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2012/10/5 | youtube、森昌子”ひばりメドレー”と”赤い絹糸”他 |
2012/10/5 | 森昌子の演歌の特徴 | |
2013/9/23 | 森昌子の息子の”one ok rock" | |
2012/9/22 | 森昌子”北の夏” | |
2012/9/8 | 森昌子、つれづれ | |
2012/8/10 | 森昌子の、流して聞く演歌特集(you tubeから) | |
2012/8/5 | ||
2012/8/3 | ||
2012/8/2 | ||
2012/7/28 | 森昌子の演歌は、本当に心に響くの? |
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タイトル本文 今日,youtubeの動画で、森昌子の”ひばりメドレー”と銘打った十代の珍しい動画を発見しました。舞台で歌っているようで、私もレコードで聞いて、感動した五周年記念歌舞伎座公演の舞台公演を彷彿(ほうふつ)とさせる、力強い歌い方です。
ひばりメドレー URL:http://youtu.be/nSi_UJ3ip4s また、私が以前、このブログでも取り上げた、”赤い絹糸”が、アップロードされていました。この曲は、彼女が高校を卒業してすぐに発売された、LPレコード”出発の詩集”に入っているもので、私のお気に入りの一曲です。 赤い絹糸 URL:http://youtu.be/5CKsVUL9sbc このごろ、私の脳裏をかすめるのは、五周年記念歌舞伎座公演で歌った、”母に手紙を書くときは”です。彼女がお母さんのことを歌うときは、特に気持ちが入るようですね。 母に手紙を書くときは http://youtu.be/2iNbFlHEm8c ページの先頭へ |
タイトル本文 つい最近気づいたのですが、森昌子の歌のYou Tubeの再生回数で、1万回とか2万回とかあるのは、ほとんどが演歌系ですね。しかもヒュルリーがはやって以降の歌の感じです。それに対して、私の好きな十代の歌は再生回数が少ないですね。
ヒュルリー前後の歌い方は、20、21歳の時に比べて声も出ているし、表情もよくなっているし、女らしく表現力も高まって、やはり森昌子の第二の黄金期といえるのかもしれません。十代の歌が”少女の歌”としたら、ヒュルリー前後からは、”女を表現した歌”、といえるかもしれません。少女から身も心も女に脱皮したのかもしれません。 再生回数が多いのも、そうした”女の森昌子”をみなさんが支持し、好きなんでしょうね。森昌子自身、よく少女から色っぽくて清らかな女に変身したと思います。 なぜ、森昌子が演歌歌手に変身し、成功したのか。それには、色々な家庭環境や周囲の環境などあるのでしょうが、動画を見ていて、第一に気づくのは、やはり歌が上手になったということではないでしょうか。歌そのものが丁寧で、優しく、情感をこめて歌っている。十代に比べて、感情表現が豊かになって、聞く者に、それなりに納得感を抱かせてます。 そして、第二に彼女の持つ表情の優しさや、女らしさのようなもの。YOU TUBE動画を見ていて、彼女の顔が別の顔に取り替えられていたら、その歌を聴く気になれないでしょう。やはり、森昌子の声には、彼女の表情がなければなりません。表情を見て、歌にも納得という感じです。だから、彼女の顔や表情は、森昌子の歌になくてはならないもののように感じます。 例えば、森山良子の歌には、あまり森山良子の顔は必要としないけれど、つまり、歌自身に独立性があるというか、自立性があって、歌そのものに感動します。しかし、森昌子の歌の場合、歌そのものに、それほどの普遍的な歌は少なくて、それよりもマイナーな、歌と顔とその表情で、ファーンをとりこにするような感じがしますね。 確かに、十代と二十代の顔は違いますね。きれいに優しく、色っぽくなって、しかも十大の時の様な清らかさも併せ持っている。これが、皆さんが森昌子の演歌を支持している理由なんでしょうね。 (youtubeで、森昌子が18才になったばかりの青春のB面歌”あすなろう”を取り上げました。演歌とは違う力強さを感じます。) URL:http://youtu.be/DcJsJzXtF0I ページの先頭へ |
タイトル本文 昨日、うちの息子から森昌子の息子がボーカルしている”one ok rock”と言うロックバンドのyou tubeの再生回数が、1000万回を超えているということを聞いて、その回数の多さにびっくりしました。
森昌子だと普通、50〜2000回、多くて1万か2万回台位。それが1000万を越えているというのですから、驚くのも当然でしょう。 それで、聞いてみました。顔はあまり男前ではない感じでしたが、歌のセンスと言うのか、雰囲気はロックそのものと言う感じで(ロックと言うものを知らないですが)、何かを訴える力はありますね。枠にとらわれない力強さと言うのでしょうか。歌そのものにも新鮮さがありますね。新鮮さと雰囲気。声はいいのか悪いのかよくわかりませんでした。息子が言うには、とてもいい声をしているとのこと。本場のロックに負けない声や雰囲気を持っているようです。 親が現役の演歌歌手、息子がバリバリのロック歌手。少々アウトロー的な道を進んできただけにロック歌手としてはさらに楽しみ。音楽一家として、これからもファーンを楽しませて欲しいですね。森昌子も鼻高々ですね。 "one ok rock"のyou tube URL: http://youtu.be/xGbxsiBZGPI ページの先頭へ |
タイトル本文 森昌子のB面”北の夏”と言う曲はとてもきれいな歌声で、よく聞いていたのですが、いつごろの作品か、と見てみたら、これは”夕笛の丘”のB面でした。
”夕笛の丘”は、彼女が一番きれいな歌声を出していた頃で、とても優しく、のびのある声で、少し裏声のような声で歌っている、聞いていて気持ちがすがすがしくなる、彼女の一番最高の歌だと思うのです。”北の夏”はその当時の歌声のB面なのですから、当然、声は最高級だったのです。 歌詞も、3番は好きです。メロディーも気持ちがいい。舞台ではまた違うかもしれませんが、レコードではこの頃の時期の録音が、最高なのではないでしょうか。 youtube”北の夏” URL:http://youtu.be/jK6EYzJC_fQ ページの先頭へ |
タイトル本文8月末ごろに、森昌子が木曜午後8時のテレビの歌番組に出て、”立待岬”と”哀しみ本線日本海”の2曲を歌っていましたが、”立待岬”の方はまあまあきれいだなと思う部分もありましたが、”哀しみ本線日本海”の方は、何か日本海の景色とかが思い浮かばなくて、あまりよくないなと思いました。バックの演奏も、CDと違って、日本海の荒々しさを感じさせる迫力がなかったのも原因かもしれません。
このとき、仲宗根美紀が”川は流れる”を歌ったのです。テレビの字幕に、”次は「川は流れる」”と書いたあったものですから、てっきり森昌子が歌うものと期待しましたが、残念でした。 森昌子がテレビで歌う曲も、徐々に変わってきているのでしょうが、今、発売中の歌とか、十代の歌謡曲”あなたを待って三年三月”とか”あのひとの船いっちゃった”なども歌ってほしいのですが。この2曲は歌詞もメロディーも昌子の声にあって、昌子らしい雰囲気を出させると思うのですが。 最近、森昌子のステージのレコードを手に入れて聞いてみたら、17才はほんと、アイドルそのものですね。初姿七変化とか言って、ねずみ小僧に扮してお芝居をしているようなのですが、聞いてるこちらが恥ずかしくなって聞けないですね。このときに歌っている”あのひとの船行っちゃった”はいい声で歌っていました。 石川さゆりや川中美幸、千昌男らが今もって、歌謡曲界の中心人物であり続けるのに対し、森昌子が何かゲスト的な、”過去の人”っていう扱いはなんだか寂しいですね。でも、よく考えたら、彼らとの出自がもしかして違っていたのかもしれません。 森昌子の場合、オーディションで、アイドルとしてのデビュー。作られた枠の中で、作られた自分を演出していたのかも。それが証拠に、ほとんどレコードのB面やアルバムに収められたオリジナル曲に、関心を示していません。これらの曲にこそ、昌子らしい人間性が表出していると思うのに。 レコーディングのときだけ、一生懸命歌い、その後は忘れ去ってしまったのでしょうか。多分、今はそれらのB面曲やオリジナル曲を歌えないのではないですか。 中島みゆきが今もって、そして何10年と変わらずにやってきているのも、自分の中に歌への変わらぬ思いがあるのでしょうね。多分石川さゆりも、10代のころ、百恵や昌子ほどちやほやされなかったっため、自分の心の中に、確たるものを形成したのかもしれません。そして、それが歌手として何10年と引き継がれているのかもしれません。 僕としては、もう一度、10代の頃の輝きに満ちた歌を、歌い直して欲しいですね。今の声で、もう一度レコーディングしなおして欲しいですね。ただ単に、歌うのではなく、人を感動させる歌ごえで。 僕はいつも思うのですが、ステージでは2番までしか歌わないのが森昌子の習慣のようになっていますが、心から聞きたい人にとっては3番まで聞きたいのです。なぜ、作曲家や作詞家は3番まで作っているのでしょうか。そのことを考えて欲しい。シンガーソングライターなら、自分が作った歌を、途中で止めれますか。 ページの先頭へ |
タイトル本文このごろ、車に乗らないせいか、森昌子の歌を通して聞くことが少なくなってきた。パソコン上で好きな曲を何曲か選んで聴いて、すぐに止めてしまう。そうした場合、演歌を選ばずに、十代のリズムのいい、聞きやすい曲を聴いてしまう。
それで、今日は森昌子の演歌の中で、聴きやすい曲を選んでいつでも聞けるようにしようと考えた。彼女の聞きやすい曲と言うのは、僕の中では大体決まっており、それは、レコード会社移籍後に発売されたシングルコレクションABに含まれるB面の曲だ。今回、A面の局を4曲含め、17曲選びました。但し、4曲ほどyoutubeにありませんでした。特に残念なのが、夕焼けの空。これは、演歌と言うより、歌謡曲の部類だと思うのですが、女性の細やかな心情を歌った名曲だと私は思うのですが・・・赤字は、今までyoutubeになかったので、最初に聴いて欲しい曲です。 A面 B面 1、ためいき橋 (冬の部屋 you tubeになし) 2、故郷ごころ (春日和 http://youtu.be/rX_t669jKOI) 3、信濃路 梓川 (夕焼けの空 you tubeになし) 4、波止場通り港町 (雨の港町 http://youtu.be/hHXpfw-m1T0) 5、北寒港 (翼 http://youtu.be/EfJfrbEcpjQ) 6、哀しみ本線日本海 (妹 you tubeになし ) 7、鴎歌 (花暦(シクラメン)http://youtu.be/pNUtzIDMa88) 8、ふるさと日和 (手紙 http://youtu.be/vwIZkd3-whY) 9、越冬ツバメ (紅花になりたい http://youtu.be/2HfkmoM4Jjw) 10、寒椿 (古都の春 http://youtu.be/jpd_udrrt-8) 11、ほお紅(http://youtu.be/NonZ_hKoRFA) 12、恋は女の命の華よ(http://youtu.be/5y9kTmSdsLM) 13、愛傷歌 (恋きづな http://youtu.be/LEtDqlUOZUg) 14、ありがとう〜雛ものがたり (雁来紅 you tubeになし) 15、そして、今・・・悲しみの終着駅(http://youtu.be/OWoY0T9kZBA) (涙暦 http://youtu.be/lkQa-CJx9eU) 16、〜さようなら〜(http://youtu.be/f3Lheon_wdY) ページの先頭へ |
タイトル本文 今日も、森昌子の「歌舞伎座特別公演」について、思いついたことをコメントしようと思って、ブログを書き始めたのだが、よくよく考えたなら、何の権利があって、そういうことを書くのか、あるいはそういう勝手気ままなことを書いていいのか、と言う疑問がふとわいてきた。
あなたは何様なのだ。人の作品に対して、どういう立場で、そういう好き勝手なことを書くのか。 それに対して、僕はこう応える。LPレコードを中古だが、現金を出して購入した。それへのコメントなのだ。 確かに、森昌子という歌手は、36年前LPレコード「歌舞伎座特別公演」という、レコード出した。そして、森昌子やその関係者は、収入を得た。それは、36年も前の話だ。今頃になって、そのレコードに対して、好き勝手なコメントを出していいのだろうか。 だが、僕が手にしたのはほんの1週間ほど前なのだ。もうクラッシックと言っていい部類の作品だ。絵画にしろ、文学作品にしろ、鑑賞後の感想や、読書感想文など広く行われている行為だ。だから、私が、森昌子の作品に対して、過去のレコードもCDも、芸術作品と考えれば、それへの感想やコメントを言うことは、広く一般に行われていることだし、憲法で認められている、思想・信条・表現の自由に当たるのではないだろうか。但し、それは相手を傷つけるようなことが無ければとは思うが。 従って、森昌子という個人への攻撃ではなしに、作品の批評、あるいは作品に含まれる思想への批判なら、それは一般に認められていることと考えられるだろう。 だから、僕も森昌子の歌、あるいは作品への批判、コメント、好き嫌い、などは文芸・芸術作品として行うと言う立場を堅守しよう、と思う。 ページの先頭へ |
タイトル本文引き続きLPレコード「森昌子 歌舞伎座特別公演」(昭和51年、9月29日録音、17歳)B面を聞いてのコメント。
前回、この公演を褒めちぎったのだが、今日その続きを聞いてみて、残念ながら興ざめな点があった。”夕笛の丘”までは満点だったのだが、次に新曲の紹介というコーナーで”恋ひとつ雪景色”を歌ったのだが、これがとても平凡な歌で、歌い方もきれいとまではいえない歌い方。ま、新曲だから、しようがないかなと、お客さんは感じたかもしれないが。 しかし、その次は、さらに最悪。民謡を3曲ほど歌うのだ。1曲目のソーラン節は、聞いてられない。森昌子の声と、民謡は合わない。斎太郎節は元々哀愁のあるいい曲だから少し救われた感じはするが、それでもいかがなものか。その後、佐渡おけさも歌う。 このステージは、老人の歌謡ショウなの?いっぺんに興ざめだ。なぜ、昌子の十八番の”涙の連絡線”や”他人船”、あるいは”川は流れる”などの、カバー曲を歌わないのだ。あるいは”砂時計”や”恋ざくら”、”愛は遠い”、”恋待ち草”などのB面を歌わないのだ。これらの曲は、昌子のきれいな声と、心の思いが合致する、昌子の良さをアピールする曲だ。こうした曲で、観客を感動させた後、”母に手紙を書くときは”という組曲を持ってくれば、この沈痛な曲が、さらに観客を感動させると思うのだが。 私が言いたいのは、一旦民謡で人々を興ざめにして、その後で、組曲で感動させると言う発想そのものの、おかしさだ。昌子の民謡のレコードを一枚オークションで手に入れたが、ほとんど聞くに値しない感じだ。歌の専門家なら、昌子の声が、民謡に合うのかどうか、すぐに分かるだろう。 何か、このちぐはぐさ。この後、苦しさの時代が続くのを予感させる、残念な民謡を入れたステージだ。 ページの先頭へ |
タイトル本文ヤフーのオークションで「森昌子 歌舞伎座特別公演」(昭和51年、9月29日録音、17歳)のLPレコードを落札、A面だけ聞いてみた。
これは、非常によかった。CDで聞く声と同じかそれ以上のきれいな声で歌っている。昌子の声の特色がよく出ている。昌子の声には”揺らぎ”がみられ、細い声や普通の声や、幼い声や張り詰めたような声、高い声などが入り混じっているのだが、そうした声と感情が呼応(こおう)し、聞くものの感情を高めてくれる。多分すばらしいステージで、観客は昌子の声に酔いしれていたのではないかと想像する。 ”下町の青い空””おばさん””面影の君””夕笛の丘”これらは、昌子の最高の声で歌っている。多分、昌子の声の最頂期だろう。生で聞いた人は、森昌子の声を一生忘れないだろう。 ページの先頭へ |
タイトル本文 今の若者に演歌が受け入れられないのは、今の若者の曲を聴くと、その違いが大きすぎ、当然と言う感じがする。でも昔から、演歌は若者からあまり受け入れられなかった。だが、演歌でも、流行した曲は多い。石川さゆりの”津軽海峡冬景色”は演歌の部類に入ると思うのだが、とてもいい歌だし、当時、多くの人に受け入れられた。同じように、都はるみの”北の宿”も。歌は色々分ければ分けられるのだろうけど、人々の間に、はやる曲と言うのは、それなりにジャンルを越えた、人をひきつける魅力があるのだろう。
結局は演歌と言う、紋切り型で表現することが、歌の特性やあるいは歌手の持ち味を消すことにつながると思う。そう考えると、森昌子は演歌も歌ったが、その多くは、若者が口ずさみたくなるような大衆受けするような歌だった。多分、20歳ごろまでは、そのターゲットは若者だろう。恋の切なさ、嬉しさ、喜び、哀しみを昌子らしい声で、表現した。 演歌の特徴は、森昌子の歌を聴くと、まずもって、こういう曲は、どういう状態・状況(シチュエーション)のときに聞くものかなと思う。それを聞くときの、心の持ちようが不明確なのだ。 例えば、愛傷歌。別れた人を恋しく思っているのだけれど、その状況にとどまり、懐かしみ、そこに哀愁を見出し、それ以上前に踏み出そうとはしない。かといって、本当の悲哀も無い。そして曲も軽快だ。これが演歌と呼ばれる、歌の世界だ。こういう曲は、どういう心持で聴けばいいのかな、と思った。朝目覚めたとき?寝しな?悲しいとき?本を読みながら?くつろぎながら? これは、愛傷歌だけを聞いての話で、全てに当てはまるはずも無い。けれど、もし演歌と言うものが、こういう類(たぐい)のものなら、若者に歌われるはずも無い。それは頭の中でこねくり回した世界で、現実ではないし、その現実の厳しさを乗り越える意志を萎えさせている。(但し、離婚を経験した今の森昌子がこの曲を歌うと、現実感が増し、胸にとても響いてきますが。) それに対して、愛傷歌のB面の恋きずなは、同じ演歌ながら、とても前向きだ。二人で、苦しかったけれど、共に生きていこうとする人生への意欲が感じられる。愛傷歌が過去を懐かしむのに対し、恋きずなは過去・現在・未来を歌っている。 全ての森昌子の後期の曲を演歌と言う言葉でひとまとめにしないで、本当に心に響く曲なのかどうか、あるいは勇気や慰めを本当に与えてくれるのかという視点で、聞いてみたいですね。 youtubeで聞く、愛傷歌:http://youtu.be/yqP-Te7WqRk 恋きずな:http://youtu.be/LEtDqlUOZUg ページの先頭へ |
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