13 | 2013/4/17 | 森昌子の十代の歌手としての最大の叫び。 |
2013/4/15 | 森昌子の歌は芸術だと思う | |
2013/4/13 | ||
2013/4/12 | 森昌子”熱唱ひとり舞台”(デビュー7周年記念リサイタル)を聞いて | |
2013/3/22 | ||
2013/3/19 | 彼女の思いは、歌手を辞めること(森昌子) | |
2013/3/17 | ||
2013/3/2 | ||
2013/2/3 | youtubeから、新歌舞伎座特別公演ライブ「森昌子涙の熱唱」 | |
2013/2/3 | 森昌子と笑顔 |
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タイトル本文 新歌舞伎座特別公演"涙の熱唱”で歌う、『涙の桟橋』と『この胸の幸せを』は、涙で歌えなかった。聞いているだけで、こちらも胸に熱いものがこみ上げてきて、涙が出てくる。1番はとてもきれいな声で歌っていたのに、2番で急に歌えなくなり、声が詰まる。何かの感情がこみ上げてきたのだ。その感情がどういうものか分からない。でも、それは歌詞に感動して声が詰まったのではないと思う。それは自分自身の内から出てきた、自分への感情で胸が詰まったと思う。
こんな時間に 出て行く船に あのひと望みを かけたのだろうか・・・ (ここから感情が高まり歌えない)だけど私はどうするの 何もおしえず 行くなんて (ここから又少し声が出始める)行かないで 行かないで 行かないで・・・ 歌ってみれば分かるが、『だけど私はどうするの』と言うフレーズは一番感情の高ぶるところだ。 このステージは8月28日。彼女は19歳の誕生日を迎える1ヵ月半前にはアメリカへいっている。だから、このステージはアメリカへ旅立つ、ほんの1週間位前のステージなのだ。だから、僕はこの涙は、彼女の自分への涙のような感じがする。『私はどうするの、歌手を続けるのそれとも辞めるの』、そう言う自分への問いかけで、感情が高まったのだと思う。多分周囲の観客やレコードの関係者は、詩のないように感動したと思っただろうが。 次の『この胸の幸せを』も涙でむせんだ、とても感動的な歌い方だった。これも歌詞にではなくて、森昌子の持つ色々な複雑な感情が交差して、彼女の声が観客に訴えかけているのだ。私の気持ちを分かって、理解してと。だから聞くもの皆が、その涙に感動して、涙を流すのだ。森昌子の歌手としての最大の叫びだったのだろう。 youtubeから(別のステージです) 涙の桟橋 http://youtu.be/u0E-nLiM208 この胸の幸せを http://youtu.be/hWBoGU8u-e4 このページの先頭へ |
タイトル本文 歌謡曲と言うものは、人それぞれに思い出や思い入れがあって、その良さを一つの言葉で表現することは難しいが、それが芸術的だと呼べる作品は少ないと思う。でも、森昌子が歌う、16〜18歳の歌は、芸術作品に近いものではないかと私は思うのだ。じゃあなたの言う芸術とはなんだ、と言う反論が聞こえてきそうだ。僕はこう言おう。それは人に感動を起こさせるのだ。聞くときと場所により多少の違いはあるが、おしなべて、深い感動を起こさせる。じゃ、感動とは何なのか。感動とは、心が揺さぶられることだ。感情がこみ上げてくるのだ。それは、詩の内容にではない。声の響きだ。声の響きが感動をもたらすのだ。残念ながら、詩の内容にはそれほど感動しない。その声の響きに不思議と感情がこみ上げてくるのだ。
こんな歌手は今まで知らない。西田佐知子のハスキナー、甘ったるい声も好きだ。切なく、色っぽい。zardも好きだった。でも、それはj歌謡曲だ。森昌子の歌は、歌謡曲を越えた、芸術作品だと思う。 彼女の歌には再現性がない。レコードやCDがあるばかりだ。 多くの人に、歌謡曲を芸術まで昇華させたと思える森昌子の十代の曲を聴いて欲しい。 このページの先頭へ |
タイトル本文 ”熱唱ひとり舞台”、もうすぐ20歳の森昌子の変換期の舞台だ。
全力で2時間を歌いきり、思いのたけをぶっつけた舞台だ。 ”いつまでも愛していたい” この最後の歌と同じ心境で歌っている。ひしひしと伝わってくる。でも、目標が定まらないためか、誰への歌なのか、よくわからなくなってくる。ファーンが拡散しているため、演歌あり、民謡あり、歌謡曲あり、宝塚のような歌劇ありで、焦点がぼやけている。やはり、自分自身にも迷いがあるのだろう。聞いている私も迷ってくる。歌が上手なのか、下手なのか、どれも、並以上なのだけれど、感動まで行かない。その物足りなさ。 私は、このステージで、彼女の温かさを感じた。軟らかく包み込んでくれるような、いつまでもそばにいて離れたくないような。森昌子の歌の本質は、16〜17才頃からの歌でも感じられた、人への共感性、信頼性のようなものでないかと思う。僕は、彼女の片思いの曲が好きなのだけれど、このステージでの組曲”ほたる子”でも、恋する人を強く思い、共に死んでいく物語は、彼女にとって、そう架空でもないような気がする。 でも、彼女も大人になった。大人になればこその悩みなのだろう。若者にも、おばさんにも、お父さんにも気を配りながら歌う。一度、やはり、この時点で歌手を辞めて、大学に入り、もう一度人生を見つめなおして、そして再度歌手を目指しても悪くなかったのかな、とも思う。そうすれば、一回りも二回りも大きな歌手に成長できたかも。”越冬つばめ”や”悲しみ本線日本海”で終わらない、もっと多くの日本人の心を打つ、大歌手に育ったかも、と少し思う。 また、このステージを聞いて思うのは、低い声が少し違って感じられて、とても魅力的になっていることでした。どの歌がと言うことは、はっきりしませんが、年齢と共に高い声よりも低い声に、つやが出てきたのかもしれません。こうした、低い声を使った歌を歌えば、違った森昌子の歌に出会えたかもしれません。 20歳以降の森昌子の、レコードを持っていませんので、これから又考えが変わってくるかもしれませんが、十代がすばらしいだけに、二十才代の歌を聞くにつけ、もう少し違った展開があってもいいのにな、と残念に思うのです。 このステージでよかったなと思う曲(youtubeから、2〜3曲を除いてこのステージ上での歌ではありません) ・22歳の別れ http://youtu.be/s5cW4CtP9qo ・無縁坂 http://youtu.be/fD9i1GNJdxM ・涙の桟橋 http://youtu.be/d5ah0YVrEpE ・竹田の子守唄 http://youtu.be/MzLi_4c44R4(ステージでの曲?) ・南国土佐を後にして http://youtu.be/Io0pI-xJM0o ・組曲”ほたる子” 娘の名はほたる子 ほたる野の伝説 恋唄 生きて下さい愛して下さい http://youtu.be/rq2EaKREpac(ステージでの曲です) ほたる子のテーマ ・父娘草(おやこそう) http://youtu.be/N8cekpyOGCw ・お嫁に行きます http://youtu.be/GbNEu425yRo ・彼岸花 http://youtu.be/siQcxlQ9KMI 、http://youtu.be/sPHKQjDU9QA ・津和野ひとり http://youtu.be/ymMytaJ-wLc 、http://youtu.be/48RRNV_8AI8 ・いつまでも愛していたい http://youtu.be/FCSflvikZmA(ステージでの曲です) きれいな声ですね このページの先頭へ |
タイトル本文私は、歌手と言う職業を侮っていたのかもしれない。もって生まれた音楽的センス、歌が上手か下手か、ただそれだけで歌手になり歌を歌っていたと思っていたのかもしれない。歌手の実態がよくわからないから、なんともいえないが、ただそれだけで、歌手が人気を得るというのでもなさそうだ。 森昌子の”熱唱ひとり舞台”は、大人になった森昌子を映し出している。これまでは司会者がいて、森昌子を紹介する形式だったのが、司会者がいなくて、自分一人の舞台だ。それまでが、とても緊張した、意気込みのようなものが感じられたが、この舞台はとてもリラックスして、しかも自由だ。シンガーソングライターの舞台のような、話があり、筋があり、間違いがあった。間違いは歌の間違い。でも、オーケストラの人に言って、もう一度最初からやり直して歌った。その行為がとても自然で、さわやかだ。声も少し滑らか過ぎる感はあって、17,18歳のころの甘えた、震えた微妙な声は影を潜めていたが、それでもきれいだし、説得力もあり、力強さもあった。 ああ、やはり、森昌子は違うな、と言う感じを強く持った。なぜ、20歳前の女性が、老若男女をこうもひきつけるのか。演歌あり、民謡あり、宝塚のような組曲あり、オリジナルメドレーあり、すべての年代の男女を、一つの舞台にまとめ上げている。高校卒業時には、歌手を辞めて体育の教師になろうと思った女性が、ここまで人を引き付け、感動させ、フィナーレ後、拍手が鳴り止まない。私が、その舞台にいても、いつまでも拍手をしていただろう。いつまでもその場を離れたくない。いつまでもその舞台に浸っていたい。 森昌子は、このころから、自分は演歌歌手であることを自覚していたのか。ファーンが若者から中高年へ移動していたのを目の当たりにして、そう考えていたのかもしれない。言葉の端々に、舞台構成にそれが感じられる。でも、今の私にしたら、それはうれしいことではない。 |
タイトル本文ブログを書くことが、歌謡曲への信頼に繋がるのか、あるいは歌謡曲そのものに信頼出来る何かを秘めているのか。あるいは、人は音を聞く能力を一体として持って生まれているのか。
これまで、歌謡曲を聴いて、きれいなと言う感覚は無かった。気持ちに寄り添ってくれたり、同じ気持ちに同感したり、喜んだり悲しんだり。メローディが口に出てきたり。しかし、森昌子のライブ「涙の熱唱」のオープニング曲の『あのひとの船いっちゃた」を聞いていたら、まず口から出るのが”きれいだな”と言う言葉だ。 なんときれいなんだ、こんな声がよく出るもんだ。そういう感想だ。そして、歌っていうものが、とても信頼できるものだな、と言う信頼感が出てくる。歌に信頼感?変な表現だが、確かに歌と言うものに信頼感が蘇る。あまり他の歌手はよく知らないが、そういう歌手もたくさんいるのだろう。でも、歌謡曲が、単なる言葉遊びや、メローディーだけなら、信頼感は生まれないと思う。 歌に信頼感?不思議な感覚だが、例えば、”この声は今まで聞いたことがない声だぞ、でも何かを刺激する、この力強さ、繊細さは何だ”とでも言っているような。もしかして、ピアノやバイオリンで名曲を聴いたとき、すばらしい、と連発している感覚と同じかもしれない。 歌に信頼感。森昌子にして、初めて持った感覚だ。 youtube ライブ版はないので、通常の録音から ”あのひとの船行っちゃった” http://youtu.be/UXqkA6g5RJs このページの先頭へ |
タイトル本文数日前、「明日へ」と言う本を読んだ感想をこのブログで書いたのですが、少しオーバーに書き過ぎた感があります。森昌子の歌に何も失望したわけでもありませんし、絶望したわけでもありません。私が、勝手にイメージを膨らませ、勝手に思い描いていたことと、少し違っていたと言うだけのことです。
私は、森昌子と言う歌手はレッスンとか歌の勉強にとても熱心で、歌うことを喜びだと思っていたのです。ところがこの本を読んで、彼女は「歌手を辞めることばかり思い描いて高校3年間を過ごした」のでした。そして、高校を卒業したとき、「力が抜けるのを感じた」と書いています。はっきり言って、いやいやながら、でも、一度決めたからには、高校卒業までは歌手を続ける、そればかりを考えながら、18歳まできたのです。ですから、歌への展望とかは無かったと書いています。そして、19歳になる1ヶ月前ぐらいに、逃避行のように、アメリカにわたり、1ヶ月ほど過ごします。そこで、少しは吹っ切れて歌手生活を続けますが、根本にあるのは、歌手を辞めたいという願いだという事でした。森進一との出会いも、彼から、”歌手を辞めたいのだろう”と言い当てられて、私のことを本当に理解してくれている人だと思って、気持ちが傾いていったようです。 結局、森昌子と言う歌手は、歌手を辞めることばかり考えながら過ごした歌手だと言えます。そのように本に告白しています。 私は、ライブなどのときにいつも言っている、”皆様の森昌子であり続けたい”、と言う言葉を聞くにつけ、歌と言うものに自分なりの情熱をぶつけているものだと思っていました。本当の情熱は、そのことよりも歌手を辞めることにあったのです。 でも、それを責めることなど出来ません。致し方ないことだと思います。キャニオンレコードに移籍するまで、休みの日は無かったと書いています。毎日、歌い続け、写真を撮られ、緊張の日々。中学2年生からそういう毎日を続け、休息のない日々を過ごしているのですから、歌手を辞めることが、一番の目標になって、当然のことです。 でも、私は、そういう森昌子であっても、とてもつらい毎日を過ごしていたとしても、やはり、その声や表情には感動しますし、そういう過酷な中でも、笑顔を絶やさず、さわやかな森昌子を演じきった彼女を、すばらしいと思います。彼女の歌は、森昌子と言う芸名の中で、作り上げた創造したものなのです。本当は、そういうものから逃れたくて、普通の女の子でいたかったのです。私達は、彼女が演じた森昌子と言う歌手に感動しているのです。 このページの先頭へ |
タイトル本文
読んだ感想がやるせなさというのか、気が重くなるというのか、森昌子のファーンであるのがつらくなるような、あるいは自分の言動や思いが全て否定されたつらさと言うのか、どう森昌子と向き合えばいいのか、わからなくなってしまう本だった。これから、森昌子への文章が書けなくなりそうだ。いや私には、彼女のことについてしゃべる資格なんて無い様に感じる。
「私は間違っていた」。わたしはあほであった。私は・・・これからどう向き合おうとするのか。女性に振られたような悲しさと言うのか、いや虚脱感がぴったりだ。 この笑顔は何なのだ http://youtu.be/UICbG2u2gGA 読まなければよかった。深い闇を知ってしまったような、一生心に残る傷を負ったような、悲しさだ。 このページの先頭へ |
タイトル本文 森昌子のライブ”涙の熱唱”で歌っていた「大正ロマン」以来、演歌の古い歌のメロディが頭にこびりついて、古いメロディを聴きたい欲求が出てきました。これらの古い歌がyoutubeの動画ではどうなのかという思いと、これらを抽出しておきたいという二つの思いがあって、取り上げることにしました。
下に取り上げた曲は、涙の熱唱で歌っていた曲ではなくて、レコード「森昌子17歳の演歌」(1976/7)からです。 連絡線の唄 親子船唄 別れの1本杉 あざみの歌 http://youtu.be/T-51tQXaKNk 月よりの使者 http://youtu.be/LgELibCGYtc 哀愁海峡 http://youtu.be/0Rw7zph6Yjk ああ上野駅 http://youtu.be/mhC2bqtRv5s お月さんこんばんは (レコードの音声はありませんでした。http://youtu.be/Hh351kp9Z_k) アンコなぜ泣く http://youtu.be/8Hz7fnxBtm4 田舎のバスで だから云ったじゃないの http://youtu.be/AcyaIf8I1KM 高原の駅世さようなら http://youtu.be/ux5TJpiuKLI ついでに「森昌子16歳の演歌」(1975/2)も取り上げました。 他人船 http://youtu.be/Sxyl6r43-ME 下町育ち http://youtu.be/SEtu8A7rqRE 潮来の花嫁 http://youtu.be/c_vlo0_Z_xI 江ノ島悲歌 http://youtu.be/Kv1Edq8GNWE 北上夜曲 http://youtu.be/0oSP0flaig8 このページの先頭へ |
タイトル本文1月半ばに、森昌子の新歌舞伎座特別公演ライブ「森昌子涙の熱唱」(録音日1977年8月28日)の感想をこのブログで書きましたが(1月14日)、その内の何曲かが、youtube にありましたので、URLを書き出しました。残念ながらライブ版の歌声は2曲だけでした。 ライブの演目 宵待ち草 カチューシャの唄 ゴンドラの唄 籠の鳥 URL:http://youtu.be/LBRconuzHzc 城ヶ島の雨 波浮の港 出船 船頭小唄 URL:http://youtu.be/EjsGZzkeuuo 実のところ、このライブはとても感動的なライブだとは思うのですが、いつも通り、何か物足りなさが残るのも事実なのです。それは、ライブの中身、構成に不満が残るのです。彼女の18歳のときでありながら、その主要な歌の構成が”大正ロマン”なのです。大正時代にはやった歌謡曲を、ステージのメインにするのですから、一体どういうお客さんを当てにしてこういうことを考え付いたのかな、と思うのです。新歌舞伎座に足を運んだ人は、面食らったのではないでしょうか。前回の12月のステージでは、民謡をメインにしていました。今の私の考え方からするなら、とても考えられない、ステージ構成なのです。 結局、森昌子と言う歌手は、これ以降、ぱっとしたヒット曲に恵まれずに、レコード会社を変え、やっと”ため息橋”や”哀しみ本線日本海”で、息を吹き返した感があります。涙の桟橋以降の曲は、今聞いてもどれももう一つぱっとしませんものね。 だから、不思議といえば不思議なのです。これほどの歌唱力を持った歌手が、20歳前後に下降線をたどったことが。それは逆に、山口百恵が、一世を風靡する大歌手に育っていったことと、関係するのかもしれません。多分、本人もレコード会社も、作詞家も、作曲家も事務所も、全て迷って、結局アイドルか、演歌歌手か、あるいは他の道か、どっちつかずだったのではないでしょうか。山口百恵や石川さゆりのようにはっきりした路線が決まらなかったのでしょうね。 でも、”哀しみ本線日本海”以降、演歌歌手として広く認められるようになったのですから、大成功です。特に声がとてもきれいになっていますね。透き通るような声。そして歌い方も説得力のある、優しい歌い方に変わった。10代のときのような力強さは影を潜めましたが、それに勝る優しい笑顔と女の色気。森昌子の20代後半の歌を聴いていると、もし歌い続けていたら、声や歌に磨きがかかって、美空ひばりと同レベルの歌手になれるなと思うところが随所にあります。だから、今思うと、結婚を機に辞めたのはもったいないなと思います。 再デビュー後、数年の声はyoutubeで聞く限りきれいですが、今の声はもう一つですね。歌に説得力もないし、声にきれいさもない。だから、テレビに出る回数も減らざるをえないと思います。 今後、森昌子はどういう道を歩むのか。今の声では、ヒットも難しい感じがします。でも、歌い続けて行きたいと言う思いが強いなら、再び、人々を感動させる曲と出会える日が来ると信じたいですね。私も、過去の曲ばかりでなく今後の森昌子のヒット曲に出会って、感動したいですから。 このページの先頭へ |
タイトル本文 森昌子の笑顔、いつまでも大切にしたい。疲れたとき,youtubeに映し出される笑顔を見ると、癒される。きれいな声と笑顔、そして優しさ、清らかさ、そして力強さ、恋心。これらの総合的な魅力なのだろうけど、彼女に微笑みかけられると、こちらも微笑んでしまう。顔がにやけてしまう。悲しい曲でも、恋心を歌うときでも、どこかで微笑んでくれる。それが、歌に、声に、表情に出ていると思う。それが歌手、森昌子の一つの魅力なのだろう。モナリザ?に負けないほほえみだと思う。
youtubeから あなたを待って3年3月 http://youtu.be/2agP0As_XW8 |
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