音楽・・・森昌子

17
10 2012/6/9 森昌子、”越冬ツバメ”がヒットした理由の一つ
9 2012/6/5 森昌子の”寒椿”について
8 2013/5/23 私の好きな森昌子のB面演歌、3曲
7 2012/5/19 森昌子、いろいろ
6 2012/5/11
5 2012/5/4 森昌子、つれづれ
4 2012/5/2
3 2012/4/30
2 2012/4/12 ポニーキャニオンに代わったことは森昌子を成長させた?
1 2012/3/28
5 2012/2/10 森昌子に真実を見た(2012/2/10)
4 2011/12/18 森昌子の歌は長編の”純恋愛小説”の傑作だ(2011/12/18)
3 2011/10/29
2 2011/8/29
1 2011/5/29
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2012/6/9

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以前、僕は森昌子の”越冬ツバメが”ヒットした理由を探求したいと、このブログで書いたことがあったのですが、その理由のひとつが分かったような感じがしました。今日、you tubeで、”母に手紙を書くときは”と言うデビュー5周年のライヴ版を初めて聞いて、とても感動しました。この曲は、LPレコード”すぐに消えそうな愛なら”(’78、4月発売、19歳)に入っていて、聞いたことがあったのですが、そのときの印象は、良い曲なんだけれど、少し暗いな、というものでした。しかし、このライブ版は、その暗さを吹き飛ばす、とても力強くて、CDとは比べ物にならない綺麗な声で歌っていたのです。18歳のときの声です。会場からは、盛大な拍手が送られ、泣きながら歌っています。でもその声は、とても綺麗です。こうした多くのファーンに惜しみなく拍手を送られ、力いっぱい歌っている姿を想像したら、このことが、哀しみ本線日本海や越冬ツバメのヒットにつながったのだなと、思いました。十代の時から、多くのファーンに支えられていたのですね。そして、すばらしい歌唱を披露していたのですね。僕が知らないだけでした。

今日,youtubeで見たライブ版”母に手紙を書くときは”のURL:http://youtu.be/2iNbFlHEm8c
また、別の動画で涙を流しながら、”母に手紙を書くときは”を歌っているのがありましたのでURLを載せました。
URL:http://youtu.be/vW_F5JzRAHc


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2012/6/5

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NHKの歌謡コンサートで作曲家、船村徹が出演していましたが、船村徹と聞けばどうしても森昌子の”寒椿”が浮かんできます。船村徹も色々な有名な曲を作っているのですね。”矢切の渡し”とか”別れの一本杉”とか、これらも、森昌子がCDで歌っていますね。他に探してみたのですが、LPレコードの「旅立ち」に、寒椿のほかに”渡れない川”と”別れて二年”が彼の作曲です。両方とも、ちょっと暗い感じの歌です。21歳の時に、これらと一緒に、寒椿もレコーディングしています。初め聞いたとき、CDと少し違うなと思ったのですが、やはり吹き込んだ年齢が違うのでした。シングルレコードは84年4月、25歳のレコーディングです。やはり、25歳のときの方が歌が上手です。何よりも、you tubeの着物姿の動画が印象的過ぎますね。この寒椿が、当時ヒットしたのかどうかどうか知りませんが、この曲がなかったら、後期の彼女の歌全体が、何か乏しい感じがするのではないですか。やはり、しっとりしたいい曲ですね。

you tube から
25歳の時のシングルからと思われる”寒椿” URL:http://youtu.be/sMrW89lk0Ro
21歳の時のLPレコードからと思われる”寒椿” URL:http://youtu.be/E9qSchfU8Zw

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2012/5/23

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演歌と言うものが何をさすのかよくわかりませんが、森昌子の後期の作品は、やはり演歌なのでしょう。その中で、3曲好きな曲を取り上げました。

 @雨の港町('80,9 波止場通り港町のB面)
 この曲は、聞き初めはどうという印象はなかったのですが、聞いているうちに徐々にリズムがとてもいいなと思うようになった曲です。歌詞は印象に残らないですね。

 A古都の春('84,3 寒椿のB面)
この曲は父と娘の歌なのですが、3番の歌詞が、というのか3番の歌い方が、あまりにリアルで、彼女の小さい頃の父との関係が想像されて、ぐぐっと感動が高まって、涙がこぼれ落ちてくる歌なのです。

B恋きずな('85,7 愛傷歌のB面)
 この曲は、初め聴いたとき、全くのど演歌で、とても嫌いな曲でした。しかし、何度か聞いているうちに、じわりじわりとそのよさがにじみ出てきて、いい曲だな、と思うようになりました。特に3番あたりの歌詞がとても温かくて、幸せな気分にさせてくれる、いい曲です。じっくり聞いてください。

これら3曲をyou tubeで検索したのですが、3曲とも無いですね。シングルABコレクションに入っているのですが、
Yhooショッピングでみたら、売っているのは全てカセットテープ。CDはなかったです。時折、オークションで出ていますので、見てください。


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2012/5/19

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 森昌子の歌は好きなんですが、10代の歌を聞いていると、少しもの足りなさを感じますね。それは、社会性に乏しい、というのか、歌詞に一般性がないというのか、小説で言うと、あまりに私小説的過ぎると言うのか。恋もいいし、片思いもいいし、好きな人が船に乗ってどこか旅立って早く帰ってきてね、と言うのもいいのですが、そればかりでは、少々、飽きてきますね。”出発の詩集”を聞いていてそう思うのです。この時代、学園闘争も終わり、経済的に発展して、みなが中流意識を持ち始めた頃なんでしょうが、場面設定と言うか、歌詞が少し創造性にかける嫌いがありますね。それと、港町とか、船が出るとか、多分東北の港町を意識しているんでしょうが、私みたいに大阪の人間にとって、港町といっても、ぴんとこないので、もう少し違った表現の仕方があるのじゃないかと思ったりするのです。岩崎宏美とか、山口百恵がどうしても都会的センスがあるので、森昌子が田舎ッぺてきな雰囲気があって、作詞家がわざと港町を持ってきたのかもしれませんが、少し歌に偏りが見られますね。

 森昌子が20歳ごろに、悩んで、アメリカに行って、そこで何かを学んで帰ってきたとか言っていましたが、これほど似通った歌ばかり歌っていたら、誰だって、うつ的になります。
 やはり、違った作詞家に、違った面を引き出してもらわないといけませんね。20歳以降の歌は演歌が多くて、あまり聞いていませんが、どう変化していったのか、あるいは変化なしで、”越冬ツバメ”のヒットにたどり着いたのか、自分なりに考えて行きたいですね。

 それと、アルバム”出発の詩集”で、一番いいと思ったのは、’赤い絹糸’でした。これは、最後のフレーズの’わたしのこころ あなたのものよ’と言う歌い方は、彼女ならではとてもきれいな歌い方です。you tubeで探したのですが、レコードアルバムで、シングルにはなっていないためか、ありませんでした。それに’くちづけをあげたいけれど’もありませんね。

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2012/5/11

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今日は,youtube特集です。3曲です。僕の好き勝手なコメントと、URLを載せました。

@ 以前、you tubeで見て印象に残っていて、いつの間にか消えていた、森昌子の”冬ばら”。

 再び、アップロードされていたので、ここにURL を貼り付けましたので、興味ある人は見てください。この曲は、オリジナルなのか、カバー曲なのか知りません。youtubeの録画は昭和54年11月と書いてあるので、昌子の21歳の歌ですね。昌子にしては、非常に前向きで、歌詞がわかりやすくて、もう一度聴いてみたくなる曲です。
URL:http://youtu.be/VDQfE6SRKcw

A ”おばさん”はA面の曲で、たまに聞くと、やはりいいなと思う曲です。ちょっとかすれ声に聞こえるんですが、なぜなのですかね。’76,3月発売なので、満17歳ですね。

僕は最初、一番の歌詞で、”私も悩みあるのよ、この頃 ひとりでなくの”という歌詞に驚きました。え、こんな子でもひとりになれば、泣くの、って。どんな悩みがあるのかなって。でも、2番はまた別の話に変わってました。 
2番は、とてもいい歌詞です。情景が浮かんできて、夕焼けの空・・・あたりの歌い方は森昌子らしい味わいのある歌い方ですね。3番は少し陳腐な感じです。
URL:http://youtu.be/qV9Zi8IHHuc

B ついでに,見つけたので、URLを載せておきます。”小雨の下宿屋”です。テレビなんでしょうけど、昌子もかわいいし、声もとても綺麗です。’77,1月なので満18歳のときの曲です。
URL:http://youtu.be/gNb8trguYGE

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森昌子、つれづれ

2012/5/4

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今日、オークションで落札した、森昌子のLPレコード”出発の詩集”が来た。丁度、高校を卒業した5月ごろの出版で、満18歳の歌だ。
 youtubeで聞いていて、いつの間にか消えていた、”紫陽花坂”はやはり落ち着いたいい曲だった。これからは、いつでも聞ける。”純情詩集”や”赤い絹糸”もよさそう。
 他に、”東京なんて大嫌い”は昌子にしては珍しい、うなり節だ。夢を持って東京へ出てきたが、夢を裏切られ、東京なんて大嫌い、とうなっている。でも、この曲は懐かしさがよみがえる、いい曲だ。
 というのは70〜80年代、その頃は、日本全体が夢を持ち、若者は東京や大阪へ出て、仕事をし、遊び、勉強したものだ。哲学も社会主義もあった。政治に夢を抱き、文学や学問や、仕事にそれぞれがいろんな夢を抱くことが出来た。
 だが、今はどうだろう。哲学も社会主義も文学も、労働組合もほとんど実体をなくし、政治が混沌とし、社会に夢を抱くことが難しくなってきている。大阪では、格差社会が蔓延しつつあるのが現実だ。私は、森昌子に代わって、”大阪なんて大嫌い”と、うなりたい。日本全体が、公明正大で、明るく、平等で、誰もが夢を語れる社会になって欲しい。

それとは直接関係無いですが、you tubeで森昌子の女性らしい落ち着いた、僕が好きな画像がありましたので、そのURLを下に、書き出しましたので、一度見てください。”面影の君”を歌っていますが、とても落ち着いて、きれいに、丁寧にうたっています。これはテレビの録画だと思うのですが、後ろのアンサンブルが、森昌子の波長とあっているのでしょう。 コピーして貼り付けて検索してください。http://youtu.be/a72YZX7HadY

 この画像は、ほんときれいですね。僕は、この時代の森昌子って、全然知らないので、こういう画像を見ると、とても新鮮です。今の時代に、こういう歌い方をしていたらどうでしょうか。皆をとりこにしてしまうのではないですか。あるいは異端児になって、つまはじきですか。
 でも、森昌子の歌は、まだまだ生きていますね。僕はそう感じるのです。もうしばらく、森昌子についての探求は続きそうです 。(最後の段落は5月7日記入)

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2012/5/2

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 下はこの曲の2番目の歌詞です。
”十六や十七で くちづけは いけないことかと なやみます ゆかた祭りに あの人が さそってくれたけど くちづけを 許したら 私どうなるの”

 好きな人にお祭りにさそわれて、そのとき、くちづけをしたら、私どうなるの、と悩む歌です。この”私どうなるの”と言う言葉が、いかにも女性らしい不安感を表わしていますね。男としたら、多分、浴衣を着ていて綺麗だから、くちずけをしたくなりますよね。しかし、そこで、女性なら、本能にませててキスしたら・・・そのさきどうなるのかしら、という不安感のほうが勝つというところが、男女の差の面白いところですかね。

3番です。
”お話を あの人とするだけで 幸せ感じて 泣けそうよ 一度だけなら くちづけを あげてもいいですと 夢では言えたのに やはりだめでした”

 実際、好きな人と話をするだけで、とても幸福感を感じますものね。でも、夢の中では、くちづけをあげてもいいと言えたのに、現実にはできなかった、という歌です。このくちづけをあげないと言うところに、森昌子らしい歌を感じますね。
 私は、初め”私どうなるの”とか”やはりだめでした”と言う心理は、女性の繊細な心理だと思っていました。だから、この作詞は女性だと想像していたのです。でも違いました。この作詞者は遠藤実でした。作曲も遠藤実。多分、この曲はLPのみにしか入っていないので、遠藤実がわざわざ森昌子のことを想像して、浴衣姿でお祭りにさそわれても、昌子ちゃんならそういう状況でもキスなんかしないだろうな、と思って書いたのではないか、と自分なりに想像しているのです。
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2012/4/30

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 2日前、森昌子の歌best20を書きましたが、これはどうも片手落ちな感じがしました。というのは、やはり演歌を触れずに森昌子を語れないと思うからです。あげた曲は十代の恋心を歌った曲が多く、こればかり聞いていると辟易(へきえき)としてくるからです。かといって、彼女の演歌ばかり聞いていると、これも辟易としてきます。彼女の最大のヒット曲である”越冬ツバメ”や”哀しみ本線日本海”は過去において聞いた記憶があるからか、潜在意識として残っているからなんでしょうが、聞いても新鮮味が無いですね。僕が彼女の演歌として好きな曲は、ポニー・キャニオン移籍後の”シングルコレクションAB”に含まれるB面の曲です。僕は特に、パソコンでB面のみ集めて聞くことが多いのですが、最初の曲からして、すばらしい曲が並んいます。これらの曲は、演歌と言えるかいえないかの中間的な曲です。20代前半から半ばにかけての結婚適齢期の女性の心理を歌った曲に、秀逸なものが多くあります。例えば、”夕焼けの空”は失恋した娘に母親がお見合いを勧める話です。とても綺麗な歌です。”手紙”は一年前まで遊んでいた友人が結婚して、自分もあせってくる気持ちを友人につづった話です。女性の綺麗な心理を丁寧に表現しています。”古都の春”は結婚を控えた女性が、父親と鎌倉を歩きながら、昔父親に背負われた記憶を懐かしんでいる曲です。このほか,you tubeで見る”季節を抱いて”も同じような結婚まじかの父と娘のいい曲ですね。
 演歌というのはうらみつらみの歌が多そうなんですが、彼女の歌はA面ではそういう曲がありそうなんですが、B面はかなりさわやかです。”春日和”はその典型で清潔感のある、伸びやかな曲です。
 彼女の映像もそうなんですが、歌も、特徴的なのは清潔感ではないでしょうか。20代後半の映像を見ていますと、本当にいい娘さんって言う感じですね。結婚と言うものに憧れ、家庭というものに憧れ、恋愛と言うものにあこがれている、典型的な純朴な女性がそこにいると言う感じです。レコードも映像も30年も前のものですが。
(なお、アマゾンではシングルコレクションABが売り出されています。中古品で2000円ぐらいからありました。)

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2012/4/12

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 このごろ、森昌子の歌を車で聞かないからか、それほど感動しなくなった。また、おおよその全体像が見えてきたからか、最初の感動ほどの感動を覚えなくなった。ただ、歌というのはその時々の聞くときの心の状態によって違ってくるものだから、今が感動しなくても、そのときになって感動するかもしれない。また、聞く場所にもよって、感動は違ってくる。僕が思うには、やはり車の中、特に音響のいい車の中で聴くのはいい。それはやはり、音楽に集中できるからだろう。家のパソコンはどうしても他の何かをしながら聞くので、歌の中に入り込みにくいのだろう。
 彼女の歌は、ポニーキャニオンに変わってから、確かに変わった。17〜18歳ぐらいから、徐々に、大人っぽい歌を歌っていたが、会社が変わってからはほんと大人っぽくなった。それはよい変化だ。いつまでも同じ会社では、それまでの子どもっぽい少女っぽいイメージの昌子の殻を破ることができなかったのだろう。ポニーキャニオンに移ってからのシングルABコレクションを聞いていると、成長した昌子の声がとても聞きやすい。冬の部屋や、春日和、夕焼けの空、雨の港町、翼、妹、シクラメン、手紙などすべてB面だが、大人になった昌子の精神が歌声に反映されている。
 春日和の凛とした声は、お別れ公衆電話と同様、なかなか他の人にはまねのできない清純さだ。夕焼けの空は手紙と同様、大人に成長した昌子だ。翼は昌子には珍しい、前向きの歌で、これは歌詞に感動を覚える。冬の部屋も力強い。これらの曲が、音楽会社を代わってからのすぐの、B面曲なのだからすごい。なぜ、ここまで昌子を大人に変えたのか。
 話は飛ぶが、川は流れる、も、昌子らしい最高の歌だ。このときは高校生の低学年のときのようだが、人生の哀歓を感じさせる、最高のできばえだ。50代の昌子が歌ったら、また違う味わいが出るかもしれないので、ぜひ歌ってほしい。見上げてごらん夜の星を、もいい。
 聞く時々によって、味わいは違ってくるが、いい時間に、いい場所で、いい感情で、いい音響で聞くと、心に訴えてくるところが大きい。森昌子という歌手が、常に心で歌っていることの証なのだろう。

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2012/3/28

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これまで、森昌子についてこのブログの中で褒めちぎってきたが、たぶん他の人からすれば、彼女の歌のどこがいいのか分からないと思う。昨日も、午後7時から、安住アナが司会する歌謡番組に出演して、”越冬ツバメ”や”愛燦燦”を歌っていたが、僕も少しもいいと思わなかった。越冬ツバメは声が出ていないし、心に訴ったえるものがなかった。それより、布施明に対してデレッとした態度はいかがなものかと思った。50代には50代の歌を歌ってほしい。20代の歌を歌っても(人によりけりだが)20代のよさがよみがえらない。今の現在の心境を歌うのが、いいと思う。例えば、”おかあさん”の新バージョンはとても枯れた感じで、味がある。
 僕は森昌子の15〜18,9才頃の歌が好きだ。特に、声がいい。それにyoutubeで見る、信濃路梓川の一連のテレビ番組の録画、この録画は森昌子の女らしさを際立たせる凄くいい録画だ。20代後半になると、歌い方が変わってきて、演歌そのものになるが、そのなかでもB面に心を打ついい歌が収録されている。越冬ツバメは当時はすばらしい声で歌っていたが、CDから流れる歌声は魅力に乏しい。YOUTUBEで聞けば、いい声が聞ける。
 実を言うと、僕が森昌子を好きになったのは去年の5月頃からだ。それまでは昔の歌手程度の認識だった。だが、車の中で聞く昌子の声は、とても哀調を帯びた、すばらしい声に聞こえた。それは”シングルCD51”と言うA面ばかり、デビューから引退までのすべて曲を網羅した3枚のCDで、1枚目が特にすばらしかった。それはデビューから17,8才ぐらいまでの歌を集めていた。

私が選んだ60選
夕顔の雨、記念樹、下町の青い空、おかあさん、北風の朝、春の目覚め、
面影の君、あなたを待って三年三月、あのひとの船いっちゃった、おばさん、夕笛の丘、小雨の下宿屋、故郷ごころ、信濃路梓川、寒椿、ほお紅、恋は女の命の華よ、雁来紅、そして、いま・・悲しみの終着駅、ためいき橋、涙暦、さようなら(これらはレコードのA面)、

(B面orLPレコード)夕焼けの空、北の夏、となりの町から、ほたる、愛は遠い、花祭りの頃、純情、恋ざくら、恋待ち草、古都の別れ歌、くちづけをあげたいけれど、お手紙をあげてもいいですか、冬の部屋、春日和、翼、妹、シクラメン、手紙、
紅花になりたい、古都の春、恋きずな、初秋、

(カバー曲)川は流れる、北上夜曲、お月さん今晩は、お別れ公衆電話、ああ上の駅、影を慕いて、見上げてごらん夜の星を、勿忘草をあなたに、小指の思い出、長崎は今日も雨だった、みずいろの手紙、そして神戸、他人船、潮来の花嫁さん、花街育ち、いいじゃないか幸せならば、

その他、、いつまでも愛していたい、この胸の幸せを、涙の桟橋、涙の連絡線、南国土佐を後にして、紫陽花坂、冬バラなど、一杯一杯あります。


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2012/2/10

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森昌子が歌う「信濃路梓川」youtubeの動画を見ていると、その笑顔や歌声がとてもすばらしくうっとりさせるが、それはこの歌のための笑顔や声ではない。彼女の歌は、ずーとこうなのだ。このような歌を歌い続けているのだ。だから、この動画のすばらしさは、偽者ではなくて本物だと思うのだ。彼女の語りかけるような瞳、優しい笑顔、それは彼女の心から出てくると思うので、まさしくそれは真実だ。

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2011/12/18

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彼女の歌は恋の歌が多く、失恋や片思いが主流で、とても泣かせる。また、そこに先生や同級生、お父さん、お母さん、おばさんが出てきて彼女をもり立てる。彼女の歌はまるで長編の純恋愛小説を読むようで、聞くものを夢中にさせ、若者の切ない恋の世界へ聞くものをいざなう。これはまさしく恋愛小説の傑作で、国民栄誉賞を与えてもいいと思うぐらいすばらしいものだ。この小説は彼女が結婚を手に入れたことで、ハッピーエンドで終わる。だが人生は皮肉なもので、彼女の長編小説は第二部に続くのだ。せっかく第一部で自分の夢を手に入れたのに、第二部ではそれを捨てて青い鳥を追い求めることになる。彼女は果たしてどこへいこうとするのか。青い鳥は果たしているのか。森昌子の書く、第二部に目が離せない。

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2011/10/29

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 半年間も森昌子を聞き続けている。車の中で、家ではパソコンのyou tubeから流れる画像を見ている。まるで恋に落ちた若者のように無我夢中で一人の女性の声を聞き、画像を見ている。うちの息子からすると異常だとのこと。でも他の人の曲を聞く気になれない。聞くとそれなりにいいのだが、また、森昌子に戻ってくる。

 何がそれほど、私をひきつけるのだろう。音楽というものの魅力なのだろうか。これを機に、いろいろな音楽を再発見したいと思う。色々なジャンルの曲を聴きたいと思う。そういう思いが芽生えたのは確かだ。それはまさしく音楽という領域のことだろう。

 だが、音楽というものだけではない。もっと詳しく見れば、森昌子の十代の声が持つ、共感性のようなものだ。それは「面影の君」、「夕笛の丘」、「おばさん」、その他の曲に見られるちょっとした声のふるえや声の伸ばし方、あるいは甘ったるい声、あるいは凛とした声、それが、歌詞とハーモニーをなし私の心を震わせるのだ。歌い方が上手いだけではない。CDの技術もあるのだろう。もっと深く突き詰めれば、森昌子の生い立ちとも関係しているのかもしれない。

 たとえば、森昌子の髪型が、岩崎宏美のような癖のないロングが似合っていたら、私の心をこんなに打つだろうか。モンキーのような髪型はたまたまの偶然とは思えない。それは森昌子の育った環境や周りから受けた教育・知識あるいはもって生まれた感受性と密接にかかわっていると思う。彼女は2歳ぐらいまで、祖母に育てられ、その後両親と6畳一間の家で暮らし、そこでは風呂も近所の親戚の家で借りて入り、便所も共同便所だったということを本人が話していた。母は心臓が悪かったらしい。彼女の髪型はなるべくしてなったのではないだろうか。

 だから、彼女の若いころの歌にはそういう生育環境から受けた感性が発露しているのではと私は想像する。そして、二十歳ぐらいになると、徐々にそうした感性から変化し、裕福になった分、声に変化をもたらしたのではないだろうか。逆に女性らしい優しさが前面に出てきた。小さいころから理想に思ってきた女性らしい優しさ。それは「信濃路梓川」の画像に端的に出ているのではないだろうか。そして、24,25歳ごろの演歌はとても上手くなってきて、人の心を捉えるようになってきた。「恋は女の命の華よ」、「ほお紅」、「越冬ツバメ」、「鴎歌」、「いつまでも愛彩川」、「寒椿」・・・いい曲が一杯だ。でも、十代の歌のような感動は覚えない。それは感動ではなくて、うまさだ。石川さゆりは歌がうまいし、いい曲を歌っている。でもやはり涙するほどの感動にはならない。尾崎豊の曲にも感動して涙したことがあった。やはり感動する曲とそうでない曲があるのだ。尾崎豊は当時、歌詞に感動したと思うのだが、森昌子の場合はやはり声だ。歌詞はつまらない歌詞が多いのが残念だ。

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2011/8/28

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 このごろ、森昌子について考えることが多い。十代の声とそれ以降の声がなぜ大きく違うのか、あるいは十代の声がなぜ二十代に続かなかったのか、他の歌手は二十代・三十代にヒットを飛ばし、張りのある声で歌っているのに二十代半ばの声は、魅力の乏しい声になっている。表情も目の輝きも映像を見る限り、十代の方が輝いている。まだ、二十代半ばの声より五十代の方が張りがあるように感じるし、明るい。二十代半ばになると、映像を見る限り、表情に乏しい。人生で最高潮に達する時期だというのに、夢や希望を感じさせない。22〜23歳の映像は明るい。それ以降、急に明るさが乏しい。1984年の「越冬ツバメ」の映像や千恵子抄はいい。しかし、引退間際のDVDや歌を聞いていると、何か創造性に乏しく、歌の字面をなぞっているように感じる。あまりに淡々と歌いすぎている。なぜなのか。

 本当に残念でならない。十代の歌声を続けていけば、今は大歌手、森昌子がいたはずだ。洗濯日和もいいし、金木犀の手紙のいい。けれど、美空ひばりのような「川の流れのように」や島倉千代子の「人生いろいろ」などもっと人々の心を打つ歌が歌えたはずだ。そうあってほしいし、これからの歌手生活でも、十代のような輝きを放ってほしい。にわか森昌子ファーンの声ですが、今こうして蘇るということは、時代が求めているものがあると思うので、もう一度十代のような輝きを放ってほしいと思う。今のお気に入り曲は「川は流れる(1975)」、「面影の君」、「夕笛の丘」です。また、シングルコレクション51も車の中で聞き続けています。「愛唱歌」は1985年当時の歌より、今の方が心に響いてきて、新曲かと思い間違えるほどです。

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2011/5/29

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You Tubeで、森昌子の動画にはまってしまった。彼女のイメージは「先生」を歌っていたときのように、なんだかサルに似た髪形で、とても美人とはいいがたかった。しかし、今彼女の歌声を聞いているととても清らかで美しい。しかもとても日本的で「美人」である。これまでのイメージとyou tubeで見せるその美しさの差異の大きさ。実際本当か、目を疑いながら映し出される映像を凝視して、鼻の大きさやほくろの位置、髪の生え際、目の形、顔の輪郭などを比べました。youtubeの動画には親切にも録画された年代が記載されていて、色々な年代の森昌子が映し出されていました。そして今もまだ引きずっているのですが、年代(年齢)ごとに、その歌声が変化し、顔つきも変化し、一人の女の子が娘から大人の女性に代わる変化を、見事に映し出しているのです。ただ、顔の形だけなら、そんなに驚きもしないでしょうが、彼女の歌い手としての表情の豊かさ、やさしさ、声の美しさが女性らしさへの変化とあいまって美しいハーモニーをかもしている感じなのです。いわゆるアイドルであった女性の、テレビでは映し出すことができなかったyoutubeでだけみられる時々刻々の変化です。その中で1981年ごろの彼女の表情は、明るくさわやかである。それ以前の彼女は声に張りがあって、とてもすばらしい。1981年を過ぎてからはとてもやさしく、透き通るような声になった。倍賞千恵子の「北上夜曲」は一番上手い。森昌子の「北上夜曲」はこれは何だという感じで、とても不思議な感じを抱かせる歌い方である。

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