真はドーム前から大正橋を撮ったものです。片側5車線、両方向で10車線の幅広いコンクリート橋です。その後ろの四角い鉄橋はJR環状線です。流れる川は木津川で、木津川はここで分岐して右側に行く尻無川とに分かれます。川は運河ではないので、案外流れが速いですよ。写真の右側が大正区、左側が浪速区。立っている場所は西区。
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P4 ドーム前から大正橋方面を望む。左側のマンションの横手は道頓堀川。 |
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P5 大正区の玄関口、大正駅。ここには市バス停留所が集まっていいて、区民の多くが市バスにのって我が家へと行く。また大正区では市バスの便数が多くドーム前やなんば、大阪駅、天王寺、野田阪神まで市バス一本で行くことができる。 |
F大正区には沖縄出身の方が多いと聞きますが。
伝聞では区民の4人に一人が沖縄と何らかのつながりがあるということですが、本当かどうかわかりません。ただ、沖縄のエイサー祭りが千島公園で催されたり、沖縄料理店や沖縄会館があったりと沖縄とつながりが深いのも事実です。息子の通った保育園は沖縄の歌や踊りを中心にすえて保育活動をしていました。写真の大正駅周辺には沖縄料理店が4〜5店集まっていて、他の地域からもわざわざ食べに来るようです。
(2011/9/25)
G今後の大正区についてはどうですか?
臨海部は水辺を求めて人々が集まり始めて、これまでの工場群から人々が憩い、住み、またビジネスをする都会的空間に変貌する可能性があります。ことに大正区は道路の整備が進んで、人と車の分離ができていて落ち着いた空間が出来上がっているので、行政側に想像力やきちっとしたビジョンがあれば、西区と同じぐらいの都会的なセンスあふれる町になるでしょうし、あるいは庭付きの戸建て住宅を臨海部に作っていけば、静かで落ち着いた街並が出来上がると思います。実際、大正区南部の鶴町を歩いてみると、工場や家々が密集しているのに静かさが感じられます。道路には路上駐車が多く見られ、大阪市内では考えられない光景を見ることができます。