音楽・・・森昌子

2013/5/18 LPレコード”そしてひとり”(1980,11,22歳)を聞いて
2013/5/14 森昌子20代の心の軌跡を推測する
2013/5/12 森昌子以上に日本の心を歌う台湾歌手たち
2013/5/9 阿久悠作詞”銀のライター”批判(森昌子)
2013/5/8 きれいな曲だが、わけのわからない歌詞を含む『夕子の四季』(森昌子)
2013/5/6 森昌子「彼岸花」の歌詞への疑問
2013/5/5
2013/5/2
2013/4/28
2013/4/26 森昌子、LPレコード「旅立ち」から
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2013/5/18

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一体、森昌子の歌はどこへ流れていこうとしているのか。当てのない航海を続けているようだ。歌手と言うのは、このようなものなのだろうか。常に悩んでいるのだろうか。聞いていて、私もよく分からない。色々な作詞家・作曲家の歌を歌いながら、森昌子と言う歌手は、自分をどう表現しようとしているのだろう。

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 森昌子のLPレコード「そしてひとり」(1980,11,22歳、キャニオンレコード)を聞いた感想です。このLPレコードは移籍後、ためいき橋、故郷ごころ、信濃路梓川、波止場どおりなみだ町と続いたシングルレコードの、最も新しい波止場どおりなみだ町をメインに据えた、LPレコードです。

このLPレコードの1曲1曲の感想を書きました。又,youtubeの動画も載せました。
1、波止場通りなみだ町(少し退廃的で、気が重くなる、昌子に合っているのかどうか)
(レコード、http://youtu.be/2dBtZL_abnI) (動画、http://youtu.be/OJ20CXpPE0k、とても色っぽいですね)

2、雨の港町(単純なメロディの繰り返しだが、軽快。少し現実離れしていて、イメージがわかない。町の働く人の姿を描いて欲しい)
(レコード http://youtu.be/hHXpfw-m1T0

3、信濃路梓川(とてもきれいな曲、歌詞もいい。昌子のイメージや歌い方と合っている)
(この動画はすばらしい http://youtu.be/ypO9eZV9ySA
(とても可愛い動画 http://youtu.be/W49SsxNFVQU

4、夕焼けの空(とてもいい曲、特に3番がいい。こういう歌を歌ってほしい)
(レコード http://youtu.be/Jfeyy3xL4iQ

5、父と娘(まあまな曲)
youtubeになし。

6、雨の糸(ぼそぼそ話すような歌い方がとても新鮮で、聞き耳を立ててしまう)
(レコード http://youtu.be/apJ1ZKB5K6g

7、白鷺(歌詞がよく似た風景で、陳腐、新鮮さがない、失恋の曲は昌子には似合わないと思う)
(レコード http://youtu.be/mdZWO0sD5yU

8、わかれの季節(昌子の声そのものに、10代のときのような震えがない。単調な声。曲は面白い)
(レコード http://youtu.be/XR9yGxY1jUg

9、明日葉の歌(あしたば、ってどういう意味?歌全体は前向きで、軽快でいい)
(レコード http://youtu.be/2-ChxOEwlBY

10、愛の白夜(大人の落ち着いた雰囲気の歌、でも、情景が浮かばない。昌子らしさが感じられない)
(レコード http://youtu.be/iUMw-vfWrZY

youtube動画を見ると、感想も少し変わってくる。それは21歳前後の森昌子が、とても女らしくきれいになっていると言うこと。こんなきれいな女性が、どろっとした歌を歌うのですから、演歌ファーンにはたまらないかもしれません。でも、十代の歌が好きな私にとって、少し違うな、と感じるのです。


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2013/5/14

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私は、今日から再び仕事がないので、暇を持て遊び気味です。それで再び森昌子のことを書きます。仕事が入れば、仕事に集中するつもりですが、今は書きだめの時期かなと思って、好き勝手なことを書きます。

 今日のNHKの歌番組を見ていても、少しも楽しくない。ほとんど聞かない。出てくる人に魅力が乏しい。それに引き換え、youtubeでの台湾のTV番組らしき動画では、観客も歌手もみんな楽しんでいる。歌番組と言うのは、こういうものではないのか、と思う。歌手もうまいし、若い。色々な曲を歌い、多く人が動画を見ている。

でも、日本のTVの歌番組と言うのは、1970〜90年代の動画を放送するか、年配あるいは中年女性の演歌歌手ばかりが出演する。若い人も出るが、歌が下手でほとんど聞く気がしない。

どうしてなのだろう。森昌子の歌にも、何か共通するところがあるように思う。20代の森昌子は歌が上手だし、若くてきれい。でも、歌そのものに魅力に乏しい。森昌子の場合、2つのことを分けて考えなければならない。そのひとつは、十代ではとても魅力的な歌声を持っていたのに、それが、20歳過ぎから急激に衰え、そしてその後、歌い方が滑らかな優しいきれいな声に変わったこと。それともう一つ、森昌子自身が、動画で見る限り、おとなしくやさしくとても女性的に変身していったこと。それは言い方を換えれば、涙が似合う、女々しい女になっていったと言うこと。

一つ目の歌声に関しては、多分10代でのどを使いすぎたことからくる、疲労がのどに蓄積し、十代のようなきれいな、微妙な声が出なくなったのだろう。もしそうなら、これほど残念なことはない。休み無く歌わされ、TVに出演され、銭もうけの道具にされて、声をつぶしたと言うのでは、それこそ日本の大きな財産を失ったことになる。

2つ目の、おとなしく、やさしい、きれいな女性に変身して言ったことについては、多分、演歌を歌うことによる、自分自身のマインドコントロールみたいなものではないだろうか。

僕は、不思議に思うのだが、十代では片思いの曲を歌っていて、それは彼女自身の身体からにじみ出る心の声とも一致して、とても生き生きしていたと思う。その後、片思いを実らせることも無く、失恋の世界を歌う。彼女に失恋は似合うのだろうか。なぜ、楽しい、前向きな歌が無かったのか。それはプロダクションの戦略か。また、港町とか船とか連絡船とか、同じよな物ばかり、陳腐な言葉の繰り返し。まだ、変態気味の阿久悠のほうがましなぐらいだ。でも、どうして、日本の作詞家はこうまで同じ風景の言葉を繰り返すのか。石川さゆりの津軽海峡冬景色のようなヒット作を狙ったのか。でも、情けない。曲は全てとても秀逸と思える曲が多いのに、涙とか、悲しいとか、岬とか港とか、連絡船とか、日本海とか、もっと明るい歌を歌えないのかと言いたい。人間、つらいときもあります。そういう時は、悲しい歌もあってもいいかもしれないが、そんな時以外は人間は前向きに生きようとしているのです。暗い曲ばかりでは、聞く気にもなれません。

森昌子はやさしく、純粋でまじめな人だから、こうした歌に自分を合わせていったのかもしれません。声も23歳ぐらいから、きれいな声が出るようになって、歌にも前向きになってきたのかもしれません。それが、ヒット曲に繋がったのかもしれませんね。

これらことは、今の思いつきで書いていることです。ですから、何の根拠もありません。今後、20代の歌を聴きながら、少しづつ検証するつもりですが、それを論理的に証明することなど出来ません。それらは森昌子の心が知っていることなのです。ただ、森昌子の心だといっても、彼女自身、当時の自分の心のあり方をどこまで自覚していたかは、彼女自身でも分からないかもしれません。ですから、本当のところ、検証など出来ないでしょう。でも、何かのきっかけで、森昌子の心の奇跡が明らかにされた時、僕の推測が当たっているかもしれませんよ。


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2013/5/12

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20代の森昌子の演歌を聴こうと思ったら、台湾で歌われている森昌子の曲を思い出した。”弧愁人”や”お月さんこんばんは”、それに”北寒港”と言う曲を元にした”非常女”だ。オリジナル曲を歌う森昌子以上に、今の台湾の人たちは、歌を理解して、しかも気持ちよく歌っている。演歌を昇華した台湾風の歌謡曲だ。それは10代の森昌子の演歌、あるいはそれ以前の古い歌謡曲に通じる、心地よさ、楽しさ、清らかさのようなものだ。20代の森昌子も沈痛な面持ちで歌うようだが、そういうのは必要ない。もっとあっさりと気持ちよく楽しく歌えばいいのだ。丁度、十代の森昌子や台湾の歌手たちのように。

森昌子”お月さんこんばんは” http://youtu.be/Hh351kp9Z_k
・雅?”お月さんこんばんは”http://www.youtube.com/watch?v=Eytrj5Ri4RI&feature
=share&list=PL438B55E5F22D9753

     日本古曲”車頂水姑娘+長崎蝴蝶姑娘”(日本人にとってとても懐かしい曲)http://youtu.be/Kx0G-63BaM0
      ”故郷的月”http://youtu.be/MmX6S73WRQM

森昌子”大阪しぐれ” http://youtu.be/r_d90LLVzpE
・雅?-夜雨思情+博多夜船 .http://www.youtube.com/watch?v=sDoHCxHGBUU&feature
=share&list=PL438B55E5F22D9753
 
”氷雨” http://youtu.be/_tg255DGZAw
・雅?-無?的愛(演唱) .http://www.youtube.com/watch?v=YoYgJiY66uw&feature
=share&list=PL438B55E5F22D9753


森昌子”北寒港” http://youtu.be/IfnKPx6Qokg  http://youtu.be/10m7uwvBYLU
黄妃-非常女 http://youtu.be/F6Ms4C5X4js  http://youtu.be/2svgp5zt35c

森昌子”弧愁人”http://youtu.be/1xyjfzkfyg4   http://youtu.be/I82_3PODMvI

江-孤愁人(この動画に出てくる風景、人々の表情、動き又、この歌手の歌声も1級品だと思う。すばらしい動画)
 http://youtu.be/gKExPFOBbqQ  
孫淑媚+曾心梅-孤愁人 http://youtu.be/0IXTAeG8mJk


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2013/5/9

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僕は前回、前々回と2回続けて、森昌子の歌詞の部分について意味が分からないとか、日本語になっていないとか、辛辣な批判をしました。たぶん他の人にとってはそんなことは聞きたくないでしょう。ファーンにとって、ほめ言葉の方がうれしいでしょうから。でも、私は、ブログを森昌子のファーンのために書いているのではなくて、自分のために、あるいは森昌子という歌手の人間性を知りたいと思って書いているのです。ですから、今回も又、批判的なことを書きますが、そのことは大目に見てください。

20歳のときに出した、”銀のライター”です。この曲を聴いたとき、何か男として照れくさく、恥ずかしさを感じました。詩の内容は次のようです。
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お前が大きくなったなら
恋人同士になろうねと
冗談みたいにあのひとが
私にこっそりいったのは
五年も前の秋のこと
私が十五になった頃

お前と十五も違うけど
それでもいいかと笑ってた
ふとした言葉のいたずらが
それから心をはなれずに
恋する年令(とし)になったのに
私はなぜだかひとりきり

五年も恋した人なのに
今ではうわさも消えたまま
私があの日を想うのは
さびしい日ぐれにあのひとの
小さな銀のライターで
かすかな炎をつけるとき
かすかな炎をつけるとき


この詩で、問題になるのは、”冗談みたいにあのひとが、私にこっそりいったのは 私が十五になった頃”の部分だと思うのです。
15と言えば、中学3年生か高校1年生。一番多感な年頃。この年頃の女の子に冗談でも、恋人同士になろうね、なんていえるのかどうか。まだ6、7歳の小学1,2年生なら言ってもおかしくないでしょうが、好き嫌いがはっきりしてきている年頃の女の子に、冗談でも、こんな言葉は言えないと思うのです。それもこっそりと。もしそういう言葉を言ったとしたら、それは大人として、人間としておかしいでしょう、と言うことになる。

そういうおかしさがありながら、それを歌にして発表するのだから、20歳の歌手・森昌子はどういう気分で歌ったのでしょうか。youtubeで聞く限り、とても情感こめて歌っています。曲そのものが、いいからだと思うのです。でも、歌詞は少し身勝手すぎるでしょう。
 この歌詞を作詞したのは、阿久悠さんです。前回、前々回の批判した作品の作詞も阿久悠さんです。彼は私の好きな、”春の目覚め”や、”面影の君””あなたを待って三年三月”なども作詞しています。ですから、あまり悪口は言いたくないのですが、少し問題のある作詞家ですね。それは、意味不明な言葉遣いをしたり、デタラメな日本語を使ったり、少し変体気味の詩を作ったりしています。変態だから、悪いとは思いませんが、森昌子が可愛そうです。変体おじさんの歌を歌わされるのですから。

森昌子は、この曲を最後に、ミノルフォンからポニーキャニオンへレコード会社を移籍しています。阿久悠さんは”先生”を初め、学園3部作とか、”夕顔の雨”や”記念樹”などを作詞し、森昌子を作曲家・遠藤実とともに支えた立役者だったようですが、これ以降、森昌子の作詞からは遠ざかってしまったようです。ということからすると、もしかして、森昌子自身が、阿久悠さんから離れるために、レコード会社を移籍したともかんぐれるわけです。実際、阿久悠さんが全て作詞したLPレコード”昌子 哀愁”はいいなと思える作品がほとんどありませんね。森昌子と阿久悠は”銀のライター”を限りに、縁を切ったのかもしれません。

youtubeから 森昌子”銀のライター” http://youtu.be/hqeGZdLupjE http://youtu.be/fDAgYOEyjzc 
http://youtu.be/Vxk-B11K6-s
 でも、この動画を見ていると、森昌子はとても満足そうなうれしそうな表情で歌ってますね。声も詩も曲にあっているし、悪くはないですね。逆にきれいな歌い方をしていますね。

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2013/5/8

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 森昌子の20歳の歌は、CDでは何度も聴いて、あまりいい印象は無かったのだけれど、youtubeの動画で見てみると、歌も表情も10代とは違った、大人のやさしさのようなものが出てきて、味わいのある歌い方だと思う。十代の半ばでは、まだ眼光の鋭さがあって、どきりとさせられるが、20代では大人のやさしさが全面に出てきている。

夕子の四季は、これまでとは違った、ゆったりしたきれいな曲で、気持ちよく聞けるが、ただ意味不明な言葉があって、前から気になっていた。それで、歌詞を書き出してみて、初めて合点がいった。
「待つ身 待たす身 待つ身がつづき」の部分、。
CDで聞けば、きれいな音が並んでいて、なんだろうかと、常々考えていた。
でも、この言葉を見て、がっかりすると同時に、これはないだだろう、と言う気になった。

というのは、日本語として待つ身、はあるが、待たす身、はない。これは意味が通じないし、日本語になっていない。
多分こういう意味なのだろう。あなたは私を待たせる身(分の人)。
フランスの思想家ルソーは言葉は観念であると言っている。言葉には観念が含まれている。あいまいな表現で、聞くものに、不可解な思いしか抱かせない表現。メロディがいくら良くても、他の歌詞がいくら良くても、この不可解な一語で、この曲がわけの分からない曲になっている、と思う。

     夕子の四季

冬の花が終わる頃の 風の冷たさ
春がそこにあると思えば なお寒い
心なしか人の顔も つらく感じて
言葉数もあえて少なく過ごします

夕子が紅をひきたい 日暮れ
あなたは分かってくれるでしょうか
思い 思われ 思いがつづき
思われ星が 消えました

夏の雨が屋根を叩き 通り過ぎたら
心細い秋がひんやり しのび寄る
巡る四季は 人の胸を染める絵筆と
思いながら 涙ぐんだり笑ったり

夕子が髪をきりたい 夜ふけ
あなたは感じてくれるでしょうか
待つ身 待たす身 待つ身がつづき
夕子の四季が 過ぎました

待つ身 待たす身 待つ身がつづき
夕子の四季が 過ぎました

youtubeから 森昌子『夕子の四季』 http://youtu.be/aivGFYDQrVw http://youtu.be/0ndjwBpqB5I
http://youtu.be/-IrCGemB0-A 

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2013/5/6

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前回、僕は森昌子の彼岸花の歌詞の意味が理解できないと、このブログで書きました。それで、その歌詞を、ここに書き写し、その意味を考えることにしました。

 彼岸花咲けば秋深く
 女が日暮れに泣くのです
 影法師踏んでまわり道
 アァ 想いでたずねて歩きます 歩きます
 夕映えに消えて 一年二年
 そして三年 あきらめましょう
 嫁入り話の出る秋には
 女は顔を 女は顔を そむけます
 アアア・・・・・

 鰯(いわし)雲流れ夜が来て
 女が化粧するのです
 手鏡の中に月が出て
 アァ 心がきりきり痛みます 痛みます
   夕映えに消えて 一年二年
   そして三年 あきらめましょう
   やさしいぬくもりのない冬には
   女は胸を 女は胸を 抱くのです
 
   夕映えに消えて 一年二年
   そして三年 あきらめましょう
   やさしいぬくもりのない冬には
   女は胸を 女は胸を 抱くのです
 アアア・・・・

youtubeから 森昌子「彼岸花」http://youtu.be/LVjKuCqfFUE

書き写しながら、やはりこれでは僕の頭ではわからないなと言う、思いがよぎります。

まず影法師、とは?辞書で調べますと、光が当たって地面などに出来る人の影など、とのこと。
その後の、影法師踏んで回り道とは?この部分のイメージがわきません。かげを踏みながら回り道などするの?そんな人、聞いたことありません。思い出の家とか木とかの陰を踏んで歩くと言うこと?

夕映えに消えて一年二年・・・、これは別れてから二年経ち、今は3年目と言うこと、そしてあきらめましょうとつぶやくのですかね。
そして、秋には嫁入り話が出てくるのですか?
そのあと、女は顔をそむけます、とありますが、何にそむけるのですか、嫁入り話ですか。それは秋?今秋ではないのですか。一体いつの話をしているのですか。

鰯雲って、どんな雲?辞書で調べますと、夏や秋の夕方近く、綿のような白雲が波やうろこのように並んで見えるもの。うろこ雲、とのこと。
手鏡の中に月が出て 心がきりきり痛みます まあまあ、雰囲気としては分かりますが、夜に化粧するのですか。ちょっと不気味ですね。
”やさしいぬくもりのない冬には、女は胸を抱くのです”
今が彼岸花の咲く秋なのですから、冬には寂しいということで、それなりのイメージがわきますが、本当に冬のことまで心配するの?それに、女が胸を抱くと言うことは、何を表わしているの?言葉が短すぎて、何をイメージしているのか全く分かりません。

でも、森昌子はこの歌をとても気持ちをこめて歌っていますね。CDで聞くのとは違った趣が動画にはあります。歌詞の不完全さを、森昌子が補って歌っているのでしょう。声もきれいな声をしています。
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2013/5/5

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 森昌子の19歳の動画を、youtubeで見直しました。18歳の時と比べて、格段に大人になった感じがします。表情が大人の顔です。18歳の時はまだ顔におぼこさが残っていたのに、春の岬や父娘草、彼岸花に見せる表情にはもう子どもの面影はありませんね。歌の最後の笑った表情に、森昌子のかわいらしさが少し覗けます。

それにCDで聞くと、歌がつまらないですが、動画で彼岸花を聞くと、彼女の真剣な歌い振りから、なんだかその気持ちが強く伝わってきて、いい曲だなと言う感じもしてきます。でも、この歌の意味が、よく分かりません。日本語の読解力不足なんか、女性の心理がよく分からないのか、どちらかなんでしょうが。この歌を好きな人も結構いるようですね。これは歌謡曲と演歌の中間的な感じの歌に入るのでしょうか。夜のヒットスタジオで歌っていても、全然違和感が無いですね。まだまだアイドル歌手です。

youtubeでは、森昌子の23,24歳ぐらいの演歌の動画をよく目にしますが、まだまだそれらの動画に比べると、表情が自然ですね。演歌を歌っている時の表情と言うのは、あまり好きにはなれません。何か作られた表情のような感じがします。今のままの表情を続ければいいのに。森昌子って、本当はひょうきんな性格と、とても生真面目な性格を併せ持っていると思うのですが、演歌を歌い始めて、そのひょうきんさが消えてしまうのではないですか。ま、これから徐々に、彼女の演歌の動画を見るつもりですが。見れば又、印象が変わるかもしれません。

でも、彼女はもう20歳。年齢に応じた歌を歌ってきた彼女が、実は、片思いも、恋も、恋愛も何も知らないのです。実に無垢な人です。そういう人が、どろどろした演歌を歌うことになるのですから、昌子自身、つらかったかもしれません。そのつらさを隠すため、あのような可愛い表情を恣意的に作ったのかもしれません。僕は彼女の演歌を聞くと、ふと森昌子が演歌を歌うつらさを感じて、少し悲しくなります。十代の演歌は、とても哀調のあるすばらしい声で歌っていました。これは、多分彼女の想像力で歌っていたと思うのです。でも、20歳を越えた彼女が歌う演歌とは、想像力だけで歌いきれるものなのでしょうか。芸能界と言う世界で、無垢な彼女が歌う演歌は、どんなにつらかったでしょうか。あるいは、もっと心から歌っていたのでしょうか。

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2013/5/2

本文

森昌子にとって、18、19歳はいろいろな内面の問題が表出してきた歳だと思うのですが、その一つの片思いや母親の問題を真正面から取り上げたのが、LPレコード”すぐに消えそうな愛なら”(1978年4月発売、19才)だと思うのです。

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 彼女は18歳までは片思いの歌を多く歌っていると思うのですが、その裏には母親の影が強い。これは「お母さん」のヒットと関係しているのかもしれませんが、その片思いとお母さんへの決別を主題にして歌っているのが、このLPレコードだと思うのです。このレコードの曲には、愛を失った女性の心境やとそれを乗り越えようとして、お母さんに頼らず、一人で生きていこうとする姿が歌われています。森昌子にとって、お母さんはとても大きな存在なのだろうけど、それに果敢に挑戦している。
 
果たして、これらの曲を歌うことで、森昌子はお母さんから自立したのか、否か、あるいは失恋して、女性として人間として、成長していったのだろうか。

youtubeから、6曲選びました。

 ”今日から一人で暮らします”(母との決別を宣言した歌だ。)
http://youtu.be/_lc9yNvZpJw

 ”母に手紙を書くときは”(母親への複雑な愛情表現。母親を歌う時、昌子の声は一段と美しくなりますね)
http://youtu.be/2iNbFlHEm8c http://youtu.be/vW_F5JzRAHc  http://youtu.be/cEiKOWstEW8

 ”花まつりのころ”(自立しようとしている女性像を描く)
http://youtu.be/oLjPbHzovWw

 ”すぐに消えそうな愛なら”(失恋の曲)
http://youtu.be/LlVi6nQM0YM

”10円玉のふるさと”(都会暮らしを始めた田舎娘のふるさとを懐かしむ歌)
http://youtu.be/3UX9TmWboI4

”初夏の雨の向こうに”(失恋の歌)
http://youtu.be/9-GN_yFjmTo

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2013/4/28

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 こういう画像を取り上げていいのかどうか、迷うのだけれど、結論としては、問題ありだが、男の興味としては、うれしい画像だ。テレビ局か、あるいは動画を撮影した人は、ここまで人の顔をアップして撮ることは、倫理上問題があるとして、撮らないように気をつけるべきだと思う。ま、35年ほど前の動画ですが。

追伸:でもとてもきれいな森昌子です。服装からすると、7周年記念リサイタルの時と同じ服装だし、表情も同じようで、とても可愛いです。(こうして取り上げること自体、私自身、倫理観が欠けているのでしょうね)

youtubeから 森昌子『彼岸花』 http://youtu.be/siQcxlQ9KMI


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2013/4/26

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森昌子は21歳の時、ポニーキャニオンに移ってLPレコード「旅立ち」を出しています。

19歳から20歳とヒット曲に恵まれなかった彼女が、レコード会社を移って、最初に出した曲が「ため息橋」、そして2曲目が「故郷(ふるさと)ごころ」です。そしてこの2曲を含めたLPレコードが、この「旅立ち」です。このLPには上の2曲のB面「春日和」と『冬の部屋」も含まれています。「春日和」を最初聞いたころは、この声に背筋をぴんと張った女性像を見る感じがして、とても好きでした。今聞いても、とてもいい曲です。

 また、このLPレコードには作曲家・船村徹の作品が3曲入っており、そのうち1曲は「寒椿」です。ですから、このLPレコードは旅立ちにふさわしいレコードと言えるかもしれません。

A面
1、故郷ごころ http://youtu.be/yJvHJB-OsLk  CD:http://youtu.be/5za7RyTUPCQ  http://youtu.be/-7VPqgXHfmI
2、寒椿 http://youtu.be/E9qSchfU8Zw
3、小島の舟唄 http://youtu.be/3jL5RopsPhM
4、春日和 http://youtu.be/rX_t669jKOI
5、渡れない川 http://youtu.be/qd5AQuxxtJc
6、旅立つ彼(ひと) http://youtu.be/sF33gdZ85YA

B面
1、ため息橋 http://youtu.be/puTDP_1O09U http://youtu.be/h0VYnqXSWLM  http://youtu.be/aqLNt8rp1E4   
2、さよならの海 http://youtu.be/j2eCfGfkdHE
3、冬の部屋 youtubeにはありませんでした
4、別れて二年  youtubeにはありませんでした
5、北国一人ぼっち http://youtu.be/s2eXD7Qqlsg
6、微笑(わらい)泣き http://youtu.be/vkL5IUKI2u8

『冬の部屋」がyoutubeにありませんでした。この曲は、同棲?している二人の愛への不信感を歌った、彼女にしては一歩を踏み出した折れ点のような曲なのですが。
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