音楽・・・森昌子

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2015/2/5
2015/1/23 昌子の歌「あなたから歩いて」を聞いて
2015/1/4 森昌子の18歳のアルバム「出発の詩集」より
2014/12/30 大フィル「第9の夕べ」と森昌子
2014/12/11 昌子の歌の中で少しだけ面白い曲
2014/12/9 テージで見せる森昌子のとても残念なこと
2014/11/23 森昌子の歌に感動する理由を考える
2014/11/9 歌手・森昌子の悲しみ・つらさ・涙の原因
2014/11/8 作詞家・荒木とよひさの歌を歌う、テレサテンと森昌子
2014/11/6 森昌子、アルバム「十八歳の演歌 南国土佐を後にして/長崎物語」
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2015/2/5

本文

 人それぞれに「至福のひととき」というのがあるのかもしれない。それはほんの些細な時間であったり、月に一度の楽しみであったりする。僕が若い時、須磨の海岸で海を見ながら本を読んだり、缶ジュースを飲んだりする時がそういう時間だったのかもしれない。今は、宿舎から現場へ行く車中で聞く音楽だろう。それは限られた時間だから、よけいにそう感じるのかもしれない。

 今、僕が主に聞く森昌子の歌は、昭和初期や戦後の初めの頃、そしてアイドル時代の歌が多い。時代にして30年から80年も前の曲だ。それらの曲が私に、わずかな時間ながら至福のひと時を提供してくれる。

 古い時代の歌が今持って私や多くの森昌子ファーンに愛されるのは、やはりそれなりの理由があるのだろう。多分、ほかの人が歌えば、なんともない歌が、彼女が歌えば、何か清らかな清流を見るように、心をときめかし、その透明感に美しさを感じるのかもしれない。あるいはそうではなくて、歌そのもの、つまり作曲や作詞がうまいからだろうか。私は森昌子以外を知らないから、ほかの人が歌っているのを知らない。でも、古賀メロディだけは、これは作曲に負うと思う。古賀メロディはほんと、素晴らしい。

昭和初期や大正時代の歌、戦後始めの頃の歌、こうした古い歌が、今持って心を打つのはどうしてだろう。それに引き換え、今の時代の演歌と呼ばれる歌が、陳腐さを感じるのはどうしてだろう。決まりきったフレーズ、ワンパターンな思考、人はいつも挫折や不安や心配、同じ状況の中で生きていないのに、その日常の中で生きる力を後押ししてくれない。

愚痴を言っても始まらない。森昌子の歌を聞くことで、私が感じる”至福のひととき” を感じてもらえたらと思う。

youtubeから
 森昌子古賀メロディーを唄う
 〜二十一歳の演歌〜より
1.「影を慕いて」 http://youtu.be/izm5eqkx7ts(26,27才頃の動画)
           http://youtu.be/Ak4UWlIJwz8(21歳の頃の動画?)

2.「緑の地平線」 http://youtu.be/AfJUsmcOyyU(動画)
            http://youtu.be/9dk-qHJ8Cog(24歳頃、声は多分21歳)
            http://youtu.be/7mxXYGEDGMg(21歳の声?)

3.「青春日記」(僕はこの曲の2番、3番が好きだ)
           http://youtu.be/T215BhATFXo(50代の動画)
           http://youtu.be/M5TSk5VEGcE(21歳の歌声)
4.「二人は若い」 youtubeなし

5.「愛の小窓」  http://youtu.be/m5bILGIFa2k(21歳の歌声)

6.「人生劇場」 http://youtu.be/i0KRm7H6gt8(21歳の歌声)
          http://youtu.be/g0VZKRmJ5IQ(1985年の動画)

7.「人生の並木路」 http://youtu.be/4CnvtnhvoIk(17,18歳頃の動画?)
            http://youtu.be/8nT-iX6RSVM(21歳の歌声)
            http://youtu.be/eQqTOmvNj5A(1985年の動画)

8.「青い背広で」 http://youtu.be/WST5OhnGHgs(21歳の歌声)

9.「男の純情」 http://youtu.be/baMXZT0Jnk8(21歳の歌声)

10.「サーカスの唄」  http://youtu.be/QVghDOmI4Qs(21歳の歌声)
              http://youtu.be/KAXhUZm-BYg(驚きの再生回数)
              http://youtu.be/Xhroe_yI9jU(50代の動画)

11.「ああそれなのに」(この歌は歌詞が面白いですね)
               http://youtu.be/uxoXfRBl7Tw(21歳の歌声)


12.「東京ラプソディー」  http://youtu.be/awyPKIMDaZs(21歳の歌声)


叙情的な歌が、”18〜20歳の演歌”に収録された歌だ。

波浮の港 http://youtu.be/NpAn5mxRxEE(倍賞千恵子の歌。森昌子の歌がありません)
       http://youtu.be/CUcFazKVbMM?list=PLO6wGMKFXx_o6mIftwh2JTkTPExqCn6Sy
長崎物語  http://youtu.be/RZPFY1YKp3Q

そして声の透明感から心を慰めてくれるのが、”16〜17歳の演歌”所収の歌だ。

白い花の咲く頃 http://youtu.be/osCfNA8Bwfg
月よりの使者 http://youtu.be/kEdCsqG1OmM
哀愁海峡 http://youtu.be/wSjNsq5wf2s(1978)
       http://youtu.be/x7gXT3Nmi_Q(17歳の歌声)
アンコなぜ泣く http://youtu.be/8Hz7fnxBtm4

女の弾ける若さと色気を感じさせてくるのが、”昌子 哀愁”のいくつかの曲だ。

御茶ノ水時代 http://youtu.be/ECQ3CxiGMiw
夢の重さで http://youtu.be/JU_JN6Gfv-8
紅差し指 http://youtu.be/ai0xkrxrDY8
酒場の鯉のぼり http://youtu.be/W4R2w2t9cYk
夏草の二人 http://youtu.be/8Q59MeesBSQ
駅前物語 http://youtu.be/pCkB3iNT7yA


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2015/1/23

本文

 人にはいろいろな理由で、好きな人や別れたくない人と別れなければならなくなる。また、本当に別れたくてどうしようもない人もいるのだろう。その理由は、いろいろだろうけど、ある面似ていたりする。森昌子が離婚した理由など、特に興味はないけれど、歌にして歌えば、それはそれで面白く聞ける。

 森昌子が歌う「あなたから歩いて」(2012、12、「人生に乾杯」のB面)は、現代の離婚理由の一つを言い当てているのではないかと思う。そして、森昌子自身の離婚理由の一つが、ここにあるのではないかと思うのだ。

歌では、次のようなことを歌う。

「私 話すことは何もなくなった 思い出なら街の灯りほどあるけれど」
 
女ってきついなと思う。でも、これは偽らざる気持ちなのだろう。話したい気持ちがなくなれば、それは愛情が失せてきていることだし、愛情があれば、いくらでも話したいだろう。そして、思い出だけでは、夫婦はいつまでも夫婦でありつづけることができないということなのだろう。マンネリでは、森昌子のような女性は夫婦で有り続けることだ出来ないのだろう。

「私も探しましょう 私の道を」

そして、森昌子は自分の道を探し始めるのだ。あなたはあなたの道を、と言って。

でも、僕はこうした歌が好きだ。こうした歌を聴くことで、自分の過去を振り向き、反省するからなのか。あるいは反省しようと心のどこかにに思うからなのか。

youtubeから
森昌子「あなたから歩いて」 http://youtu.be/nWp27_36SWQ

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2015/1/4

本文

森昌子の学生時代は素晴らしいものだった。そして、学生と歌手の2足のわらじを脱ぎ捨てて、学校を卒業してからの最初のアルバムが「出発の詩集<港の祭り>」(1977、5、18才)だ。シングル”港の祭り”と同じ5月1日に発売されている。
 このアルバムはこれまでのシングルと同じ傾向を引き継いでポピュラー調の音楽だ。今聞いて、いいなと思える歌と、全く聞く気がしない曲の2極に別れる。でも、全体的に新しい感じは受けない。学生時代と同じ傾向の歌だ。アルバムの題名の”出発”というには少し、冒険が乏しい感じがする。学校を卒業して、どういう歌手になろうとするのか、このアルバムからは見えない。

A面
*あじさい坂 http://youtu.be/AfnIgjWgK_0
*赤い絹糸 youtubeになし
*愛しはじめて http://youtu.be/Zf8-WY34Ulk
紺がすり http://youtu.be/0QeMqpIjdgE
夜行列車 http://youtu.be/VBzupeedV3A(この動画を始めてみました。LPの歌を歌うなんて珍しいですね。)

B面
*港の祭り http://youtu.be/6sImRm4vP4E http://youtu.be/qUeSjCTGTWU
http://youtu.be/9WfaD1dxx10(1981) 
*純情詩集 http://youtu.be/Gfd9nShFrEA
*東京なんて大嫌い http://youtu.be/df2oaj1iHdk
恋の別れ歌 http://youtu.be/BBA_BiPOsUA(この動画も始めてみました。レコードでは平凡な歌い方ですが、本人が歌うとそれなりに趣ありますね。20歳を過ぎてからの映像のようですが、なぜ、18歳の時の歌を歌っているのでしょうか)
恋してたずねびと http://youtu.be/ia5TSg9F9DI
初夏恋歌(はつなつこいうた) youtubeになし
*印が今もよく聞く曲だ。

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2014/12/30

本文

昨日、高知から夜行の高速バスで大阪へ帰ってきてからまずしたことは、布団で眠ることだ。夜行バスはつらいね。ずーっと高速道路を運転してくれるのならいいのだが、途中、サービスエリアで車を止めて待機する。この時間が苦痛だった。そして、眠れなかった。布団でも寝つきが悪いのに、なおさらだ。

 そのあと、夕方には、大阪中ノ島のフェスティバルホールでの大阪フィルハーモニ交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」へ行ってきた。久々のクラッシクコンサートだ。フェスティバルホールがどんなものか興味津々だったが、それほど豪勢でも目を見張るほどのものでもなかった。席は3000円だから、3階。舞台全体がよく見えるし、悪くはない。席には驚いた。木製の板張りで、背もたれは直角。クッションは座布団程度。いつも乗りなれている軽4トラックの座席と同じだ。横幅も狭い。映画館の座席程度の快適性を想像していた僕にとってはショックだった。

 指揮者はユベール・スダーンと言う人で、よく知らないが、音楽は力強く、テンポがとても良い演奏だった。すぐに睡魔に襲われるのだが、それと戦いながら、少しだけ演奏の調べに乗れたところもあった。というのは、目を閉じて聞いていると、音がとても心地よくて、自然と背筋が伸びてくるのだ。前かがみになることもなく、逆に音に吸い込まれるように、顔が上を向くのだ。そして、席が直角であることの意味合いがわかった。クラッシックと言うのは背筋を伸ばして聞くものなのだ。

でも、僕はすぐに森昌子が浮かんでくる。多分、森昌子の18,19歳の舞台なら、もっとこれ以上の緊張感があったのではないかと思うのだ。このコンサートもきれいな音色を聞かせてくれ、フロイデ、と言って、生きる喜びのようなものを感じさせてくれた。そして、背筋をピンと伸ばして聞くことができた。

 もし、このコンサートを10回聞き続けられたら、僕はもっと感動するだろう。でも、時たま聞くコンサートではほんとうのところ感動まで行かない。このあと、合唱団が蛍の光を合唱してくれた。やはり、言葉っていいなと思う。言葉を聴けば、それの意味することが明白だ。クラッシックではベートーヴェンが何を考えているかわからない。

森昌子の歌声に感動するのは、それが言葉であり、理解できる日本語だからだろう。森昌子の舞台がどれほどの緊張感が支配し、感動を生んだのか、ほんとのところは舞台を見た人でないとわからないかもしれない。僕はこのコンサートを聞きながら、森昌子の18,19歳の舞台を見たかったな、と思った。

僕が見たいと思った森昌子の舞台
昭和52年1月18日東京浅草国際劇場ライブ「演歌に青春と涙を」
昭和52年8月28日新歌舞伎座特別公演ライブ「涙の熱唱」

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2014/12/11

本文

 森昌子のオリジナルな歌の中で、少しだけ面白い曲がある。LPレコード(1981年4月アルバム「北寒港」)の中の曲なので、あまり聞かないが、歌詞に広がりがあって、一体どうなるのだろうという不安感が広がるが、一番最後の一言、「あなた」で、なあんだで終わってしまう。

でも、僕もふと思ったら、明日に希望を感じなくなったり、生きていく意味合いを感じなくなったり、する時もある。この歌の森昌子のうたい方はとても力強くもあって前向きな感じさえ抱かせる。

youtubeから
森昌子 ないないづくし http://youtu.be/8mPErTI89I0

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2014/12/9

本文

森昌子のステージで気になるのは、自分のヒットした曲を5曲も6曲も続けて歌うことだ。それも1番のみ歌う。こうした自分のヒット曲をメドレーで歌うことは、歌を歌うことの本質を見失わせることにつながるのではないだろうか。

歌というのは、1番から3番まで歌うことで完結する。それを1番だけ歌い、すぐに引き続いて別の歌に変わる。これで歌の意味合いがあるの?歌には、そこに込められた人の感情がある。あるいは人へのメッセージがある。ひとつの曲を作るのに、作詞者は何度呻吟しているだろう。ひとつの言葉、ひとつの助詞にさえ、多くの時間と思考をそこに費やしている。そうした言葉や曲を考えるなら、メドレーで歌を歌えるの?という疑問が沸いてくる。

 森昌子は多分、そうした曲を作った人々への畏敬の念を持っていなかったのかもしれない。あるいは観客へのサービスだと考えて、ヒット曲をメドレーで歌ったのかもしれない。だが、歌をメドレーで歌う習慣がいつの間にか付いて、歌を気軽に、感情を込めずに流して歌えば、それで観客は満足するとでもうぬぼれてしまったのかもしれない。自分の声に自惚れ、1曲1曲が持つ、その重みのようなものに、思いがいたらぬようになってしまったのかもしれない。

結局、そのことが森昌子が歌う歌に、人間の重み、深い感情、味わいを感じさせない理由が潜んでいるのかもしれない。もっと、1曲、1曲を大事に歌って欲しい。軽く流さずに、3番までしっかりと手を抜かず、感情・愛情を含め、一言一句たりとも大事に思って歌って欲しかった。森昌子がステージで歌う、3番までの曲は聴き応えがある。一方で、メドレーは、声が綺麗であったりするが、なにか不満が残る。

一つ一つの曲に真正面を向いて取り組めば、そこにおのずと名曲が生まれて来るのではないだろうか。森昌子に歌に、名曲や歌い継がれる歌がないのも、安易にメドレーで歌を流しすぎた報いではないのだろうか。そのあたりが、ステージの曲を聞いてとても残念に思うことだ。(高知県黒潮町の宿にて)

youtubeから

面影の君・あなたを待って三年三月 http://youtu.be/_6C6KrMFytM

あの丘越えて・潮来の花嫁さん・この世の花 メドレー三曲http://youtu.be/k5hpG07wKvc


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2014/11/23

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時たま人のブログを見て、森昌子の歌にはまってしまったという文章を見る。私もそうなのだが、森昌子の歌のどこにはまり、感動するのかを考えてみた。森昌子の歌は大きく分けて、2段階に別れると思う。10代の歌と20代。そして感動するのは10代の歌だ。

では、10代の歌のどこに感動するのだろう。僕が思うには、歌へのその姿勢だと思う。10代の歌い方はそれほど感情をこめていない。感情をこめていないが、歌へのゆるぎない信頼感、あるいは歌を通じて人びとに感動を与えたいという強い思い、あるいは自分の心の思いを歌を通じて人にぶつけたい気持ち、そうした歌への真摯な、素直な強い気持ちがこちらに伝わってきて、感動するのではないかなっと考えたりする。

歌に感動するというのは、とても珍しいことだ。尾崎豊のアウトロー的な曲も良かったが、森昌子の歌は全体を通じて感動する曲が多い。高石ともやとザ・ナターシャセブンの歌も全体的にいい歌が多いが、ここまでのめりこまない。もしかして、自分の年齢や環境と大いに関係しているのかもしれない。年齢や環境が、森昌子の10代の歌と波長が合うのだ。でも、おかしな話だ。時は40年が過ぎ、歌は10代の少女の幼い恋心を歌っているのに、そのギャップはどうなのだろう、と言う疑問も沸く。

そして、なぜ、今なのかと言う問いもある。それへの解答は、多分インターネットの普及だろうと思う。ネットが普及して、簡単に昔の画像をみ、歌を聞くことができるようになった。私が森昌子の歌を聞き始めたのも、youtubeの動画を見てからだ。youtubeにより、これまで知らなかった森昌子の歌の世界を知ることができるようになったのだ。森昌子と言う歌手は、多くの人に”せんせい”や”越冬つばめ”の印象しか残っていないと思う。10代の歌にこれほどの感動が潜んでいるとは、誰が想像できただろう。

でも、時は過ぎ、歌は過去の10代の歌だ。今更と思う。アグネスや岩崎宏美や山口百恵の10代の歌を聞きたいとは思わない。でも、森昌子の10代の歌は感動する。それは多分、1970年代と言う時代性ではなくて、歌そのものの持つ、時代を超越した、芸術性のようなものではないかなと思う。

そのことは、大正時代の歌や、昭和初期の歌、古賀メロディーにも共通する、今の人の心にも訴えかける普遍的な歌謡曲の芸術性ではないだろうか。絵画や古い建築物、仏像、装飾品、童謡、クラッシック・・・多くのものが、それを作った人の強い思い入れで創造されている。それは即席ではできない、忍耐や強い信念、それと秀でた芸術性が必要ではなかったのだろうか。

森昌子の歌の感動には、彼女自身が持ちえた生まれ持った声に、それと歌への真摯な取り組みが、それと作詞者や作曲者との連携において芸術的な創造性を形作り、時を隔てて今、この格差社会、高齢化社会の差別性の中に身を置く人々に、生きる勇気を与えているのではないだろうか。

森昌子の10代の動画の中で、NHKビッグショーの動画が最もこのことを言いえているように思う。

youtubeから
この胸の幸せを http://youtu.be/hWBoGU8u-e4 (彼女のオリジナル曲の中では最も社会性のある歌だろう)

せんせい http://youtu.be/A8bSuHnO48k
なみだの桟橋 http://youtu.be/u0E-nLiM208 (ただただすごいとしか言いようのない歌い方だ)

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2014/11/9

本文

僕は、森昌子の歌を聞き始めてから、常に疑問を持ったのは、なぜ10代のきれいな歌声が、20代に続かなかったのか、と言う疑問だった。それの一つの解答が、中学・高校時代を通じての忙しすぎるスケジュールに合ったと思う。そのことが、とても大きな問題を含んでいるように思う。

 つまり、超人的な忙しさの中で、学生時代をすごしたため、声を使いすぎたのだ。そのため、舞台で声が出なくなり、それ以降、のどをいたわることが、毎日の生活で大きな比重をしめるようになったことが書いてあった。のどを痛めたのだ。
 それと忙し過ぎることの問題点は、歌手を辞めることが考えることの中心になってしまったことだ。歌を歌う楽しさより、休みなく働かせられることを逃避するため、歌手を辞めることばかり考えていたようだ。これはアメリカから帰国後も、森進一と出会い、結婚するまで、そのような考えを持っていたようだ。
 森昌子のテレビに映し出された動画を見ていると、楽しそうな動画が少ない。10代も20代もそれは共通している。ただ、20歳前後の森昌子は、表情がとても穏やかで、明るくていい表情をしていると思う。でも、それ以外は、演歌を歌っているせいか、なんか暗い。
 結局、そのことが影響しているのか、歌に拡がりがみられない。森昌子自身、孤独な面があるのだろうけど、心の中で歌への信頼感がもてていなかったのかもしれない。歌うことは好きなのだろうけど、歌うことで、自分がどうなっていくのか、歌と自分との関係が明瞭でなかったのだろう。彼女自身も、将来への展望を持てなくて歌っていたと話している。
 
 森昌子が最も全力で歌ったのが、10代後半の”なみだの桟橋”と”涙の連絡船”だろう。この2曲を歌う、森昌子は他の曲には見られない力強さが見られる。この曲を歌う18,19歳が最も自分の感情を爆発させた時期なのかもしれない。歌手であることがいやでいやで仕方なかった。それを爆発させた歌い方が、”なみだの桟橋”ではないかと、僕は思うのだ。彼女の歌やステージで最も緊張感がみなぎるのが、この時期の歌い方だ。

そして、この時期を過ぎ、アメリカから帰れば、心は穏やかになり、落ち着いて歌うことができるようになったのではないか。それと共に、緊張感がなくなり、声も徐々に変わり、21、22才頃になると、平凡な歌声になってしまった。でも、人気が落ちて、少し暇になり、自分を取り戻していく中で、演歌歌手として、再起を図り、ヒットしたのが、”悲しみ本線日本海”。この頃から、また、演歌歌手としていい歌を歌い始める。それが後半期の黄金時代だ。でも、その中でも、常に歌手であることに疑問を抱き、歌手であることを全面的に受け入れていなかったようだ。そうした心の持ちようが、森昌子の歌を通じて、声そのものに悲しみ、つらさ、涙を誘う原因がありそうだ。そして、テレサテンのように、歌の拡がりを欠いた、大衆に受け入れてもらえなかった、原因があるのかもしれない。

youtubeから
昌子のきれいな声

砂時計 http://youtu.be/MTsOwNXomC4
江の島悲歌 http://youtu.be/CjDIDIuh-jM
潮来花嫁さん http://youtu.be/PYntSt8gliI http://youtu.be/nBk1idsGK9w http://youtu.be/LV5Za8MxPig
みずいろの手紙 http://youtu.be/L0FgN0492ZM
小指の思い出 http://youtu.be/g9H3oYK_4FU

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2014/11/8

本文

昨日の夜木曜8時のコンサートではテレサテンの特集をしていたが、その代表曲である”つぐない”や”愛人”を作詩していたのが”荒木とよひさ”という作詞家で、年齢は71歳で、ダンディだが、かなり年老いていると言う感じだ。だが、驚いたことにその奥さんが演歌歌手・神野美伽だった。神野美伽はまだ40代で身体も若々しいし、元気だ。とても対照的な夫婦だったが、荒木とよひさ作詞の”ちょっと いい女”と言う曲をデュエットすると、なかなか息の合った、そう不自然でもない、お似合いのカップルの感じだった。

 荒木とよひさと言う名はどこか記憶にあったが、森昌子の代表作”悲しみ本線日本海”の作詞者だ。その他、森昌子の歌の中で探してみたがそれほど数は多くなく、引退時の”そして今・・・悲しみの終着駅”やその他”10円玉のふるさと”、”涙暦”などだ。
 今日は、荒木とよひさという作詞家の歌を、テレサテンと森昌子の歌から取り上げてみた。そこに何か共通性が読み取れるだろうか。なぜテレサテンの歌が、多くの人の心にいつまでもとどまっているのだろう。ふたりの違いってどこにあるのだろうか。

youtubeから
テレサテン
つぐない(三木たかし作曲) http://youtu.be/H3w68HMsYBI http://youtu.be/ml1d9USyZRo 
                 http://youtu.be/QKfqCEwU-LI http://youtu.be/Ay2iO-rBgQQ 
愛人(三木たかし作曲) http://youtu.be/Km0tMGHIAHU http://youtu.be/P31A0UKxxNE
別れの予感(三木たかし作曲) http://youtu.be/farVa010xLc http://youtu.be/L7fQ4Xm5Yw4
http://youtu.be/YxFPNKLaO10 http://youtu.be/GCGBEYctzAI

森昌子
悲しみ本線日本海(1981,7、浜圭介作曲)http://youtu.be/4u1RxBNRezM http://youtu.be/a856Rvem6U4
そして、今・・・悲しみの終着駅(1986,8、浜圭介作曲) http://youtu.be/Bo4jQGK5IHk 
http://youtu.be/xRckW8V0IFk
涙暦(1986,8、浜圭介作曲) http://youtu.be/QM7vYSFkqHI
10円玉のふるさと(1978,4,あかのたつお作曲) http://youtu.be/3UX9TmWboI4

神野美伽、荒木とよひさ
ちょっと いい女http://youtu.be/lsBZPTYxxqg http://youtu.be/9phmtHI

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2014/11/6

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前回、森昌子の高校卒業後のシングルレコード2枚を取り上げた。今日は、高校卒業後のアルバムのうち、その年の7月発売の「十八歳の演歌」(1977,7)を取り上げたい。


 
このアルバムのうち、”波浮の港”は、10月22日に”僕の葬送曲”と言う題名で取り上げた。今も、この曲が頭の中を占めている。とても魅力的だ。歌の上手さ、音楽的なセンスなら、ソプラノ歌手や倍賞千恵子のほうが上手いだろう。でも、その当時の島の娘さんの悲哀や情緒を自然な感じで、その雰囲気に合わせて歌っていると思うし、きれいな声と素朴な感じが昌子らしくもある。

 このアルバムでは、ほかに”長崎物語”もいい。声と曲がとても合っていると言うのか、高音部の繊細さ、きれいさが際立っている。長崎と言う異人街がまざまざと浮かび上がってくるようだ。
 その他、”お別れ公衆電話”も好きな曲だ。これを聞くと背筋が伸びてくるような印象だった。この曲は、5枚組みCD「うたひとすじ」中の懐メロ編に収録されていて、”・・・お月さんこんばんは、南国土佐をあとにして、お別れ公衆電話、北上夜曲、川は流れる、ああ上の駅・・・”の順番で聞いて、何度も感動したのを覚えている。このころは、北上夜曲や川は流れる、が一番好きな曲だった。

 ”18歳の演歌”では、その他”祇園小唄”や”かえりの港”もいいが、あまり聞かない。昌子の絶頂期にしては、少し寂しい内容のアルバムでもある。将来への展望が開けていなくて、気がのっていなかったのか、とも思う。

youtubeから

side A
長崎物語 http://youtu.be/tK1bU1Q4Gmw
祇園小唄http://youtu.be/TsNVVEL16Js(動画)
お別れ公衆電話 http://youtu.be/Ckb6DCQOvxY
野崎小唄 http://youtu.be/Eplc1MTveJo 
かえりの港 http://youtu.be/Jl8sfjjbqKk
東京の花売り娘 http://youtu.be/hOp7JN_xIC8 

side B
下田夜曲 なし
波浮の港 なし http://youtu.be/NpAn5mxRxEE(倍賞千恵子) http://youtu.be/CUcFazKVbMM(小川明子)
君待てども http://youtu.be/jINZXMM-1xg
煙草屋の娘 http://youtu.be/tQ_TSZxjki8
リラの花咲く頃 http://youtu.be/smIEEJxZvGQ http://youtu.be/M1YrBZ__T8k
南国土佐を後にして http://youtu.be/z33ZMeAgrjw  http://youtu.be/Io0pI-xJM0o(動画)
  http://youtu.be/SOlQ5Bd6rRY(1983、動画)


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