サンパウロからのお便り   佐原(別所)尚子さんより

 日本は新学期が始まり、さくらの花がきれいでしょうね。サンパウロは日本とまったく反対のはずなのですが、まだ秋の様子は感じられずあいかわらず夏の服装でいます。サンパウロに来ましてからもう6年になりますが、99年の夏だけ夏らしい夏を過ごしたように思います。カラッと暑く、木陰や建物の中に入りますとすっと涼しくてクーラーもいりません。一日に一度夕立があり、外出時は窓を閉めて出ないと雨が部屋の中まで降り込んでしまうというはめにあいます。でも、よく忘れて「あ、しまった・・・」と何度もそういう悪体験をしたものです。

 それ以降、夏がきても(12月から夏本番です)冬の感じで(冬といっても15度から20度はあります)、今年もそうでしたが、1年中ずっと同じようなダラダラダラという表現がぴったりの気候が続いています。日本のように四季がはっきりしていないので、当然、国民性もそうですね、ラテン系の人種が多いのとあいまってすべてきっちりとはいかない世界です。

 ブラジルは建国500年のまだまだ新しい国で、南米ではめずらしくポルトガル語が公用語です。

 日系人がおおくて東洋街には日本のものがなんでも手に入ります。物価は日本の3分の1です。日本からの輸入品は安くはありませんが、生活で困ることはほとんどありません。医者は、ほとんど日系の先生を選びますので言葉での問題もありません。

 ただ、治安の面では注意がとても必要です。貧富の差がとても大きくお金持ちは豪邸に住み、別荘があり、メイドはいるは、子守はいるは、運転手はいるはの、こんなのあり?の生活です。私が住んでいる地区は日本の駐在員の家庭を除き皆お金持ちです。若い奥さんは子守に子供の世話をまかせ、エクササイズに余念がありません。買い物も荷物は子守やメイドに持たせて楽そうです。

 実際、お金があればなんでも楽ですけれど。反面、お金のない人はブラジルにはたくさんいます。車を運転していますと、信号待ちではかならす物乞いがよってきます。小さな子どもははだしでチュウインガムやお菓子を手に持って車に乗っているひとに買ってもらおうとよってきます。サンパウロはブラジルの経済の中心なので働くところはいっぱいあるのですが、貧しい北の方からやってきた人たちは住む場所もなくあちこちのスラム街に身を寄せて生きのびています。その中から犯罪が生じてきます。親に見捨てられたり、勝手に逃げ出してきた子供たちは身寄がなくてもあちこちで食べ物を拾い大きくなります。そして愛情のかけらも知らないため人を殺すのも平気です。特に運転中、信号待ちの時ピストルで脅され時計やさいふや携帯電話を取られる事件が頻繁におきています。わたしはまだその被害にはあっていませんが、家の車も防弾車にしたいとよく思います。もう防弾車はめずらしくはありません。

 続きがいつ書けるかわかりませんが、ブラジルの生活事情をもっと書けたらなあと思っております。サンパウロに在住の方がおられましたら、是非ご連絡ください。

2005.4.8記 佐原尚子(サンパウロ在住)