音楽・・・森昌子

] 2013/9/4 とても内気な性格の人、森昌子
2013/9/1 10代の演歌ー機械のような声の森昌子
2013/8/18 とてもきれいな曲 森昌子「あじさい坂」
2013/8/12 森昌子についてのとりとめもない話
2013/8/4
2013/7/29
2013/7/17 森昌子、”ごめんね”という愛の形
2013/7/7 私が見た歌手森昌子の演歌を歌うまで
2013/7/6
2013/7/5 森昌子の初期の歌を年代順に味わう
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2013/9/4

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walkmanで通勤途中、森昌子の歌を聞いていると、彼女の性格が浮かび出てくる。彼女ははっきり言って、とても内気な人だ。18〜22歳の歌では、彼女は常に自分の気持ちを相手に話しかけるのではなしに、自分に話しかけている。失恋でさびしい気持ちを相手や友達にではなくて、常に自分に向かって歌っている。多分、人見知りなのだろう。
 作詞者は失恋したつらさを、振った相手に投げつけるつもりで詩を書いているのに、彼女は相手に向かって、言葉をよう投げつけないで、自分に向かって歌っている。作詞者の意図と離れている。実際の森昌子って、人に向かって自分の気持ちなどを、よう言わないのだろう。内気で弱々しく、常に下を向いている人ではないか。
 結局、それが「旅立つ彼」に見られるように、歌として盛り上がりにかけた、陳腐な歌になった原因かもしれない。自分の性格が、歌全体を内向きな物にしている。彼女は自分自身のことはうまく表現できるが、それが相手とかかわり、協力し合って何かをなすようなことが下手で、結局それが孤独で、社会性のない歌に結びついていいる感じがする。

でも、逆に、こうした内向きな歌だからこそ、あるいは社会性がないから、私は飽きずにずーと聞き続けているのかもしれない。


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2013/9/1

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森昌子の歌の魅力って何だろう。彼女は国民的アイドルでありながら、”先生”を歌う歌手、あるいは演歌歌手としてのきれいな声の持ち主としてしか、認識されておらず、その隠された歌のすばらしさ、声のすばらしさを、ほとんどの国民が知らない。彼女の歌の領域がどれほど広大で、奥深いか。誰が、森昌子に、10代でこれほどのすばらしいLPレコードが出版されていたことを知っていただろう。誰が、演歌をこんな声で歌っていることを知っているだろう。

 僕が初めて森昌子の声に触れたのは、2年余り前、”川は流れる”と”北上夜曲”だ。彼女が歌う、”川は流れる”は彼女の歌い方を端的に表わしている。それは坦々と歌う歌い方、情感をこめない歌い方。こうも言えるだろう。楽器のような歌い方。機械のような歌い方。それは演歌であって、演歌でない。なぜなら、そこには16歳の少女には、そういう人の世の中が実感として理解していないから。

 でも、不思議なのだ。彼女の場合、情感ではなしに、声で歌うのだ。ヴァイオリンが奏でるように。その声は、機械に近いかもしれない。人の声ではなくて、機械のような声。機械がガナリ立てるような声。その機械音が、これまでの人の声にはない心を揺り動かす声に聞こえるのだ。もしかして、LPレコードの製作技術なのかもしれない。でも、これ以前にも、これ以降、いままでこういう声は聞いたことがない。
 時折、きれいな声の持ち主が、テレビ番組に出ているが、そういうきれいさではない。ガナリ立てるきれいさだ。
でも、この声は続かない。19歳前後に消え去ってしまう。幻の歌声なのだ。今歌っている森昌子は、この声が消え去った後の、森昌子だ。

 私は、第二、第三の森昌子が出て欲しいと思う。機械のような声を出せる人。情感ではなしに、声で歌える人。そういう人が出てきて欲しい、と森昌子の10代の演歌を聴いていて思う。

youtubeから
テレビ? ”あの丘越えて、潮来の花嫁さん、この世の花” http://youtu.be/k5hpG07wKvc

LPレコード「17歳の演歌」より”哀愁海峡” http://youtu.be/A6U2L3SfvTY
ステージ?”哀愁海峡” http://youtu.be/S02DJNzd2Do

LPレコード「17歳の演歌」より”つきよりの使者” http://youtu.be/hFSLdumgzaQ

LPレコード「17歳の演歌」より?”お月さんこんばんは” http://youtu.be/d2RexE39UZE

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2013/8/18

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森昌子の歌は、幅が広いから人それぞれに好きな曲があるだろうし、又歌う年齢によっても趣が違うので、どの歌が最高に良いとはいえない。そしてそのすばらしいと思う曲が、自分自身の時間の経過とともにころころ変わってくるのだ。昌子の曲は30数年も前の曲でありながら、今も若々しく息づいているのだ。そういう中で、今の私がwalkmanを聞く中で、最もすばらしいと思う曲が「あじさい坂」だ。この曲を歌う昌子の声は、とてもきれいだ。多分昌子の最高の声だろう。そして歌詞がとてもいい。曲もランダムに聴いて、そのイントロがかかるだけで、気持ちがときめく。2番の”遠い町にはいけません、二度と会いません ・・・”失恋の歌でありながら、歌い手の強い意志が感じられる。こういう曲が好きだ。悲しくてもつらくても、自分はこうありたい、と言う。そして、最後は明るくなろうと決意している。曲全体がたんたんとしていて、その中で優しく語られる。

 彼女の18,19歳は人生に真剣に悩み、社会を見つめた年頃だ。それが歌にも反映されているといえるのではないか。

youtubeから
あじさい坂 http://youtu.be/AfnIgjWgK_0

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2013/8/12

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森昌子のファーンが増えている感じがしますね。オークションで20代後半のLPの売出しが少なくてなかなか手に入らないし、youtubeでも再生回数が、1万回を超える曲が目立って多いし、私の親戚にも森昌子ファーンがいるし、そのよさが認められつつあるのでしょうか。これも,youtubeのなせるわざなのでしょうか。多分、動画がなければ、森昌子って、”先生”のいがぐり頭のイメージから抜けだせなかったでしょう。私も動画を見るまで先生のイメージそのままでしたから。

20代後半の演歌のLPが手に入らないので、今はもっぱら、高校卒業後の18〜22才のLPを中心に聞いています。車の中のオーディオや家ではPC、外ではwalkmanを使って聞いていますが、音響はwalkmanが一番すばらしく感じますね。その中にひたりきることが出来ますね 。又、この年代の曲は何度聴いても飽きずに聞けますね。以前にも、このブログでこの時代の曲を、”青春時代の曲”として取り上げたのですが、まさしく昌子の悩み多き青春時代そのものと言う感じです。でも、不思議なのは、この時代の曲に、レコードのA面に私の好きな曲が、あるいは多くの人に愛されるような曲がほとんどないと言う現実です。

涙の桟橋以降、19〜21歳の昌子が発売したA面(注*)が凡作ぞろいだということです。これは言い過ぎかもしれませんが、”彼岸花”以外、あまり聞きたいと思わない曲ばかりです。B面も一部を除いて同様です。それに対して、LPは昌子の心情に応じた革新的な歌を歌っています。それが、LP”すぐに消えそうな愛なら”だと思うのです。この時代、阿久悠が作詞したオリジナルLP”昌子哀愁”がありますが、聞いてみたいと思う曲がありませんね。色々手を変え品を変え,努力している節はうかがえるのですが、どれも支離滅裂、一つのまとまった聞きやすい曲には仕上がっていません。その他、カバー曲を集めた、19歳、20歳、21歳の演歌と言うLPもありますが、これらは聞いていないのでわかりませんが、あまり期待は出来ません。

注*19〜21歳のA面:春の岬、父娘草、津和野ひとり、彼岸花、晴れたり降ったり曇ったり、夕子の四季、翔んでけ青春、銀のライター

こう見てくると、あまりに20,21歳の昌子が悪すぎますね。なぜ、こうもこの時代、昌子の歌はできばえが悪いのか。昌子はテレビドラマや映画に熱中しすぎたのでしょうか。このできばえの悪さが、レコード会社の移籍の直接の原因でしょうか。作詞家、阿久悠と縁を切ったのは、本当に正解でした。個人的にはよく知りませんが、顔を見る限りにおいて、とても好きにはなれませんね。昌子の歌全体に、歌詞がよくないという印象を持つのは私だけだとは思いません。色々な人の歌を歌うべきでしょう。

なぜ、こういうとりとめもないことを書くのかと言うと、それはレコード会社を移籍して、22歳ごろから又いい歌を歌いだしたかからです。極端な話、レコード会社移籍が無かったら、森昌子の円熟した演歌は無かったかもしれませんね。それほど、20,21歳の出来は悪いと思うのです。

青春を彩る昌子のすばらしいと思うLPレコード

youtubeから
LPレコード「出発の詩集 港のまつり」(1977、5月、18歳)
愛しはじめて http://youtu.be/Zf8-WY34Ulk 
あじさい坂 http://youtu.be/AfnIgjWgK_0
純情詩集 http://youtu.be/NP_mK4BdmrQ
赤い絹糸 http://youtu.be/5CKsVUL9sbc
東京なんて大嫌い http://youtu.be/7R36Lze9dRw
恋して尋ね人 http://youtu.be/XuMlGzn724Y
港のまつりhttp://youtu.be/QFm6C8wYpPs

LPレコード「すぐに消えそうな愛なら」(1978年、4月、19歳)
初夏の雨の向こうに http://youtu.be/Qik9MyxOlsc
今日から一人で暮らします http://youtu.be/_lc9yNvZpJw
花まつりの頃 http://youtu.be/rN8P3os3tDg
すぐに消えそうな愛なら http://youtu.be/LlVi6nQM0YM 
母に手紙を書くときは http://youtu.be/vW_F5JzRAHc (ライブ版 http://youtu.be/2iNbFlHEm8c

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2013/8/4

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 女って言う生き物は、10代は男とそう違わないのに、20代になるととても複雑。でも、女って根本的には素直な感じがする。森昌子の歌を聴いていてそう思う。
 僕は前に、「悲しみ本線日本海」がヒットした理由を書きましたが、もっと根本的なことを見過ごしていたのかなとも思います。それは、森昌子ファーンが、ずーとヒットを待ち望んでいたのではないかということ。10代でこれだけの人気を博した人が、19〜21歳とこれといって目立ってヒットした曲がない、そのいらいらと言うよなもの。山口百恵のブレイクや石川さゆり、八代亜紀、都はるみのヒットなど、歌謡曲や演歌の全盛時代。その時代にあって、泣かず飛ばずの状態ではなかったのでしょうか。レコード会社を変わって、いい歌を歌いながらも、なぜかヒットしない。そういう憤懣がファーンの中に溜まっていてもおかしくないでしょう。
 「信濃路梓川」は遠藤実が作曲した、いい曲なのにブレイクしない。その後の「波止場通りなみだ町」も「北寒港」も、なぜかヒットしない。この2曲は、歌詞とか歌の雰囲気が昌子に合っていませんね。港や涙や岬や船が多すぎます。21、22才の昌子が歌う歌ではありません。そして次に発表されたのが、「悲しみ本線日本海」。これは昌子にイメージをダブらせることができる歌です。また、日本海のイメージを抱きやすい歌です。だから、本質的にはそれほど心を打つ歌ではなかったけれど、ファーンのエネルギーが爆発して、それがヒットにつながったのではと想像するのです。
 果たして、ここで一つの疑問が沸きます。一体、昌子のファーンてどういう階層なのだろうかと。先生などを支持した人は、若者だろう。でも、若者が演歌など聞くのかなと。17〜18歳のきれいな声で歌っていた昌子と、演歌を歌う昌子とどう整合性があるのだろう。今の私でも悩む。昌子にはもっと違う歌を歌ってほしいと。
 でも、このヒットがなければ、これ以降の昌子の演歌は無かったような感じがする。泣かず飛ばずでいつの間にか消え去った歌手。そういう評価が与えられたかもしれない。

このヒットのあと、「鴎歌」、「立待岬」とあいも変わらず、岬や鴎や港町が幅を利かす。「鴎歌」はとてもいい曲なのに、歌に社会性に乏しいから、どこか偏りが見られる。美空ひばりの歌は、すべて社会性がある。昌子の歌は、個人的な歌で、普遍性に乏しい。だから、心に訴えない。でも、森昌子の心は日本海以降、演歌にのめりこんでいっている感じがする。気持ちが入ってきたのだ。そして、越冬つばめ以降、昌子の演歌の黄金期のようなものだろう。越冬つばめ以降、歌が港や岬から、昌子の心情に移って来た。「ほお紅」や「涙雪」は都会的なセンスを含んだ、いい歌だ。昌子もやっと、港町の田舎っぺから都会のお嬢さんへ進歩したのかな。これ以降、『恋は女の命の華よ」や「愛傷歌」、『弧愁人」など、都会的な女性の歌を歌っている。そして声もきれいになってきた。だが、ここで、もう森昌子の黄金期も結婚で終止符を打つのだろう。
 彼女は19〜21歳の過渡期を経て、自分の意思でもって、演歌の世界に入り込んだのだろう。そして、歌う表情も自分で作り上げた表情ではないのだろうか。
 僕も「北寒港」以降の、LPレコードほとんど持っていないし、聞いてもいないので、本当のところはわかりません。でも、概観したら、こういう考えが頭に浮かんだのです。その重要な出来事が、「悲しみ本線日本海」のヒットのように思うのです。


youtubeから
涙雪 http://youtu.be/uxwELFtuJGg  http://youtu.be/pl5LkNazcCg
鴎歌 http://youtu.be/rDKshUrKBWY 

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2013/7/29

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今日も福井に来ています。大雨警報が出て、仕事は中止。ビジネスホテルに戻って、パソコンを開いて、森昌子の歌を聞いています。ルソーの「社会契約論」も読みたいのですが、どうしてもブログを書いたり、歌を聞いたりするほうが楽なので、そちらの方に流れてしまいます。

 今日も、車の中でLPレコードデビュー7周年記念リサイタル”ひとり舞台”中の組曲「ほたる子」を聞きました。やはり感動しますね。その中でも、”恋唄”はいいですね。昌子が歌うからかもしれませんが、恋人ができた嬉しさ、不安を気持ちを込めて表現しています。その他の歌も、ほんと歌詞と声と曲がマッチしてます。この作詞家が杉紀彦という人。彼はこれまでも、昌子の舞台でのエンディングテーマなど作って、舞台の最終場面を盛り上げてきました。例えば、国際劇場での”思い出をください”、新歌舞伎座特別講演ライブ涙の熱唱の”この胸の幸せを”この7周年記念リサイタルでも”組曲”のほか、”いつまでも愛していたい”も作詞しています。レコードのA面では、”涙の桟橋”や”春の岬”、”ため息橋がこの人の作詞。
 以前僕は、作詞家「阿久悠」を変態おじさんとけなしたのですが、果たして杉紀彦という人はどういう人なんでしょうか。LPレコード「北風は暖かい〜今、故郷は…〜」はすべてこの人の作詞ですね。僕はこのLPを持っていないのですが、”花追いびと”や”ふるさと日和”などを聞いていると、いい感じの人だなとは思います。
 歌手というのは、自分一人で出来る仕事ではないのですね。歌手の気持ちを理解した上で作詞するもの、そして歌手の声域や声の特徴を理解した上で曲にまとめるもの、それをアレンジするもの。これらの協力者があって、初めて歌手の気持ちにあった歌が出来上がるのですね。杉紀彦と市川昭介や服部克久という作曲家が協力して、森昌子の良さの一面を引き出してきたのですね。

組曲より”生きてださい愛してください” http://youtu.be/QcIoX_C45S0

思い出をください http://youtu.be/xPAbm6vwenA
この胸の幸せを http://youtu.be/hWBoGU8u-e4
いつまでも愛していたい http://youtu.be/FCSflvikZmA

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2013/7/17

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今日は福井のビジネスホテルに来ています。幅が1.6mとダブルベッド並みのベッドがあって、寝るのだけは気持ちのいい部屋です。
 今日も4時間ぐらい運転していて、シングルコレクションABのB面ばかりを聞いていました。僕は前々からB面は好きでしたが、やはりいいですね。森昌子の内面に近い曲が散りばめられています。A面だと一般受けするような、もう一つ心に響かない曲も見受けられるのですが、B面ばかり流して聞くと(これはパソコンでB面ばかり集めたのですが)、昌子の心境に近く、とても流れがスムーズですべての曲が気持ちよく聞けるのです。

例えばこの曲の流れが好きです。
冬の部屋、春日和、夕焼けの空、雨の港町、翼、
この5曲は秀逸なのですが、特に僕は翼を聞くと、胸にこみ上げてくるものがリます。
(翼:http://youtu.be/yPZ727_c6fI
”若い命 大切に生きていたい 遠い道のりも あなたがいれば・・・”
多分、森昌子の気持ちがこの歌に強く入っているのでしょうね。聞くと感動しますね。A面は”北寒港”。これは曲はいいのでしょうが、歌詞が今ひとつ心に訴えかけません。

同様に、”古都の春”も感動しますね。これも、聞くと彼女の父との関係が想像されます。昌子自身、気持ちがのり移ったような歌い方ですね。
(古都の春:http://youtu.be/jpd_udrrt-8

シングルコレクションBの最後の方を聞くと、もう成熟した、熟れた女を感じさせますね。
”雁来紅”の ”待ちわびて、待ちわびて、私は女”というフレーズ。男としてどう振舞ったらいいのでしょう。
女は、恋愛において自分が生物の女であるということをとても自覚しているのでしょうか。男はここまで、自分を男としては自覚しないでしょう。でも、この歌には、森昌子の気持ちがとても込められていると思います。引退間際の曲ではなくて、もっと、早い時期に、こういう曲を歌って欲しかったですね。

そして極めつけは、”涙歴”(http://youtu.be/lkQa-CJx9eU
この曲の”ごめんね”という言葉。この言葉には、何かものすごい深い意味合いがこめられている。森昌子がずーと思い描いいてた”愛の形”。それを”ごめんね”という相手方への思いやりの言葉で表したのでしょうか。あるいはもっと違う何かのでしょうか。でも、昌子の強い気持ちを感じる言葉でもあります。

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2013/7/7

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歌手・森昌子についてブログでたくさんのことを書いてきた。それは最初は自分の感動したことを書いてきた。それが最近は、感動ではなくて疑問への追及が主体のようになってきた。その中で、新しい発見や感動も書いてきた。書く事で、考えが深まったり新しいことが見出される。僕はこの年になっても、森昌子の歌に出会ってよかったと思っている。本当なら、若いときに出会いたかった。でもそれはないものねだりだ。でも、十代の歌に出会えてよかったと思う。また、森昌子の心に少しでも触れられたかなと思う。まだまだ彼女の心は、遠いところにあるかもしれないが、ブログを書く事で、少しは接近できたかもしれない。
 人間の心に触れること。それは小説の世界かも知れないが、音楽の世界でも触れることが出来る。それは昌子の隠された真情と言うものだ。川は流れる、は色々な感情を含んだ歌だが、森昌子はそれを感情ではなくて、声で歌い上げている。彼女の歌の、声の響きには、深い感情のようなものが秘められている。僕は、最初の頃、そうした彼女のちょっとした声の震えに感動したのだ。あるいは、北上夜曲を歌う、その声のやさしさ。声そのものに、人それぞれの表情が含まれているのだ。そうしたことを、森昌子の歌で初めて知った。

 僕は音楽のことは全然分かりません。だから、彼女の声をうまく分析できません。声には感情が含まれています。しかし、声そのものに、100人100様な特徴があるのかもしれません。だから、同じ感情を歌ったとしても、それが人の耳に聞こえるときは、又、違った音色になるのかもしれません。同じ曲を、ヴァイオリンやピアノ、ギター、トランペットで演奏した時のように。10代のときは、バイオリンに近いかもしれません。20代は、考えても思い浮びません。彼女の10代の心は好きです。でも、20代の彼女の心は?そう、色々な思いに揺さぶられています。色々な感情が入り込んできて、一言では言い表せないでしょう。
10代に持っていた感情が破綻しかかっていたのです。それは女性としての成長であり、子どもを生み育てる母性のなせる仕業かもしれません。ルソーのような思想家なら、あるとき目覚めた思想は死ぬまで持ち続けたでしょうが、昌子は20歳以降変遷を始めます。それは物理的に、声が出にくくなってきたということも、大きく関係しているかもしれません。僕はこのことはとても残念です。物理的なことは、人間の行為によって直せるのですから。周囲の人が昌子の声を大事にして欲しかったなと思います。

 それと精神的な面。元々、歌手になることに、彼女も家族も積極的でなかったということ。これも、彼女の歌手生活に大きく関係している感じがします。

そして、演歌。残念ながら10代の演歌は、すばらしいのですが、それほどオリジナル性は無いと思うのです。それでは何処へ向かえば良いと言うのでしょうか。そのことは、10代のステージでも問題になっていました。彼女の声をどう生かすのか。

 結局、それは見つからなかったように思います。POP、演歌、民謡、バラード・・・のどを痛めなかったら、又違った道があったのかもしれませんが、10代の時のようなのどの使い方は出来なくなって、演歌の道を歩んだのではないでしょうか。それが、20代半ばから、引退するまで貫く陰鬱な表情の素因ではないでしょうか。心から望んで演歌を歌っていたのではないと思います。恋愛し、引退し、家庭を持ち、子どもを生み育てることが、彼女には何よりも明るい希望に映っていたと思います。

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2013/7/6

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 LPレコード「北寒港」を最近のオークションで手に入れた。そして今日聞いてみた。印象はよくない。曲に色鮮やかな色彩が浮かばない。モノクロのようなイメージだ。歌詞があいも変わらず同じ言葉の繰り返しで、うんざりしてくる。森昌子の歌い方も、なんだか単調だ。演歌と言うのは、声の出し方や音域と言うのが歌謡曲とはだいぶ違うのでしょうかね。音楽のことはよく分かりませんが、僕の琴線に触れる曲は少ないです。その中で、”ひとり相手”が一番心に入ってきそう。”赤い糸”は前々から知っているので、この曲は好きです。他に”雨の再会橋”や”三日月恋情”ぐらいかな。ただし、シングルA、B面の曲は省いています。

それと触れなくてはいけないのが、表紙と裏面の写真。やはり、この時期の森昌子を端的に表わしているのでは無いでしょうか。表紙の伏目がちな、気の重そうな顔。少し自信をなくしているのかな。まだまだ、自分が歌うオリジナルな演歌に、自信が無くて悩んでいるのかな。裏面の写真は、もっとひどいですね。砂利で、未舗装で、重機のわだちが残り、しかもセメント?で白く濁った水溜りがある道で、舞台衣装のようなきれいな服を着て何か遠くを見据えているのですから。こんな造成地のようなところで、何を見ているのでしょうか。これまでの自分とは違った、新たな自分を発見しようとするまなざしなのでしょうか、それとも、これから演歌の世界で生きることの不安を表わしているのでしょうか。
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僕は、森昌子の後期の演歌を聴くたび、悲しくつらくなります。それは歌っている曲にでは無くて、昌子自身のあり方のようなものに悲しさを感じるのです。一つ一つの曲はいいのだけれど、なにか喜んで歌っているとは思えないつらさのようなもの。歌うことが本当の心からではないようなもの。

それは、僕が森昌子の十代の曲が好きだからかもしれませんし、演歌の歌詞が好きでないからかもしれません。昌子の心は、もう少し、後期の曲を聞きながら、推測していきたいと思います。

僕が上げた4曲をyoutubeから

ひとり相手  http://youtu.be/_YyWeKk2AbQ
赤い糸 http://youtu.be/8usc2Ohz3fw
雨の再会橋 http://youtu.be/RZqIogy6erM
三日月恋情 http://youtu.be/_qEECBMoFCc

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2013/7/5

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 テレビ大阪で今日の午後7時から名曲歌謡ベストと言う番組があって、1960,70年代のベスト3を取り上げていた。少し見ていたが、残念ながら、森昌子はべスト3には入っていないようでした。

 僕が思うには、彼女の歌は、1曲だけ聞くのではなしに、その年代の曲を10曲程度聞くと、その良さが出てくるように思います。今日も、僕は和歌山の串本から大阪へ帰る途中、5時間ぐらいずーと彼女の歌を聞いていました。色々聞いた中で、だんだん聞き飽きてきて、気分を変えたいと思う時、やはり、僕はシングルコレクション51のディスク1に帰るのです。ディスク1は森昌子の”先生”から”どんぐりっこ”まで初期シングルのA面18曲を集めています。

 このディスク1には2〜3曲を除いて、とてもすばらしい曲が並んでいます。年代順ですが、これだけすばらしい曲を立て続けに歌ったのですから、多くの人をとりこにしたのもうなずけます。このうち、”お母さん”は、明るくて元気がよくて、初期の作品にはなくてはならないものだと思います。”下町の青い空””北風の朝””春の目覚め”も明るくてすがすがしくていい曲ですね。
 ”面影の君”は昌子らしい特徴的な声で歌っていて、なくてはならない曲です。”あなたを待って三年三月”もいい。”あのひとの船行っちゃった”も、声に特徴的な、昌子らしさを最も表わしている曲だと思います。
 次にくるのが”おばさん”。これは少し異色です。でも、この声のすばらしいこと。そして、曲、歌詞、声の複合的な要素で1番良いと思えるのが、”夕笛の丘”。

 これらの曲は、何も恣意的に並べ替えたのではなくて、シングルレコードの発売順なのですから、そこに非凡な才能を見ない人はいないでしょう。

そこで、ディスク1の歌を取り上げました。18曲は多いので、11曲選びました。初期の歌を年代順に聴いて、その良さを味わって見てはいかがでしょうか。

youtubeから
1、夕顔の雨 http://youtu.be/FEEHTtzBdow
2、記念樹 http://youtu.be/an8N0bVqBps
3、下町の青い空 http://youtu.be/G-BIFicAIz8
4、おかあさん http://youtu.be/YLTRd5-2Re4
5、北風の朝 http://youtu.be/u6YBU0HZtJE
6、春の目覚め http://youtu.be/3yXG4I0cA28
7、面影の君 http://youtu.be/PSU4c19NJGk
8、あなたを待って三年三月 http://youtu.be/CdWU9CwhmU0
9、あのひとの船行っちゃった http://youtu.be/Up-Y4pIG3Rw
10、おばさん http://youtu.be/WpxIPZGQo5I
11、夕笛の丘 http://youtu.be/A3P-a2krlZE

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